第13話 大人女子な加奈

 店番2日目、俺は開店1時間前にはもう『まさやんの本屋さん』に着いていた。


「くぁ~……」


 あくびがつい出てしまう。昨日は、よく眠れなかった。その……、加奈のことをつい考えてしまって。小学生のとき以来、高校生になってまた突然再会したんだ、無理もないだろ。俺はそのことに舞い上がってしまった部分があって。見た目が大人っぽくなっていたことに、思わず目を見張ってしまった。でも、話したら小学生のときみたいな親しさが今も残っていて、嬉しかった。仲の良かったあの頃に、戻れた気がした。だから、これからも加奈と一緒に――、


『デートってわけじゃないから気にし過ぎちゃダメよっ! 緊張しないように!』


 ふと、昨日の風花姉の言葉が脳裏によぎる。喫茶店で一緒にお昼を食べに来なさいと誘われた際言われた余計なこと。俺の胸が変にまたざわつき始める。俺は昨日、柄にもなく内心慌ててしまった。加奈は普通にしていたのに。


『あははははっ。風花お姉ちゃん、何言ってんだろうねっ。ねっ、太一くん』

 

 加奈の作り笑いも一緒になって鮮明に蘇ってくる。気に留めていないような、加奈のあの雰囲気が、俺だけ意識してしまっていると突きつけられているみたいで……。気持ちがへこむというか……。


「って違う違う!! そ、そうじゃないだろ!? な、何変な事考えこんでんだ、俺はッ!」 


 昨日の夜、自室で考えていたことをまた繰り返していた。頭を軽く左右に振り、店内のバックヤードに行った。取り合えず店の準備にかかろう。照明や冷房を付けた。

 昨日、風花姉にからかわれたことや、加奈の何でもないような作り笑いに、いつまでも尾を引いている場合じゃないだろ。俺と加奈の関係は、友達だ。そう、小学生のとき仲良かった友達。俺と加奈は、それを望んでいるんだから。

店内に戻り、『まさやんの本屋さん』と書かれてあるエプロンを付けて、背中の後ろにある紐をキュッときつめに結んだ。自分のなんだかうわついている気持ちも引き締めるかのように。


 店内を歩きながら、本棚に空きがないか、並びが乱れてないかなど、チェックしていく。気持ちが仕事モードに持っていかれる。そのことに安心感を感じた。でも、そわそわした気分は完全に拭えたというと、そうでもないんだけど。


 1人つぶやく。



「普通。普通に接すればいい。昨日みたいに、楽しく。それで、普通に加奈をお昼に喫茶店へ連れて行く。良し! それでOKだ」


 すると、キィ、っと静かな音が響いた。俺の心音が大きく跳ねる。店のドアが開く音だったから。

 気持ちが高ぶる。あ、焦るな。冷静になれ。落ち着いて。

 俺は店のドアの方へ勢いよく顔を向けると同時に、口を開いた。


「おはっ…………!?」


 挨拶の言葉は最後まで言えなかった。だって俺は、目を奪われてしまったから。綺麗で可愛い服装をした、加奈に。


 モスグリーンのふわりとしたスカートにまず目がいった。女の子らしい装い。膝丈くらいのスカートの先からは、細くて白い足を覗かせていた。とても滑らかで綺麗で。足元の黒のパンプスがアクセントとなり、上品で嫌味の無い美しさに仕上がっている。つい見惚れそうになった。慌てて自分の目線を持ち上げる。トップスには、ゆったりとした白のノースリーブブラウスを合わせていた。シンプルながらも、肩口にはレースのフリルがあしらわれ、加奈の女の子らしい華奢で丸みのある両肩を愛らしく飾る。膨らみのある胸元には、透明感のある水色の小さなストーンが付いたネックレス。艶やかな黒髪は、淡いピンク色の小さなリボンでゆるく後ろに纏められていた。全体的に控えめながらも綺麗で可愛い大人女子的な雰囲気。

 昨日はジーンズに、白シャツ、薄いカーディガンと、カジュアルであっただけに、その大きなギャップに魅了させられる。


「お、おはよっ、太一くん」


 少しためらいがちに言う加奈の可愛らしい声。ハッとした。


「おっ!? おはよ……!」


 と、やっと朝の挨拶を加奈と交わした。


 加奈が少し俯きながら俺に近づいてくる。距離が近づくにつれ、俺の鼓動が大きく脈打ち、冷静さを意識するのに必死だった。って俺は一体何してる!?

 加奈が、俺の目の前まで来た。気のせいか、空気全体がとても暑く感じる。いや、俺の体温が高いせいか? いや、きっと冷房の効きが悪いからだ。きっとそう。

目の前にいる加奈が、俺より背が低いのもあり、上目遣いで少し申し訳なさそうに口を開いた。


「えっと……、来るの遅かった? もしかして、ち、遅刻?」

「えっ!? いや、全然そんなことない! 開店30分前に来てるんだ、むしろ早いって」

「そ、そう? でも、太一くんより遅く来るのも悪いし、私も明日から同じ時間にこようかな?」

「いや大丈夫! 今日はたまたま早く来すぎただけだから。いつもは、今日の加奈と同じ時間帯に来てる。だから気にしなくて良い」


 俺が慌てながらもそう言うと、加奈は少し考える素振りを見せた。でも口元を緩めて、「うん、わかった」、と目を細めて明るく微笑んだ。俺の胸の内が熱くなる。そりゃそうだ、だってこんな可愛い装いの女子に真っ直ぐな笑顔を向けられたことなんて無かったから。なのでこれは、加奈だから俺の胸が特別に大きくざわついてるんじゃないと、強く自分に言い聞かした。


「た、太一くん」


 加奈がおもむろに尋ねる。俺は固い表情で口を動かした。


「な、なんだ?」

「あ、あのね。ど……、どうかな?」

「えっ……?」


 加奈が急におどおどしながら聞いてきた。俺は何のことか分らなかった。すると加奈が、少し高い声で早口に話し始めた。


「ええっと!? べ、別に深い意味はなくて!? そ、その!! 今日のお昼! ふ、風花お姉ちゃんの喫茶店に行くでしょ!?」

「お。おう!?」

「あ、あんまりラフな服装はダメかなって、思っちゃって……!! ちょっと、き、気合入れ過ぎかな?」


 加奈が恥ずかし気に、清楚なモスグリーンのスカートを指先で軽くつまみ持ち上げる。トップスは、肩口にフリルが飾られた白のノースリーブブラウス。胸元には透明感のある水色の小さなストーンが付いたネックレス。黒髪は、淡いピンク色の小さなリボンでゆるく後ろに纏めていて。全体的に控えめながらも、綺麗で可愛い、大人女子的なバランスの取れたコーディネート。何も文句の付けようもない。


「いや、そんなことないと、お、思うぞ」

「そ、そう?」

「お、おう」

「そ、そっか。うん……。ふふっ、良かった」


 加奈の口元が優しく笑った。胸元辺りで両手の指先を軽く合わせながら。その可愛らしい仕草に、俺の脈が大きく乱れる。俺はさっきから加奈の装いといい、表情といい、心が乱されてばかりだ。


「ねえ? た、太一くん」

「ん……? ど、どうした?」

「え、えっと……、た、太一くんは、ど、どう思う?」

「え……?」


 俺は声を詰まらせた。加奈が少し伏し目がちに、でも俺の答えを待ってくれていた。これは、俺の感想を聞きたがっていると、すぐに分かった。でもこういうとき、どう答えたら良いのだろう。『似合っている』『可愛い』と頭の中では浮かんでいた。でも口に出すのがためらわれた。そんなこと言うべきじゃない。心の中でブレーキがかかってしまい、俺は――、


「変じゃない、よ」

「えっ?」


 加奈が目を丸くする。そして、さっきまでほがらかな表情だったのが、急に暗くなった。


「そ、そっか……」


 加奈がぽつりと呟く。急にお互い静かになってしまった。すごく気まずい空気に、俺はつい慌てて嘘をついた。


「お、俺、ちょっとバックヤードでやることあるから」

「あっ、う、うん」


 バックヤードに早足で向かった。逃げるように駆け込むと、俺は荒ぶる心を必死に落ち着かせる。

 加奈の寂し気な顔が、俺の胸を痛いほど締め付ける。どう応えればよかったのだろうか。いやいや普通に、『可愛くて似合ってるよ』と言うべきだった。でもそれを言うのがすごく恥ずかしくて、加奈に余計な誤解を与えるんじゃないかと。くっ! い、今からでも遅くない! 加奈のところに戻って『可愛くて似合っている』と言いに……、ばっ、バカか俺は!? そ、そんなことしたら加奈がすごく気まずいだろ!? そ、それに、お、俺も……!

 俺は混乱する頭を抱えて、つい苛立ってしまう。ふと加奈の今の服装を思いだしてしまう。綺麗で可愛い姿が、頭から離れてない。

 ふと、加奈の肩口が開いたノースリーブスのブラウスが気になった。夏の熱い外には良いが、冷房の効いた店内は……。

 気づいたら俺は、冷房の温度パネルに手を触れていて。通常の温度設定よりも2度上げていた。そんなことしている自分に思わず顔が熱くなってしまった。恥ずかしくてこのままバックヤードにいたいが、そうもいかない。


「し、仕事だ……! し、仕事!!」


俺はそう強く自分に言い聞かし、店内へ勢いよく戻った。そして、待ってくれていた加奈と一緒に、店番を始めた。

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