ガブリエラと死の舞踏(6)

「パーシヴァル・マクナイト」

 澄み渡った空間に声が反響する。

 塗り替えられたばかりだという白壁。ステンドグラスに描かれた御子と使徒たち。その苦難と祝福に満ちた物語をシシクは思い起こす。

 ここは聖堂。

 シシクが神聖なこの場所に足を運ぶことは滅多になかった。改宗し、多言語を習得しやすいようにと一字一句聖書を覚えた彼だが、信仰心など皆無だからだ。だが今、彼は小さな主人に手を引かれ、神の家の床を踏みしめている。そして彼らの前で語るのは、背筋の通った聖職者だ。

「パーシヴァル。これが、墓地にて遺体で発見された神父の名です」

男は深い溜息をつく。

「前にも似た殺人事件が二件、あったばかりです。真夜中の犯行とはいえ、皆さん怖がってしまわれて。いつもならもっと沢山の方がここを訪れるのですが」

 見渡せば、だだっ広い屋内には二、三人の信者の陰がポツリポツリとあるだけだった。長椅子に腰掛けたり、寄りかかって祈りを捧げたりと各々自由に過ごしている。その小さな声の祈りが微かに聞こえてくるほど、荘厳な静寂に支配されていた。

「とうとう私共の兄弟まで手にかけられてしまい……。警察には伝えましたが、墓守でさえ犯行に気づけなかったというのですから困ったものです」

 シシクがチラリとガブリエラを確かめると、曇った表情を浮かべていた。彼の燕尾服の裾をぎゅっと握り締めている。

 聖職者は目を閉じ、静かに十字を切る。

「今はただ、兄弟が父なる神の御元へ導かれんことを願うばかりです。……それでは、ごゆっくりどうぞ」

 そう一礼すると、彼は靴音を立てて去って行った。黒い影が見えなくなった後、ふたりは目に付いた長椅子に腰掛ける。曇った表情のまま、ガブリエラは目を閉じて手を組み、祈りを捧げた。

 と、その小さな横顔に哀しみの影が落ちた。その目の端に薄っすらと涙が溜まったが、手に力を込め、泣くのを我慢しているのは明らかだった。物静かな教会だからか、はたまた別の理由があるのか。

 ハンカチで涙を拭い、声を押し殺す彼女の肩をシシクはそっと抱き寄せる。すると、彼女の方から抱きつき顔を彼の胸元に擦り付けた。それでも、細やかな嗚咽が漏れるだけ。シシクは震える小さな背中をただ撫でるばかりだった。

 暫くして、主人が落ち着いたところで彼は口を開いた。いつの間にか、他の参礼者はいなくなっている。

「どっかで聞いたことがある姓だと思ったら、ジェイク・マクナイトの親族か」

「ええ。パーシヴァルおじさまはジェイクおじさまの弟よ。小さい頃から教会に従事してて、あまり会えなかったのだけれど、とてもチャーミングな人だったわ」

鼻をすすりながら、ガブリエラはあらぬ方向を見つめる。

「ジェイクおじさまみたいに優しくて。素敵な人だった。ああ、それなのに……」

再び涙を溜めながらも、ガブリエラは掻き消すかのように首を横に振った。

「ごめんなさい。前に進まなきゃ」

 シシクとしては、我慢せず感情の赴くままにして欲しかった。それがガブリエラの選択ならと口を噤んでいるが、彼女はまだ十二歳なのだ。我儘が過ぎるお転婆姫だが、無邪気なままでいて欲しいとも思ってしまう。

 彼が悶々としていると、ガブリエラは手帳を取り出すよう指示した。それは様々な怪奇現象に関する情報を記しているもので、移動する際はシシクに預けている。

「あのね、この前新聞を貸してくれたでしょう? おかげで色々とわかったの」

 シシクから手帳を受け取ったガブリエラは、そこに挟んでおいた地図を広げる。そしてシシクに地図を渡すと、自らは万年筆を用いて港を指し示す。

「第一の殺人。浮浪者は元貿易船の船員。ジェイクおじさまの船、セント=カタリナ号に乗っていたの」

 次に万年筆が指したのは、先日娼婦と遭遇した路地裏だ。

「第二の殺人。あの貴族、名前はデニスというのだけれど。東インド会社に所属してた。どっちも、パパに見せたら教えてくれたの」

「よく咎められなかったな」

「ジェーンに代わりをお願いしたの。おじさまがいらっしゃった日にお着替えしてたでしょう? あの時に」

 不意に口を止めた少女は、そのまま目を細めて首を捻る。

「彼女ったらあなたがいないと素直ね、何故かしら?」

「本当、何でだろうな……」

 心当たりがまったくない。何かした覚えもなければ、ジェーンとはクロフォード家に仕えるまで面識すらない。故に、考えてもあまり意味はないとシシクは判断する。

「私、思うの。犯人はジェイクおじさまを恨んでる人とか競争相手じゃないかって」

 自ら覇権を勝ち取り、男爵にして貿易商の先駆けとなったジェイク・マクナイト。そんな彼を疎ましく思う者は少なくはない。ましてや彼は、東インド会社に所属していた。今は衰退の一途を辿るそのメンバーが、彼を疎まないとは限らない。

「貿易商人って命懸けね。パパは、何もなくて良かった」

「……そうだな」

 頷くシシクは首筋を掻き、何処か苦々しい表情を浮かべていた。が、ガブリエラは気づかない。

「なら、次に狙われるのはマクナイトということになるのか?」

「そうかもしれないし、もしかしたら奥さんかも……」

奥さん、の部分で翳りがついたのは、嫉妬心からだろうか。「でも安心して。おじさまはフェンシングの大会で何回も優勝しているし、実戦経験もあるの」

 パパとは大違いよ。

 そう、朗らかに微笑むガブリエラに、シシクは再び心の中でエドワードに合掌する。一度健康のために少しは運動すべきだと進言したが、馬耳東風で終わった覚えがある。ガブリエラがこう言っていたと伝えた方が効果的かもしれない。

「何にせよ、おじさまが心配だわ」

 ガブリエラは手を組み、祈るかのように目を閉じた。マクナイトの無事を、神に願っているかのように。そんな彼女の傍らで、シシクは何処か心の内が騒めいて仕方がなかった。

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