第6話 最後の配達

 ざあっ、と一陣の風が吹いた。街路樹の葉が風に揺れ、葉の上に残っていた水滴がぽたりと顔に落ちた。

 まるで、僕に時間指定配達の存在を思い出させるように。


 さあ、最後の配達だ。時間には、まだ余裕があるはず――だったのに、普段あまり使わない道で迷ってしまった。この近くのはず……と思いながら周囲を見て自転車を走らせるが、時間ばかりが過ぎて行く。

 あと五分しかない。

 僕は、周囲の建物と、携帯の画面上のマップを見比べながら自転車を走らせていた。


 だから、かなりスピードを出して走っていた車が、交差点で急に左折したのに気づくのが遅れてしまった。

 巻き込まれそうになって急ブレーキをかけたけれども、間に合わない。自転車の前輪が車にかすり、自転車もろとも倒れ込んだ。


 車からは、僕と同世代の男の人が出て来た。

「大丈夫ですか……あ」

「あ」


 降りてきたのは、同じ大学の同じ学部の人だった。よく知っている人だ。

 彼は、僕と自転車を見て、ちょっと考える様子だったが、何も言わず、また車に乗って行ってしまった。


 今日は何も言われなかった――。


 少し安堵した僕は、自転車を起こしてから、荷台の中を調べた。衝撃吸収アンチ・ショック仕様だけど、大丈夫だろうか。そっと、預かったハートを取り出して、見てみる。

 ほどよく、しっかりした重さと、暖かさ。預かったときと変わらないようだし、外側に傷もついていないけれど、中身がどうなのかはわからない。


 頭の中に、彼に数日前に言われた言葉が響く。


「お前みたいなホモ、気持ち悪いんだよ」


 彼とは、二週間前のLGBTのイベントで会ってしまった。正確に言うと、僕は参加者の側、彼はその近くを通りかかっただけの部外者。僕は身近な人に自分がゲイであることを言っていなかったから、困ったな、と思ったけど、あんなにひどいことを言う人だとは知らなかった。だから、彼の放った言葉に、僕はひどく傷ついた。しかも、学校の中で。たくさんの学友がいる前で。


 子供の頃から、ずっと隠し続けていたのに。

 好きな人が出来ても、ずっとその気持ちを隠し続けていたのに。

 自分の恋を諦めて、その分、自分以外の人が幸せになったらいいなって思っていたのに――。


 頭を振って、気持ちを切り替える。

 今は、これを届けなくちゃ。


 結局、指定時間帯に数分遅れて、指定された家に到着した。綺麗に手入れされた庭のある、素敵なお家だ。


 急いで、荷台の箱からハートを取り出し、玄関まで小走りに駆けて、ベルを押す。

「遅れてすみません。Uber Hearts《ウーバーハーツ》です。お届けものに上がりました」

 ああ、遅れた上に、さらに転倒したなんて言いにくいな。中身は大丈夫だろうか。まずは、転倒してしまったことを謝らなくては。さっきみたいな優しそうな人だといいなぁ――などと思いながらドアが開くのを待っていた。その時間はとても長く感じられた。


 少し経って、中から出て来たの人を見て、僕は思わず、また、「あ」と言ってしまった。

 出て来たのは、集荷に行ったときの男の子だった。


「あれ……あの……ああ、ええと、すみません、遅くなってしまって」


 戸惑いながらも、箱を手渡して、転倒のことも説明した。


「本当に、申し訳ありません」


 頭を下げる僕に、男の子は「ちょっと待ってて」と言って、中へ入ってしまった。待っていると、救急箱を手に戻って来た。


「膝から血が」


 ああ、言われて見れば。急いでいたから、擦りむいて血が出ていたことにも気づかなかった。泥までついている。

 急に、僕は恥ずかしくなった。きれいなバラが咲いている家の、きれいな顔の男の子の前で、僕の姿はとても無様ぶざまだと思ったのだ。


 けれども、彼は、何も言わずに手早く箱から消毒液とガーゼを取り出し、傷口をきれいに消毒してくれた。


「すみません……何から何まで」


 これで、箱の中身に傷でもついていたら、最悪だ。でも、どうして、この人ハートを贈って、自分で受け取ったりするんだろう?


「あの……念のため、今、箱の中身を確認していただけますか? 何かあった場合、本部に連絡しなくてはいけないので」


 そういう決まりなのだ。


「じゃあ、外で見ていいですか? 明るい方がよく見えるので」

「ああ……そうですね」


 僕たちは、一緒に玄関を出て、門と玄関の間に広がる小さな庭に立った。彼は、僕の方を振り返って、こう言った。


「あのね、これは、君に受け取って欲しかったんだ」

「え?」

「二週間前のイベント、僕もいたんだよ」

「!」

「あの場所で、君を見かけて、それから、バイト先の近くでまた見かけて……」


 目顔で回りのバラを示して、こう続けて言った。


「綺麗でしょ? このバラ。ここは、僕の祖母の家でね。祖母が丹精込めて育てて、今の時期、一番美しくなるんだ」


 時刻はもう、正午を回っている。初夏の強い日射しに照らされ、雨の滴が乾ききったバラは、今を盛りと輝くように咲き誇り、本当に見事な美しさだった。


「本当に……綺麗だ」

「自分にとって最高の場所で、これを渡したかったんだ」


 そうして、僕に、手に持ったハートを差し出した。

 急に、周囲に咲くバラの甘い香りが僕たち二人を包み込んだような気が下。

 僕らは、二人で一緒に、その箱を開けた。


(終)

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Uber Hearts(ウーバーハーツ) 黒井真(くろいまこと) @kakuyomist

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