第49話『和風慶雲③-ワフウケイウン-』

 ゴールデンウィークが終わり、授業が再開される。

 その日の午後に宮紡みやつむぐ准教授の部屋には、部屋の主である宮准教授、西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみ、そして室江崇矢むろえたかやが集まっていた。

 まるでゴールデンウィーク前の掃除の日を思い出す顔ぶれだ。

 部屋の長机には、大量のドーナツ、フライドチキン、そしてハンバーガー。

 満面の笑顔の晴臣に対して、顕人の表情は引き攣っている。宮准教授だけは素知らぬ顔で事務机のノートパソコンに向かっている。

 これらのメニュー、ゴールデンウィーク前に話していた彼らが、室江が部屋の出た後に賭けていたメニューだった。


「今回のことで迷惑かけてしまって……」

 室江はそう言いながら、深々と皆に頭を下げる。此処に並ぶ食べ物は室江が今回の事件に対するお詫びと感謝の気持ちで買ってきたらしい。が、如何せん、量が多い。だけど晴臣の表情を確認すると、これくらい大丈夫なのだろうと安堵する。

 晴臣は早速「いただきます!」と笑いながらハンバーガーに手を伸ばす。

 顕人もフライドチキンの香りに巻かれながら、室江を見る。

「あの、美須々さん、あの後どういう……」

 聞いていいのかわからないが、気になってしまった。

 室江は「暫くは入院が続くみたい」と落ち着いた様子で教えてくれた。


「その後は司法に委ねるけど……どういう結果になっても僕は母を支えたいと思ってる。元々卒業したら家を出て母と暮らすつもりでいたからね」

 そう苦笑する室江に、顕人は勿論パソコンに向かっていた宮准教授も意外そうな顔をする。

「婆さんは知ってるのかそれ」

「祖母は知りません。父には相談してもう承諾を貰ってます。就職して母を迎えにいくつもりだったので、それが少し早まっただけです」

 そう呟く室江に、顕人は宮准教授の話でしか知らない室江の祖母が怒り狂う姿を想像してしまった。まあ、室江の家のことは、室江親子と祖母の問題だ。それ以上は首を突っ込むまい。

 顕人はそんなことを思いながら、フライドチキンに手を伸ばそうする。

 しかし、その時、扉が乱暴に開けられる。扉を壊さんばかりの勢いで入ってきたのは小金井絢こがねいあやだった。


「兄さん! 鶴見先生から聞きましたよ! また本を」


 激高しながら叫ぶ彼女だったが、室内に宮准教授以外の生徒の姿を見て徐々に言葉が萎んでいく。

 宮准教授はまるで聞こえていないかのようにしらっとノートパソコンに向かい続け、晴臣は気にすることなくハンバーガーを食べている。室江も、まるでいつものことのように気にしていない様子。

 顕人だけが、彼女の怒声に思わず縮こまったが、彼女が発した『兄さん』という単語に思わず小金井を見る。

 小金井は恥ずかしそうに愛想笑いを浮かべるが、すぐに部屋に入って事務机の隣りまでやってくると事務机を勢いよく両手で叩く。


「先生、聞いてますか?! 鶴見先生が、本を持って来られて困ってると言ってました! また増やしたんですか!」

「くっそ鶴見のヤツチクリやがって」

「先生!!」

 室内に男性と女性の言い争う声が響く。

 顕人はこの部屋に顔を出すようになってかなり経つが初めての状況に焦る。

 そもそも小金井は宮准教授を指して『兄さん』と呼んだか。兄? でも苗字が違う。顕人が困惑していると、室江が「父親違いの兄妹なんだって」と小声で教えてくれる。

「ちゃんとは聞いてないんだけど、宮先生の両親が離婚して、お母さんが再婚して生まれたのが小金井さんらしいよ」

「中々複雑な家庭環境ですね」

「そうだね。でも仲は良いんじゃないかな。小金井さんの入学前から二人は面識あったみたいだよ。もしかしたらん先生がいたから此処に来たのかもしれないね」

「へえ」

「先生の世話をよく焼いてるし、妹として先生を心配してるのかも」

 微笑ましく室江は宮准教授と小金井を見るが、二人の言い合いが凄まじく顕人はやや引き気味にその光景を見ている。

 そういえば顕人が小金井と初めて会った日、やってきた宮准教授が小金井のことを、絢、と呼んでいたことを思い出す。茉莉花の買い物の付き添いを頼んだりしていたし、室江の言う通り兄妹仲は悪くないのだろう。二人の互いの呼び方に、そういうことだったのかと納得しながら二人を見た。

 状況は小金井が優勢に見える。宮准教授が徐々に言い訳が尽きてきて押され出す。

 ……これは焚書待ったなしかもしれないな。

 顕人はそんな物騒なことを考えながら、フライドチキンを食べ始めた。


 ***


 宮准教授が文学部棟の隣人である鶴見准教授に、棚に入りきらなかった書籍を無理矢理預からせていた件が露呈し、彼は小金井に叱責されながら泣く泣く書籍を引取りに行かされた。その後小金井に「持ち帰るのと、燃やされるの、どっちが良いか決めてください」と淡々に決断を迫られ、死にそうな顔で「持って帰ります」と答えされられているシーンを横目に、顕人と晴臣は部屋を後にした。


 薄暗くなった学内の歩道を歩きながら、近くの掲示板に『自転車用の車道準備のお知らせ』と書かれた張り紙があることに顕人は気が付く。

 そういえば違法自転車の事件にも進展はあった。

 学生自治会『サモエド管理中隊』に所属する函南の話では、各学部棟と教室棟、食堂や図書館など、生徒の利用が多い建物を結ぶ広めの歩道に限り、すぐ横に自転車専用の道、そして各建物に近くに自転車駐輪場を作ることが決定したそうだ。

 工事自体は夏期休暇に行われるため、まだ暫くは『サモエド管理中隊』と『自転車愚連隊』の抗争は続くことだろう。


 顕人は張り紙の端に描かれた学校のロゴを見ながら、室江に見せられた同じロゴの印刷されたメモ用紙を思い出す。


「結局さあ、あの賭けは有耶無耶になって終わったな」

 そうぼやく顕人に晴臣は「でも全部食べれたから僕としては満足」と笑う。

 そりゃそうだろう、お前は本当によく食べていた、と顕人は乾いた笑いを浮かべる。


 メモ用紙の主は結局鹿嶋美須々で、彼女は『ストーカー』紛いの行為を行いながら、『室江に嫌がらせをするグループ』に属し、そして彼を助けようとする『善人』でもあった。結局全ての可能性が当て嵌っていたのかもしれない。


「重要なのは室江先輩が喜んでいたこと、だから良いんじゃない?」

 晴臣はそう言いながらも、「でも『良い人説』で満足したよ」と笑う。

「それを言うなら『ストーカー説』だってあながち間違ってないだろ」

「えー、そうかな」

「そうだよ」

 軽口を叩きながら正門へ向かって歩く二人。


 周囲はもうすっかり暗くなりつつあったが、今日は夜道の心配はなかった。

 鵺はもういない。

 ヒョウヒョウと鳴くいくつもの姿を持つ化物も、独りいくつもの自分に囲まれながら泣く女性ももういないのだから。

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