第48話『和風慶雲②-ワフウケイウン-』

『オープンキャンパス』は無事に開催された。

 室江は弓道部のPRで、見事に的当てを成功させた。荒瀬川が所属するバスケ部はどういうわけか、今回の『オープンキャンパス』の出場はなく、室江への嫌がらせもなかった。

 室江の的当てを見に来ていた茉莉花は、顔を真っ赤にさせてその勇姿に見蕩れていた。茉莉花と一緒に来ていた、何処となく室江と似た雰囲気の男性が、茉莉花に頼まれてその様子をスマートフォンで動画を撮っていた。

 彼らと一緒にいた宮准教授は、男性にその録画データを自分にも送るように言っていた。もしかしたら室江の勇姿をに見せたいのかもしれない。



 荒瀬川はあの後病院に担ぎ込まれ、今度こそ入院に至ったらしい。

 後日函南に教えられる話だが、荒瀬川は大学を辞めたらしい。

 自主的か強制かは知らないが退学という扱いだそうだ。

 これまでも何度か問題を起こして注意を受けていたそうだが、『ペッパーハプニング』の件が露見し、そして『オープンキャンパス』での危険行為の計画も暴露され後がなくなったという話だ。



 鹿嶋美須々は警察に自首したが、その精神状態から病院で検査が行われ体内から違法な薬物が検出されたらしい。その成分は、近隣で見つかっているどの違法薬物とも合わず、警察は彼女に話を求めたが、彼女は何も『何も覚えていない』と答えたらしい。

 曰く、この半年ほどの記憶が酷く曖昧で、自分が何をしていたかが記憶の中で滲んでしまったようだと話したらしい。

 警察にツテがある宮准教授がそう教えてくれたが、その話を聞いて、血の気が引いたのは他でも西澤顕人だった。


 ***


 西澤顕人はゴールデンウィーク最終日、鹿嶋美須々が入院している病院に来ていた。

 どうしても彼女に聞きたいことがあったからだ。

 関係のない人間が、鹿嶋美須々と話すのは本来無理だが、顕人は宮准教授に頼み込んで宮准教授の警察への『ツテ』にお願いしてもらった。

 宮准教授が何を言ったかは知らないが、五分の面会が見事許された。ただし、警察官の立ち会いの元。

 顕人は駄目で元々、宮准教授に頼んだのだが、まさか面会が叶うとは。何と寛容な条件に顕人は、、病院へ向かった。


 彼女の病室の前には、背広を来た男性が二人たっており、彼らに近づく顕人に大学の名前を上げてそこの生徒か確認してきた。

「西澤顕人です」

 顕人は生徒証を彼らに見せると、男性はそれぞれ警察手帳を顕人に提示する。


「北淀だ、宮先輩からのたっての願いだったから面会を許可したけど、申し訳ないが俺が立ち合わせてもらう、それで良いかな」

 北淀と名乗る刑事がそう言うと、顕人は大きく頷く。

 彼は、宮准教授を『先輩』と呼んだ。彼も古橋と同じく後輩なのか。

 だけど、この宮准教授からの要請がかなりゴリ押しだったようで北淀の表情はかなり疲れきっていた。

 もしかしたら、宮准教授の突然現れる破天荒に振り回されてきたのかもしれないと思うと、少しばかり同情してしまった。


「あの、美須々さん、どんな状態ですか?」

 顕人がそう問いかけると、北淀はちらりと病室を扉を見る。

「逮捕されたときはまだ精神的にかなり不安定だったけれど、今は落ち着いている。受け答えもはっきりしているけど……相変わらず事件のことは曖昧で、どうして自分がこんなことになったのか本人が驚いている状態だ」

 北淀は淡々と彼女の状態を話す。

 それは一年前の滝田晴臣の様子によく似ていた。

 彼も病院に担ぎ込まれて、何かの薬物を摂取した可能性があると指摘された。

 晴臣も病院で目を覚ましたとき、何故病院にいるのかと酷く驚いていた。記憶が曖昧で、この二週間ほどの記憶がかなり抜け落ちていると語っていた。

 晴臣の話を思い出して、顕人は、美須々も晴臣と同じ状態なのでは、そう考えて此処に来たのだ。

「あまり強い刺激は与えないよう努めて欲しい」

 北淀は顕人にそう言うと、病室の扉を軽く二回叩きゆっくりと開けた。


 病室に入ると、彼女はベッドに上体を起こしていた。

 顕人を見ると緩やかに微笑む表情は血色が良いが、『あんり』や『田村八重子』の時とは違う彼女の表情は、確かに『大人の女性』という顔つきだった。

 これが本来の彼女の顔なのかもしれない。

「今日和……」

 顕人は恐る恐る彼女に会釈する。彼女も会釈を返してくれるが「はじめまして、かしら、それとも何処かで会っているのかしら?」と少し不安そうに呟く。

 やっぱり彼女の記憶から、顕人のことも抜け落ちてしまっていた。晴臣もこんな状態だったから顕人には大して驚きはなかった。

 顕人は恐る恐る彼女のいるベッドに近づく。

 北淀はあくまで顕人と彼女の会話に立ち会うだけのようで、ベッドには近づかず扉の近くでその様子を見ているだけだった。


「俺は室江先輩の後輩で、西澤といいます。『はじめまして』です」

 本当は違うが、彼女を不安にさせないように顕人は敢えて『はじめまして』と名乗る。すると彼女は室江の名前を聞いて「崇矢の」と少し微笑む。

「今日は突然伺ってしまいすみません。どうして、美須々さんに聞きたいことがあり無理にお時間を作ってもらいました」

「聞きたいこと? 私にわかるかしら」

 彼女は首を傾げるがまっすぐに顕人を見つめていた。

 こうして話すと、あの『二日間』とは本当に別人だ。話ができる、何より視線が合う。あの『二日間』は正面に立っても、彼女とは対面していないように気分になったから。


 顕人はカバンから定期入れを出すと、そこに入れていた草臥れた名刺を取り出す。

 その名刺は、見つけたときにぐしゃぐしゃに丸められていたため、かなり紙として痛んでいる。でも辛うじてそこに書かれている名前は読めた。


 安居院 綴


 名前だけで他に何も書かれていない。

 これは去年の春、晴臣が持っていた名刺だった。

 此処に書かれている人物が誰かもわからないし、そもそも何て読むのかもわからない。あんきょいん。そんな安直な読み方をして良いのかわからず、顕人は未だにこの人物の名前を呼ぶことができていないのだ。

 顕人は名刺を彼女に差し出すと「この人、知りませんか?」と問う。

 彼女は名刺を恐る恐る受け取ると、そこに書かれている四つの文字に視線を走らせる。

 だけどその瞬間、彼女は表情を崩す。

 顔をしかめて、何処か苦しそうに頭を押さえる。

 彼女の反応には、立ち会っていた北淀も驚きベッドに近づいて「大丈夫ですか?」と問いかける。彼女はその言葉には応えず食い入るように名刺を見ていた。

 そして彼女は、顕人が一年探していた答えを呟く。


「あぐい。あぐいつづる。安居院綴あぐいつづる。そう名乗って……」


 その言葉に顕人は衝撃を受ける。

 美須々と対峙したとき、何度も『去年の晴臣』を彷彿とさせた。何よりあの時の晴臣と様子が似ていた。もしかしたら。そう何度も思っていたが、彼女と晴臣は同じ『何か』に遭遇したのではないかと考えるばかりだったが……。

 彼らは、この『安心院綴』という人物に遭遇したということなのか。

 顕人は驚きながらも「この安居院って人は一体どういう人なんですか?!」と美須々に問う。

 彼女は名刺を手から零すと、両手で頭を抱えて苦しんでいた。

 その様子に北淀はナースコールで人を呼び、面会は終了した。


 草臥れた名刺だけが床に落ちて、妙な存在感を放っていた。

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