第19話 初めての勝利

「でさ、その時父ちゃんこけたんだよ!」

「あったあった! 膝怪我してた!」

「そうなんだ! 聞いてる限りスマートそうな人なのにね」

 森林街の小道を進んでいく。銅像の場所に行くために通る道とは違って、ある程度整備されている。正規ルートのうちの一つだ。だがひと気がないのでマゴラは手の上に乗せてくれた。凜太を右隣にして、マゴラを見上げる。

「普段はかっこいいんだよ」

「すごく優しいしー」

 マゴラが一歩踏み出すたびにゆったり体が揺れる。マゴラの足が地面にたどり着くと少し沈んで、また浮遊感。お腹がたまにひゅっとなるのが実は好きだ。

 マゴラはたまに話しながら下を向く。そばかすの散った顔に笑顔が咲く。ふわふわの髪の毛が風に揺れ、眉毛が優しげに下がる。こういう柔らかい表情を見るのも好きだ。

 どこまで続くのかと思うほど大きい木も葉も、高い空も。時々滑空する鳥も、さわさわと鳴る葉も、さくさくと地面を踏む音も。地球と変わらないものが、とても特別に見える。

「かっこよさはオレに似たんだな!」

「えー似てない!」

「そもそも凜太が似るんじゃない?」

「なんだよ、二人して!」

 ぶすっと頬を膨らませる凜太。マゴラと目が合って笑ってしまう。

 こんな三人のやり取りも好きだ。これがこれから日常になるなら嬉しい。

「マーゴーラーくんっ」

「……!!」

 体がぐわんと揺れる。尻が不安定な足場を捉える。気づいた時にはマゴラのポケットの中だった。

 凜太と不安げな視線を交わす。そして上を見る。

「見つけちゃったなぁ。ラッキー」

「すごい偶然だよね、エレス!」

「そうだね」

 マゴラの表情は強張り、体は固まっている。その瞳は恐怖に塗られている。このままではマゴラがまた傷ついてしまう。

「マゴラ!」

 ポケットから凜太が叫ぶ。

「走れ!」

 思わず続けて叫んでいた。

 いじめっ子たちが「何か聞こえた?」と会話をし始める。マゴラはその様子を素早く観察して、パッと身を翻した。

 大きく揺れて凜太と位置がぐちゃぐちゃになる。

「鈴ちゃん、ごめん! 踏んでる!」

「平気!」

 凜太に構わずポケットの隙間を覗く。網目を掴んで体を支えながら、その隙間を広げる。茶色の道がどんどん過ぎていく。左右の樹木も遠くなっていく。

「あれ! 待て!」

「なに逃げてんだよ!」

 後ろから大きな足音が聞こえ始める。その音は徐々に大きくなっている気がする。このままではマゴラは追い付かれてしまうかもしれない。

「鈴ちゃん見せて!」

「凜くん」

 凜太が鈴子の右に顔を出し、同じように外を覗く。

「右!」

 凜太が叫ぶ。マゴラは条件反射のように右の茂みに飛び込んだ。そこは人が走れる程度に木がまばらだった。足場が悪いので転んだら終わりだ。だが人を撒くには都合がいい。賭けだ。

「あっ!」

 背後から声が飛び出す。意表をつけたみたいだ。

「左! 木が密集してる!」

 凜太がまた指示を出す。マゴラはまた曲がる。木の感覚が狭まった。マゴラはわざと木の影をジグザグに走っていく。

「逃がすかよ!」

 いじめっ子の声は先程より遠い。確実に距離が開いてきているようだ。

 あたりに視線を走らせる。どこかやり過ごせる場所はないだろうか。走り続けてもいずれ捕まってしまう。

 まわりはひたすら木。茂み。土。砂。岩。緑や茶色が視界を埋める。次々過ぎ去っていく。絵の具をまき散らしたみたいに過ぎていく。

「うわっ」

 視界ががくんと下がる。体が不規則に揺れる。その揺れが収まると土ぼこりが舞った。どうやら何かの穴に落ちたらしい。

「草で隠して!」

 マゴラが反応して周囲に落ちている葉をかき集める。ポケットから上を見ると、生えている草もうまい具合に穴を隠していた。口を手で押さえる。

 少しして二人分の足音が聞こえてきた。

「どこ行った? 見失った?」

「やばいよ。エレスに怒られる」

 バゴウとテンカンの声はすぐそばだ。凜太と視線が合って、手を繋ぎあう。

 近くで木や葉をどける音がする。だがその音はじきに止み、足音は遠くなっていった。そのあともしばらく待つ。

「……行った?」

「たぶん……」

 そっと手を離す。そして二人同時に息を吐きだした。

 逃げ切った。どうやらやり過ごせたらしい。

 マゴラを見る。マゴラは魂が抜けたかのようにぼんやりしていた。

「マゴラ大丈夫?」

「……ああ、うん。なんかびっくりして」

 ほんのり汗をかいたマゴラはぎこちなくポケットを見てくる。

「逃げ切れたん、だね……」

 そしてへにゃりと口角を上げた。それを見た途端、胸に熱い塊が落ちてくる。ふつふつと煮えたぎるそれは喉元をせりあがる。大きく口を開ける。

「そうだよ!」

「すごいな!」

 笑顔で言うと、マゴラは目を細める。

 マゴラは辺りを見回してから立ち上がった。そこら中についた土や泥、葉を払っていく。

「二人の指示がなかったら無理だった」

「でも走ったのはマゴラだよ」

「勇気をくれたのは、鈴子と凜太だ」

 あらかた作業を終えたマゴラはバゴウとテンカンとは逆方向へ歩き出した。辺りを警戒しつつもその足取りは軽やかだ。その様子を見ていると、言う言葉が自然と見つかる。

「三人の力だね」

 マゴラは思った通りの表情をした。その視線にはどこか自信が見える。

 マゴラのことを初めてかっこいいと思った瞬間だった。


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