第24話『思索生知⑥-シサクセイチ-』

「実は……僕自身、まだはっきりしてなかったから言ってなかったことがあるんだ」

 滝田晴臣たきたはるおみは半ばしどろもどろという様子で西澤顕人にしざわあきとに語る。

「昨日通り魔が鉄パイプを振りかぶったのを止めて、相手の手首目掛けて蹴ったとき、マズイ、って思ったんだ」

「マズイ? どうして」

 視線をぐるぐると彷徨わせながら語る晴臣に宮紡みやつむぐ准教授は尋ねる。だけど晴臣は首を一度だけ横に振って宮准教授に視線を向けた。


「その時は理由がわからなかったんです。ただ、マズイことをしてしまった、そう思いました。相手が鉄パイプを落としたのを見たけれど、取り押さえようとは考えにならなかったんです。その代わりに僕は大声を出しました」

 そうすれば相手は怯むと思ったから。

 晴臣の中で何となく予感があったと言う。人が集まる状況になればあの通り魔は逃げていくかもしれない、と。案の定通り魔は逃げていった。

「警備部が来て、警察が来て、アキが放心してたから僕が代わりに状況とか何度も話している内に、その……あの通り魔、女の子だったんじゃないかって思って」

 晴臣が気不味そうに呟く。

 宮准教授も顕人も、流石に晴臣の言葉に目を剥いて驚く。

 あの歩道に佇む影のような姿。鉄パイプを掲げて向かってくる姿。歩道を逸れて逃げていく姿。順番に思い出すが、顕人の中ではあの姿が女性であったとは認識できなかった。

 戸惑う顕人を余所に、宮准教授は「どうしてそう思ったんだ?」と問う。


「あの時は多分感覚的にそういう風に思ってたんだと思うんですけど、一晩考えてわかったのは、まず鉄パイプの一撃を踵で受け止めたときに軽いって思ったんです。身体のラインははっきりとはわからなかったですけど、走ってきている時に痩せ型だなのはわかったんですけど、それにしたって一撃が軽かった。その後手首を狙って蹴った時にも男にしては手首が細すぎたし、単に痩せてるだけにしては骨も小さかったのかって思って」

 そう困ったように笑う晴臣に、顕人はただただ驚く。

 あんな命が危ないかも知れない状況で、そこまで観察できるか、普通。

 いや、晴臣の普通は、顕人のものとは違うのだ。六対一でも素手で勝てると豪語するヤツなのだから。

 そんなことを考えていると、ふと、今朝の晴臣の不思議な行動の意味するところを察してしまう。


「もしかして今朝函南かんなみ先輩に『あんりちゃん』さんの身長を確認してたのって……」

「昨日の感じだと、僕よりもちょっと低い感じがしたんだけど、『あんりちゃん』さんはどうなのかなーって思ったんだ。……僕達が調べ出して名前が上がった女の子って、『美須々さん』と『あんりちゃん』さんでしょ? 『美須々さん』の身長も小金井先輩に聞こうかと思ったんだけど、『美須々さん』に関してはこれ以上探り入れたら怒られそうな感じだし。そしたら残ったのは『あんりちゃん』さんかなって思うんだけどどう?」

 正直、どう、と訊かれても顕人は困った。

 そもそもあの通り魔が女性だったという驚いているのだから。

「でも、もし、『あんりちゃん』さんが通り魔だったとして、どうして俺達は襲われたんだ? そこがわからないんだが」

「僕らが『ペッパーハプニング』のついでに、荒瀬川さん達の通り魔事件調べてたから? 『あんりちゃん』さんは荒瀬川さんに自分の犯行だって知られたくなかった、とか?」

「だとしても、何故、『あんりちゃん』さんは自分の彼氏とその友人を鉄パイプでボコボコにしたんだ?」

「……痴情のもつれ、とか?」

 うーん、わからん。

 首を傾げる顕人と晴臣。

 その様子を傍観していた宮准教授だったがコーヒーを飲みながら同じように首を傾げる。

「その『あんりちゃん』が通り魔かどうかは議論の余地がありすぎるが、そもそも何処でお前達の動向を知ったんだろうな。お前達、別に『あんりちゃん』に会いに行ったわけじゃあないんだろう? 『あんりちゃん』が通り魔の犯人じゃなかったとしても、犯人は、何処でお前達のことを知った? 誰にお前達のことを聞いた? いつ? 図書館の近くで待ち伏せてたんだ。少なくともお前達の動きは知られてたんじゃないのか?」

 そう言いながら、宮准教授は一瞬話すのを止め「まさか此処に来るの見られてないだろうな」と渋い顔をする。その言葉に顕人と晴臣は顔を見合わせ、部屋の扉を見る。

 付けられていたどうか、正直、自信がない。

 けど今日はまだ何も身に危険は起こっていない。

 顕人は「多分、大丈夫です」と答える。宮准教授は訝しむ様に息を吐くと小声で「まあ、外にはコバルトがいるから大丈夫か」とぼやくが、その呟きは残念ながら二人には聞こえなかった。


「此処までの話で、先生はどう思います?」

 顕人が恐る恐る問いかけると、宮准教授は「だから俺は推理するタイプの准教授じゃあないって言ってるだろうが」とぼやく。


「確かにあのメモ用紙の差出人として一番有力なのは、『美須々さん』という感じはするな。あの人は室江に対しての匿名性を一番に気にしている人だ。自分とは知られないためのまどろっこしいああいう手順も踏んでいくだろうな」

 宮准教授は語る。

 が、結局『美須々さん』がどういう人なのか教えられていない顕人と晴臣にしてみたらその結論は腑に落ちない。

 彼女の『動機』が不鮮明だからだ。きっと彼女の素性もそのあたりに含まれているのかもしれない。

 晴臣は詰まらなさそうに「『美須々さん』って結局誰なのかわからないから、その結論が微妙……」と呟く。


「まあ、室江が卒業したら教えてやるよ。それまでお前達の興味が薄れなきゃな」

 宮准教授はそう苦笑する。

「次に『ペッパーハプニング』の首謀者は、運動部内の噂からしてその荒瀬川だとして、そいつらを襲ったと思われる通り魔が何故お前達のところに来たか、だな。お前らが『ペッパーハプニング』を調べていると思ったか。でもはっきり言うが、お前達の調査能力なんてたかが知れてるだろ? お前達が調べられることなんて、もう学生自治会が前調査でとっくに調べがついてそうだけどな」

 宮准教授はそう言いながら笑う。

 その笑いに顕人は腹立たしいものを感じるが、同時に、確かにと納得してしまうのだ。自分達が、昨日聞き回ったことなんて、学生自治会『サモエド管理中隊』が既に調べていそうなことばかりだ。

 確かに何故襲われたかがわからない。

 顕人が首を傾げていると、宮准教授は「まあ、通り魔であるかどうかは兎も角その『あんりちゃん』に会ってくればいいんじゃないか?」と言いながらコーヒーを飲む。


「滝田の観察眼なら、その女子生徒が昨日の通り魔かどうかわかるんじゃないか? 午後に来るんだっけ?」

「そうみたいです、荒瀬川さんの所属するバスケ部が急に『オープンキャンパス』に参加申し込みしたらしくってその手続きを『あんりちゃん』がしてたって。だから函南先輩は今日の午後からの準備に来るんじゃないかって」

「……でもどうして荒瀬川さんは急に『オープンキャンパス』に出ようと思ったんだろうな」

 そう顕人が呟くと、宮准教授は驚くべきことを口走る。


「そりゃあ、室江が参加するからだろ」


 その言葉に顕人と晴臣は驚きに震える。

 宮准教授はコーヒーを飲みながら他人事のように続ける。

「さっきの話で、荒瀬川が室江に恥をかかせたくって『ペッパーハプニング』を企画したって話を正しいと仮定する。でも室江は正門からではなく裏門から帰ってしまったためそれが叶わなかった。それなら次の舞台として選んだのが『オープンキャンパス』の部活PRタイムだったらどうだ?」

「えっ、室江先輩って何か部活とかしてるんですか?」

 あまりそういうイメージはないが……。

 晴臣も知らなかったようで驚きながら宮准教授に室江の部活について訊く。すると宮准教授は「弓道部だぞ」と答える。

 まさかのスポーツ系部活……。二人は更に驚く。


「今回の『オープンキャンパス』では的あてを披露するって言ってたな。姫も明後日それを見に来るんだ。姫は室江を慕ってて、今日は明後日着るための服も選ぶって今朝言ってた」

 微笑ましい話だよな、と宮准教授は笑うが、顕人はちっとも笑えなかった。


「それ拙くないですか。もしかして荒瀬川さんは室江先輩の的あてを失敗させて恥をかかせるつもりなんじゃないですか? 万が一、矢が観客に当たったら恥どころの騒ぎじゃあ済みませんよ?!」

 顕人がそう言うと、晴臣も迫り来る大惨事を想像して顔を青くする。

 しかしそれを聞きながらも宮准教授は顔色を変えない。


「はあ? そこまでわかってるなら、お前達がどうにかしてこいよ? どうせこの後、その『あんりちゃん』に会いに行くんだろう? 仮に『あんりちゃん』が通り魔の犯人なら荒瀬川の思惑に協力してるのも不自然だ。そのあたり聞いてみたら、案外明後日の思惑阻止に協力してくれるかもしれないぞ?」

 そう簡単に言ってのける宮准教授に顕人は急に頭が痛くなってきた。

 あれ、もしかして、今エライことを押し付けられたのでは?

 退屈凌ぎにこんなことを始めたツケを払わされた気がして顕人は気が遠くなるようだった。

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