10話:彼女は僕を愛してくれた
「シャロン・アルバート。曲名は、ショパンの『パガニーニによる大練習曲第3番「ラ・カムパネッラ」』」
ミハエル先生のアナウンスが会場に響くと、客席からざわめきが聞こえる。
この曲は、僕の年代には難しい。だから、驚いているんだろうな。でも、コンサートのオオトリだからこんなもんなのかな?
僕は弾ける。だって、たくさん練習したから。父さんにお願いして、ここ3日はお稽古を全部お休みにして向き合ったから。
「はい」
舞台裏で返事をすると、ミハエル先生と目が合った。にっこりと笑うその表情は、どんな緊張でもほぐしてくれる。僕は、肩の力を抜いて舞台へと歩いていく。コツコツと僕の足が音を立てる。
今日の服装は、いつも通りロゼが選んでくれた。ちょっと大人なタキシード、真っ黒なローファー。さっきアーロンに会ったら「カッコつけ!」って笑ってたっけ。
会場に着くなり、ロゼのことを口説きやがっ……おっと、口が悪いのはいけない。
ピアノの前に行くと、ステージから客席が見渡せる。
1,000人は入るホールは、空席が見当たらない。僕は、すぐにロゼと父さん、それにお屋敷で働く人たちを見つけた。父さんなんか、手を振っている。ちょっと恥ずかしい。
僕は、それに気づかないフリをしてゆっくりと一礼し椅子の高さを調整し始める。そして、再度客席を見るとロゼと目が合った気がした。
「……」
彼女は、微笑んでいた。
その表情を始めて見た僕は、微笑み返して椅子に座る。
さあ、弾くぞ!見てて、ロゼ。
僕は、オクターヴに備えるべく指をめいいっぱい広げて軽い運動をする。そして、集中のための瞑想をして始めの1音を奏ではじめた。後は、指を動かすだけ。
***
『坊ちゃん』
朝。
僕はロゼから服をもらう。いつもなら、そのまま朝食の準備に行ってしまう彼女が声をかけてきた。
『どうしたの?身体、辛い?』
『いいえ。ただ、コンサートが終わり坊ちゃんに会えるかの保証はないので。伝えたいことがあります』
『……』
彼女は、約束通り今日まで動いてくれた。
このところ毎晩、ロゼがいなくなる夢を見ては起きてを繰り返している。正直、寝不足に近い。
あーあ、夜くらい、一緒に寝てほしいって言えばよかった。今日の夜、誘ってみよう。
『坊ちゃん。私は、旦那様のご意向により活動停止しましたら、このお庭に居続けられるよう手配いただきました』
『……』
『ご存知の通り、私は活動停止してしばらくすると身体から蔓が出ます。そして、ゆくゆくは立派な木になる予定です』
『……ぷっ』
蔓から木になるわけがない。
こんな時にまで冗談を言う彼女。笑うしかないじゃないか。
『ふふ。……私は、
『……ロゼ』
『そして、坊ちゃん。貴方がご立派になられた時、この身に花を咲かせてみせましょう』
ヒューマノイドで、花を咲かせる品種は少ない。それは、活動停止してみないとわからないと聞いたことがある。
『……うん。うん、僕、立派な当主に……大人になる』
『はい!坊ちゃんならできますよ』
『うん……。ロゼ、ロゼ』
『さあ!今日はその第一歩です!私に、坊ちゃんのピアノを聴かせてくださいな』
『……ロゼ』
『ほらほら、せっかく旦那様が手配してくださったのに。坊ちゃんが悲しんでいたら、契約不履行になって追い出されてしまいます!さあ、涙を拭いて。着替えたら朝食が待ってますよ!』
ロゼは、そう言って僕の涙をハンカチで拭ってくれた。
***
最後の音が会場に響き渡る。
それが聞こえなくなると、すぐに拍手がホール全体を包んでいった。
できた。僕にも、できたよ。
弾き終えた僕は、立ち上がって客席を向く。
すると、ロゼも拍手を送っている。それを見た僕は、一礼して袖にはけた。
「シャロンさん、昨年よりずっとずっと上達しましたね」
「すごいよ!シャロン!」
舞台裏でも、拍手喝采だった。
ミハエル先生やアーロン、他の生徒もみんな僕に言葉をくれた。
「ありがとうございます」
僕は、その言葉にお辞儀をする。しかし、半分も耳に入ってこない。
彼女は、約束を守ってくれた。最後まで聴いてくれた。それが、一番嬉しい。早くロゼに会って感想を聞かないと。
僕は、急いでその場を後にする。
アーロンに、ロゼのことは話してあった。彼は、急ぐ僕を気遣うように背中を押してくれた。
***
「ロゼ!父さん!みんな!」
「シャロン……」
僕がみんなのところへ行くと、まだ客席に居た。
もうロビーに行ってるとばかり思ってたから、結構探しちゃったよ。
上がった息を整えていると、父さんと目が合う。近づくと、
「よく頑張ったな。ロゼも大絶賛してた」
「ありがとうございます!ロゼ!僕の演奏どうだっ……」
ロゼは、眠っていた。
「……ロゼ?」
少しだけ俯き、目を閉じていた。その表情は、舞台から見た時のように微笑んでいる。見間違いではなかったらしい。
しかし、返事はない。
「ロゼ?……ロゼ?」
「シャロンが舞台裏にはけた時にね。停止したよ」
「……」
「ロゼは、「坊ちゃんは立派なお方になりますよ」って最期に口にした」
周囲を見ると、みんなが泣いている。料理長も、メイド長も。他のスタッフさんたちも。
「ロ、ゼ……ロゼ、ロゼ」
「シャロン、ロゼは君との約束を守ったよ」
「う、う、……う」
僕は、ロゼにしがみ付いて泣いた。
後でアーロンから聞いたんだけど、会場に僕の泣き声が大きく響いてたんだって。それで、アーロンもロゼが活動停止になったことを知ったみたい。
いつもなら「人前で泣くな」と言う父さんも、屋敷の人たちも、みんなみんな、ロゼを想って泣いた。
舞台裏で生徒やミハエル先生が、ロビーではまだ居た人たちが、ロゼのために黙祷していたことも、後から知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます