第22話『思索生知④-シサクセイチ-』
しかしそんな死にかかった空気に気が付かず、宮准教授と共にやってきた小学生女児は嬉しそうに小金井に近づく。
「あやちゃん、おはようございます」
そう言って女の子は満面の笑顔を小金井に向ける。
小金井の黒くてまっすぐな髪とは対照的に、やや色素の薄い癖っ毛。
また小金井の春らしいパステルカラーのワンピースに対して、紺色の何処か冬っぽいワンピースを着ている。
そう言えば小金井が『可愛い女の子のエスコート』と言っていたが、確かに可愛らしい。それだけに宮准教授との関係が気になる。
「えっ、宮センセー、既婚者だったんですか? こんな大きいお子さんが居たなんて」
晴臣が真顔で呟く。すると宮准教授は間髪入れずに「違う」と言いながら晴臣を睨む。
「この子は俺のマンションの隣人だ」
宮准教授は女の子の横まで来るとしゃがみ込み、彼女と目線を合わせる。そして「姫、挨拶してやって」と言うと女の子は大きく頷いて顕人と晴臣にその愛らしい笑顔を向ける。
「はじめまして、まつりかです。いつもつむぐくんがお世話になってます」
茉莉花と名乗る少女は深々とお辞儀をする。
その様子に宮准教授はご満悦で彼女の頭を撫でながら「流石は姫! でも世話してるのは俺の方だから」と笑う。
茉莉花は照れ臭そうに笑いながら宮准教授の腕に抱き着く。
「今日は絢お姉さんとお買い物に行くんだよな。可愛い服いっぱい見てもらっておいで」
「うん!」
宮准教授はそう言いながらまた茉莉花の頭を撫でる。茉莉花は大きく頷いて、小金井の横まで行く。
茉莉花がやってきて小金井に笑いかけると、小金井も笑顔になる。そこには先程までの何処か強ばった様子は感じられない。茉莉花は小金井の手を取ると恥ずかしそうに笑う。
「明後日ね、つむぐくんがまた学校につれてきてくれるって約束してくれたの。それでね」
茉莉花は小金井に手招きをする。小金井はそれに素直に従い茉莉花に顔を近づける。
近くに小金井が来るのを確認して、茉莉花はこしょこしょと小金井の耳元で何かを話す。
「へえ、そうなんだ。じゃあ可愛いお洋服探さないとね」
小金井が笑うと、茉莉花もまた笑う。
可愛いの連鎖というのはこういうことを言うのだろうか。
顕人は、先程まで殺伐としていた空気が『可愛い』に浄化されていくのを感じる。だがしかし完全に蚊帳の外という感じがする。
宮准教授もその様子を微笑ましいという様子で眺めていたが、カバンから封筒を取り出して小金井に差し出す。
「これで払ってくれってさ。足りないければ請求してほしいとも言ってた」
宮准教授の口振り的に封筒の中身は現金なのだろう。小金井は中身を一瞬確認すると「わかりました」と言いながらショルダーバッグに封筒を収める。
「で、これは俺から。二人で美味しいもの食べてくること」
宮准教授はそう言って更に別の封筒をカバンから出して小金井に差し出す。小金井は同じように受け取り確認するが、「ちょっと多すぎです」と宮准教授へ突き返そうとするが、宮准教授は「取っとけ取っとけ」と言ってそれを拒む。
「じゃあ姫、絢お姉さんの言うことちゃんと聞くんだぞ」
「はい!」
「じゃあ小金井、頼むな」
「わかりました」
「いってきます!」
茉莉花は元気にそう言うと、小金井の手を握る。小金井も茉莉花の手を握り返すとそのまま部屋を出て行ってしまう。
まるで仲の良い姉妹のようで、微笑ましい光景だ。
二人が出ていき扉が閉まると、宮准教授は事務机の方へ行き椅子にどかりと座る。そして先程茉莉花に向けていた保護者のような笑みはなく、呆れ果てたという顔で顕人と晴臣を見た。
「で? お前達は何してんだ」
その瞬間、『可愛い』が漂う穏やかな空気が死んだ。
殺伐とした雰囲気が息を吹き返す。
「えーっと、先生にちょっとお話聞いて欲しいなって思って」
顕人がしどろもどろになりながら呟く。宮准教授は「はあ?」と威圧的に答えるが、この空気を介していないのか、晴臣はコーヒーを飲みながら宮准教授を見た。
「茉莉花ちゃん、可愛いですね。でもセンセーとどういう関係なんですか?」
ただの隣人って感じじゃなかったなあ。
そうぼやく晴臣に、顕人は本当にコイツは勇気あるなあと内心驚く。よくもまあ、この重い空気で訊けるものだ。
だけど晴臣の質問に気が抜けたのか、宮准教授は溜息をつくと渋々という様子で口を開く。
「俺の友人が育ててる子だ。母親がいないし、友人一人じゃあ大変だから、俺もたまに面倒見てるんだ」
そう淡々と言い放つが、その吐き出された言葉に色々詳しく聞きたい単語があって顕人は思わず戸惑う。
友人が育ててる子?
友人の子供じゃないということか?
母親がいないとも言ったが。えっ、どういうことなんだ?
顕人がぐるぐる考えているのを余所に宮准教授は続ける。
「今日は友人と姫が新しい服を買いに行く約束をしてたんだが、昨日になって友人の取引先から連絡があって急にそっちに行かなくちゃいけなくなったんだ。俺が代理を任されたんだが、女の子の服はさっぱり解らんから、小金井に代わってもらったんだ。姫は小金井に懐いてるしな。俺が選ぶよりマシだろう」
「あー、だから冬っぽいワンピースだったんですね」
晴臣がそう呟くが、顕人も宮准教授同様女性の服なんてわからないので、そうだったのかと顕人は首を傾げる。そう言われればきっとそうなのだろう。
「でも何で、姫、って呼んでるんですか。茉莉花ちゃんでしょう、名前」
晴臣は怪訝そうに訊く。
本当に遠慮なく訊いていくなあ。
顕人はコーヒーを飲みながらただ傍観している。
宮准教授は少し考えて「そりゃあ……尊敬してるから、だな」と笑った。
尊敬。この准教授が、尊敬に値するものをあの少女にはあるのか。
顕人と晴臣は「へえ」と同時に声を上げると、宮准教授は「聞いといてなんだよ」と辟易したように顔をしかめた。
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