ガブリエラと死の舞踏(5)
「お久しぶり、ジェイクおじさま!」
庭先に着いた途端、ガブリエラはお目当ての人物を見つけて駆け出した。
「やぁ、ガブリエラ! 大きくなったね。元気だったかい?」
「ええ、おじさま! 最後にお会いしてからもう三年経つのね」
ジェイク・マクナイトは一見静かな壮年に見えた。ウェーブがかった栗毛を長く伸ばし、オールバックにしている。丁寧に整えられた髭は気品に満ちていた。そんな彼は男爵でありながら、自ら様々な航海に出、覇権を勝ち取ってきたらしい。そう説明を受けれなければ、社交場よりも荒波に飲まれながら舵を切っている方が似合いそうだ。少々焼けた肌もそれを伺わせる。
シシクはガブリエラの後について行く。彼女の衣装が庭に植えられた薔薇の棘に引っかかっていないか確かめなければならないからだ。このお転婆姫は、見張っていないとすぐお高い召し物を汚す。
「やぁ、君がヒノモト人の従者かい?」
そんなシシクに気づいたマクナイトが歩み寄って来る。ガブリエラが最後に会ったのは三年前だが、その際彼は別件で傍にはいなかった。これが初対面となる。風が舞い上がり、ふわりと微かな薔薇の香りがした。華やかなそれは女性もので、奥方とお揃いらしい。彼は愛妻家としても知られているのだ。
「お初にお目にかかります、マクナイト様。シシク・サクラマと申します」
静々と一礼するシシクに、マクナイトは感心の眼差しを向ける。
「立派な好青年じゃないか、ガブリエラ。作法も佇まいもしっかりとしている。ヒノモト人か……。失礼だが、訛りも少ないとは珍しいね」
「ええ、
――人前でその呼び名はちょっと恥ずかしいな〜……。
彼は内心口に出したかったが、これも人前なので我慢する。だが、ガブリエラに褒めて貰えるのは素直に嬉しかった。
「大したものだね。ああそうだ、ヒノモトと言ったら巷で話題だよ。二年前に条約を結んだばかりでね。私は総領事に頼み込んで同行させて貰ったんだが、これからは渡航しやすくなるはずさ。あちらはサコクとやらを行なっていたそうだが、君はよくここに来れたね」
「鎖国といえど、まったく国交を断ち切っていたわけではありません。ある異国の学者に手助けいただきました。国を出て多くを見聞したいと申しましたら、快く協力していただいたのです。様々な国を訪れまして、今はこちらに身を置かせていただいております」
妙にスラスラと答えるシシクの言葉をマクナイトは神妙な面持ちで聞き入っている。
ヒノモトでは渡航禁止令が出されており、イギリスをはじめ各国との通商条約を結んだ現在でも幕府の許可なしに海外へ渡ることは罪に問われるという。そのような状況下でこの国にヒノモト人が住んでいるというのは奇跡のような話だ。ましてや、一貴族の家で従者として雇われているというのは前代未聞だった。
「君のその勇気に惚れたよ、サクラマ君。今後ともガブリエラをよろしく頼む」
ポンと肩に乗せられた手には重みがあり、シシクは目を細める。手袋の下のそれは硬く厚く、相当鍛えていることが伺える。その左手に携えたステッキが得物に思えるとのは、彼の考え過ぎだろうか。
「ありがたきお言葉、心より御礼申し上げます」
再び頭を下げながらも、シシクは半ば置いてきぼりを食らったガブリエラが頬を膨らませていることに気づく。これは後で、ヒノモトについて話せと命じられそうだ。
「そういえば一週間後の日曜日は空いているかね?」
マクナイトがガブリエラに向き直った途端、少女は一気に明るさを取り戻す。
「ええ。その日は丁度何も予定は入れてないわ」
そうよね、シシク? と振り返ったガブリエラにシシクは小さく頷く。
「なら、うちに遊びに来るといい。ああ、そうそう。いつものマリアではなく、サクラマ君を連れてね」
フレンドリーに片目を瞑るマクナイトに、思わずふたりは顔を見合わせる。
「ええ、シシクでよろしければ!」
「お招きいただき恐悦至極にございます」
目を輝かせて飛び跳ねるガブリエラ。その反応をマクナイトも嬉しく思っているようで、笑みを浮かべて頷いている。シシクはといえば、あまり乗り気ではなかった。招かれた、といえども従者が主人並みの持て成しを受けるわけではないのだ。強いて言えば、ガブリエラに万が一のことがあれば、すぐに駆け付けられる点だけは安心できる。
「それでは、次の日曜日。楽しみにしているよ」
朗らかに別れの挨拶を述べて、マクナイトは去って行った。これから妻との約束があるのだと、微笑んでいた。去り際に渡された、ヒノモトの土産だという張り子の犬を手に、ガブリエラはひとりときめいている。
「はぁ~……やっぱり素敵だわ、ジェイクおじさま」
上の空でマクナイトとの会話を思い返すガブリエラに、シシクは欠伸を噛み殺す。
「お呼ばれして良かったな、ガブリエラ」
「ええ! うんとお洒落していかなくっちゃ!」
恋焦がれ、くるくると舞い踊る少女がシシクには眩しく思える。と、同時にドレスの裾にいくつかの薔薇の棘が刺さっていることに気づいてしまい、彼は頭を抱えた。
*
カタカタと嗤う声。ジグジグと軋む音。
骸骨の群が踊り、騒ぐ。彼らは仲良く手を繋ぎ、愉しげにステップを踏む。
その輪の中心にひとり、神父が固まっていた。
骸骨たちとは打って変わり、恐怖と冷や汗に塗れたその顔に希望の色はまったくない。
まるで誘うかのように手を差し伸べながら、骸骨たちは徐々に神父との距離を詰めていく。
きらり。十三の小さな光が彼の映る。
同時にひとつの手が、彼の口元を押さえ、そして。
悲鳴をあげることすら許されず、彼は事切れた。
その身体からは血が流れる。十三ヶ所の傷から、ジグジグと。
悪魔に出会ったかのように、歪んだ顔を骸骨たちは繁々と眺める。
そして、ひとりが腕をあげると彼らは一斉に遺体を持ち上げた。
運び込んだのは人ひとり入れるほどの穴。ぽっかり空いた暗闇の中に、彼は放り出される。
土をかけ、その身体を埋めていく。
それでも彼らは神父の顔から目を離さない。
憑りつかれたかのように、ジッとそっと覗き込む。
何処からか鶏の声が鳴り響く。鐘の音よりも早く、朝を告げる声が響く。
それを合図に骸骨たちは墓場を去って行った。
残されたのは、不幸な神父の亡骸のみ。
半身が埋まり、土に塗れたその顔は、苦悶に満ちている。
嗚呼、もっと眺めていたかった。
そう口惜しそうに、ひとりの骸骨が振り返った。——
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