第23話『思索生知⑤-シサクセイチ-』

「それで結局何しに来たんだ」

 宮紡みやつむぐ准教授はご立腹だった。

 恐らく西澤顕人にしざわあきと滝田晴臣たきたはるおみが厄介事を持ってきたことを察したのだろう。

 まあ、昨日は、あまり深入りするな、と釘を刺されたことにがっつり首を突っ込んでいるわけだ。お小言くらい覚悟していた。

 顕人は晴臣と顔を見合わせると、昨日宮准教授の部屋を出てからの出来事を順番に説明した。

 函南彰子との遭遇、そして彼女との会話。

 顕人と晴臣が別行動を取り、顕人は教室棟で『田村八重子たむらやえこ』を発見、晴臣は『ペッパーハプニング』の犯人と思われる荒瀬川とその事情に詳しいのではないかと思しき『あんりちゃん』についての情報を得る。

 合流し、図書館で『ペッパーハプニング』の犯人であると思われる荒瀬川が通り魔に襲われた事件の概要を調べ、その帰りに今度は二人が通り魔に遭遇するが何とか事なきを得る。

 翌日、『ペッパーハプニング』関係者である『あんりちゃん』が何処の学部か知るため学生課に赴いたが空振り、代わりに明後日の『オープンキャンパス』の準備に来ていた函南が今日の午後『あんりちゃん』が来るかもしれないということ、何故か通り魔に襲われた荒瀬川が『オープンキャンパス』にエントリーしたことを知る。

 そして宮准教授の部屋の前で小金井と遭遇、彼女が荒瀬川と室江の確執について語った。

 顕人は昨日からの出来事をできる限り詳細に語った。

 宮准教授は始めの内面倒臭そうに聞いていたが途中からは諦めたような表情になり、物言いたげだったが結局最後まで口出しせずに話を聞いてくれた。

 しかしながら、通り魔に襲われた辺りの話から不機嫌そうな顔になっていた。眉間に皺を幾つも作り、きっと脳内では罵倒の言葉を錬成し続けているのだろうと思いながら、顕人は宮准教授の顔を見ないように話し続けた。

 話が終わると案の定、宮准教授は深く長い溜息をついて一言。


「お前達さ、前期で俺の授業取ってたよな? あれ、D判定な」


「えっ」

「うっそ」

 突然の宣告は顕人と晴臣を震撼させる。

 D判定、それ即ちその授業の単位未取得。それが大学生である二人にどれだけ重いことなのか。下手すれば卒業に響いてくるほどの出来事だ。

 まるで死刑宣告に近しい宣告に二人は声を出ない。そんな彼らを余所に宮准教授は続ける。

「何、妙な首突っ込んでるんだ、昨日『深入りはするな』って言っただろう、馬鹿なのか。他人の事情を嗅ぎまわってそんな危ない目に遭って。本当に室江のことを心配してやったって言うなら温情はやるが、お前達のことだから面白半分退屈凌ぎ半分ってところだろ? どうなんだ?」

「お、おっしゃる通りです……」

 宮准教授から捲し立てられるような勢いで、嘘をつく空気でないことを判断して顕人は白状する。すると宮准教授は渋い顔で「だろうな、馬鹿が!」と更に怒声を寄越すので顕人はがくりと肩を落とす。

 晴臣に至っては単位無しというペナルティに真っ白になっている。そういえば晴臣は文学部生だから顕人と一緒に取っている『学部共通授業』の他に宮准教授が担当している『専門授業』も取っていたはずだ。顔馴染みだし、多少、優遇してもらえるかと狙った結果だったが裏目に出たとしか言えない。

 とはいえ、顕人としても単位がないのは痛い。

『学部共通授業』は週に二コマの授業だから、他の一コマの授業の倍の単位を失うのだ。後期で何とか挽回しなくては……。

 顕人と晴臣も深く落ち込んでいるのを確認して、宮准教授は息をつく。


「とはいえ、俺がああだこうだ言って、お前達の行動を煽ったのも自覚してる。……だからD判定は撤回する」

「センセー!」

「でもレポートは厳しく採点するからな。舐めた内容のうっすいレポート出してきたら容赦なく切るから覚悟しとけ」

「「はい……」」

「よし」

 宮准教授はそう言うともう一度息を付く。

 昨晩二人が通り魔に襲われたことに責任を感じているのか。そんな必要ないのに、と顕人は内心思う。しかしながら、D判定を回避できたのは大変有り難い。まだ挽回のチャンスがあるということだ。

 それはそれとして、もう此処まで首を突っ込んでいるのだ。顕人としては最後までやり遂げたいという気ではある。

 まず今一番知りたい事、それは―――。


「先生、この人を知ってますか」


 顕人はスマートフォンの画面を宮准教授へ向ける。そこには昨日午後の授業で盗撮した黒髪メガネの女子生徒。

 小金井が『美須々みすずさん』と呼んだ女性だ。

 宮准教授は訝しむように見ながら「拡大しすぎて輪郭ボケてんなあ」と呟く。この様子は知らないのだろうかと顕人は感じる。

「室江先輩はこの人を文学部二年生・田村八重子だと言いました。でもさっき小金井先輩はこの人を『美須々さん』と呼びました。先生は何か知りませんか」

 顕人がそう言うと宮准教授は写真を再度見つめる。そして「へえ、じゃあこの人が……」と呟く。


「先生、何か知ってるんですか? 小金井先輩は教えてくれなかったんですけど」

 晴臣が怪訝そうに呟くと、宮准教授は「まあ、そうだろうな」と返す。

「この人は一体どういう人なんですか? どうして小金井先輩はこの人が『美須々さん』であるということを室江先輩に知られたくないんですか?」

 顕人はスマートフォンに映る黒髪メガネの女子生徒を見る。

 前髪が長い上、メガネのせいで、表情が全く読み取れない。

『顔』がわからないのだ。

 表情も感情も、何も見えない。

 宮准教授が何か知っているなら、教えて欲しい。そんな気持ちで顕人は宮准教授を食い入るように見つめるが、宮准教授はただ肩を竦める。


「この人のことは小金井から報告を受けて知ってる。小金井がこの人のことを話さない理由も理解してるし、俺もそれに賛同する。悪いがこれはかなり個人の複雑な事情がある。それ故、俺はこの人のことは話せないし、室江に話すことも許可しない。もし万が一あのメモ用紙を書いたのがこの人だった時は、室江には『探したけれど見つからなかった』と報告してもらう」

 宮准教授は厳しい口調でそう告げる。

 生徒である小金井の言葉であれば、先輩とはいえ、多少は食い下がれただろう。

 でも宮准教授に言われればそうも行かない。

 顕人と晴臣は顔を見合わせて黙るしかない。

 この女子生徒に関しては結局何もわからないままなのかと顕人は肩を落としてスマートフォンを長机に置いた。


「それよりも、お前達が通り魔に襲われた理由って何なんだろうな」

 宮准教授は椅子から立ち上がり、食品棚の方へ行き宮准教授専用のカップを出してインスタントコーヒーを入れてまだ残っている電気ケトルのお湯を注ぐ。

 晴臣は「砂糖とミルク使います?」と声をかけるが、宮准教授は断るように首を横に振る。そのまま事務机の方に戻ると思ったが、宮准教授は長机の方へ来て先程小金井が座っていたパイプ椅子に座る。


「そもそも二十三日の夜に『ペッパーハプニング』の首謀者の思われる連中を病院送りにしたヤツと、昨日お前達の前に現れたヤツが同一人物かは定かではないが、それでも何故襲われたかだな。何か心当たりあるのか?」

 宮准教授はコーヒーを飲みながら二人に問う。

 すると晴臣は「もしかして僕たち、通り魔の正体に近づきすぎたからその口封じに、とか」と真剣な顔で呟く。

 顕人は「そんなわけあるか」とぼやく。


「どうして俺たちが襲われたかは一晩経ってもわかりません。荒瀬川さん達が襲われた話だって『ペッパーハプニング』のこと調べてたついでに知ったってだけですから。通り魔の正体とか、警察の方が調べてるでしょうし」

「だよな。でも狙われたのには理由があるはずだけどな」

「理由……」

 宮准教授にそう言われて、顕人は改めて通り魔に遭遇したときのことを思い出す。

 あの時は、あっという間だったということと、あまりの恐怖に動けなかった。

 でもきっと今考えればわかることがあるかもしれない。

 そんな気持ちで昨日のことを思い出そうとするが……やはり何もわからない。

 動けなくなり混乱していた顕人には、所詮動けなくなり混乱していた記憶しかない。

 鉄パイプにも対応していた晴臣なら何か見えていたかもしれないが……。


 そんなことを考えていたとき、ふと、顕人は思い当たってしまった。

 そもそも、体格の良い男性六人が相手でも素手で勝てると豪語していた晴臣が、何故、昨晩鉄パイプを持った通り魔一人を逃がしたのか。

 晴臣の身体能力なら、あの通り魔を捩じ伏せられたのではないのか?

 あの時、通り魔は鉄パイプを落としてしまったのだ。楽勝だったのは?

 そんなことを思いついてしまい、顕人はコーヒーを飲みきったばかりの晴臣を見る。

 晴臣は自分を見る顕人の強い視線に「何、どうしたの?」と不思議そうに訊く。


「……ハル、俺の気のせいだったら悪いんだけどさ」

「うん、何?」

「昨日の通り魔、ハルなら普通に勝てたんじゃないか? どうして逃がす隙を作ったんだ?」

 顕人がそう訊くと、晴臣は笑顔を貼り付けたままびくりと肩を震わせた。

 その反応に顕人は訝しむように晴臣を見る。

 晴臣は歪な笑顔を貼り付けたまま、視線をぐるぐる暫く彷徨わせた後、観念したように肩を落とした。

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