第18話 共犯者

 開けた窓から生暖かい風が入ってくる。夏をはらんだ風だ。じわりと鈴子の額に汗がにじむ。宙を掻く仕草をして、鈴子は目を覚ました。静かに体を起こして、右を見た。布団を遠くに蹴飛ばした凜太が寝ていた。

「凜くん、おーきーてー」

「んぅ……」

 その体をゆさゆさ揺する。凜太は無意識に手を押しのけてきた。それでも揺らすのをやめないと、凜太は顔をしかめる。

「んー……」

 そしてとうとうその目を開けた。何度か瞬きをして鈴子の姿を捉える。

「早起きだね……」

「マゴラに会いに行こう!」

 嬉々として言えば、凜太はすぐにハッとした表情になる。それは笑みに変わった。どうやら考えていることは同じのようだ。

「まだ朝だけど」

「会えそうな気がする」

 顔を突き合わせて笑いあうと、いそいそと一階に下りて行った。純子は既にリビングにいる。なるべく刺激しないようにキッチンに行き、朝食を用意する。トースト一枚という簡素なものだ。

 それを持ってダイニングテーブルに腰掛ける。早く食べればその分早くマゴラに会える。凜太も珍しく目の前の食事ではなく、その先のできごとに夢中な様子だった。

「今日、武帰ってくるから。あまり遅くならないで」

「えっ、うん!」

「わかった!」

 目の前を見る。向かいの席の凜太が目を見開いている。たぶん鈴子も同じ表情だ。

 父に会える。幸せすぎて今にも叫びだしたい気分だ。だがここで騒いでは純子が怒るに決まっている。あとで話そうと目配せしあって、残りの朝食を詰め込んだ。

 使った皿を手早く洗ったらすぐさま家を飛び出した。

「父ちゃんだって!」

「嬉しいね!」

 ドアが閉まった瞬間走り出していた。凜太とわいわい騒ぎながらつつじまで行く。ためらうことなく突っ込んだ。

 会えるのはいつぶりだろうか。よく覚えていないが、久々なのは確かだ。わくわくして踊りだしそうな気分。目の前の茶色や緑色が鮮やかに見える。鼻を抜ける土の香りも、腕をつつく枝の感触も全て楽しく思えた。

「マゴラにも話そうね!」

「だな!」

 先につつじを抜けると一目散に高台の端へ行った。空を見る。マゴラはいるだろうか。

「いたー!」

「すげぇ!」

 本当にマゴラはいた。いつも通り左目を閉じると、マゴラの顔がはっきり見えた。スサインにいるマゴラも鈴子と同じように驚いているみたいだ。でもすぐに笑って手を伸ばしてくれる。空から伸びてきた手に乗ると、すぐに動き出す。空飛ぶ絨毯みたいな感覚だ。爆発は最初の一回以来起こっていないので、素直に楽しめる。

 そうして空や宇宙を抜けていく。一瞬空間が歪み、きゅっと息が苦しくなったかと思うと、マゴラが目の前にいた。

「マゴラ、どうしていんの?」

「昨日は遊べなかったし、もしかしたら……って」

「すごい、すごい! 心が通じ合ったね!」

 マゴラの掌の上で飛び跳ねる。凜太でなくとも、考えが同じということが起こるみたいだ。それだけ絆が深いという証明な気がして胸のあたりがポカポカする。

「もう友達じゃなくて、親友だな!」

「まだ出会って三日なのに?」

「日数は関係ないもーん」

「そうだね。マゴラと凜くんとあたしは親友!」

「……あ、ありがとう……」

 友達より仲がいい関係は親友らしい。確かに心が通じ合うほどなのだから、友達以上の関係な気がする。

 目の前のマゴラは二人の会話に瞳を潤ませていた。よほど嬉しいみたいだ。それも同じ気持ち。

「あっ! 聞いてよ、マゴラ!」

「なに?」

 凜太がすぐに違う話題を持ち出す。凜太はこうやって次から次へと話題を提供してくれる。たまに話題の転換が早すぎることもあるが、今回ばかりは早く聞いてほしいから鈴子も依存はない。

「今日、父ちゃんに会えるんだよ!」

「お父さん?」

「そうなの! いつもは違う国で働いているから、会えないんだ」

「違う国……。単身赴任ってやつ?」

「うん、たぶん」

「じゃあすごく楽しみだね」

 目の前のマゴラは嬉しそうに笑ってくれる。

「鈴子と凜太はお母さんもお父さんもいるんだ」

「マゴラは違うの?」

 でもすぐにその視線は少し寂しそうなものになる。羨みも含まれているように見えた。だが悲観しすぎているようにも見えない。不思議に思って、すぐさま聞き返した。

「僕は母さんと二人暮らしなんだ。父さんは僕が生まれたころに亡くなった」

「え……」

「ごめん、なんかオレ……」

「ち、違う……! 確かに少し羨ましいけど、それで二人と一緒に喜べないわけじゃないし」

 マゴラは首がちぎれるんじゃないかってほど否定した。勢いにこちらがびっくりしてしまう。大丈夫か聞こうとしたところで、マゴラは首を止める。そっと首元に手を伸ばして、服の中からネックレスを出した。

「……それに、これがあるから……」

 マゴラは首飾りを見えやすいように持ち上げる。歪で手作り感あふれるものだった。いつもマゴラは大切そうにしている。見つめる瞳はとても柔らかい。

「父さんの形見なんだ。僕のために手作りしてくれたらしい」

「すごい! 愛されてるね!」

「そう……思って、いいのかな……」

「うんうん!」

 凜太が大きく頷くと、マゴラははにかんだ。

 両親がいるからって幸せとは限らない。でも片親だからって幸せとは限らない。お互いを羨んでいるこの状況は、少し不思議だ。そうだとしても、マゴラを好きである気持ちには、何の影響も与えない。

「そろそろ出よっか」

 マゴラは首飾りを服の内側にしまうと立ち上がった。下ろしたままの梯子にマゴラが足を掛けたところで、ポケットに入れられる。凜太が胡坐をかく横で体育座りをした。ポケットの中は不安定だが徐々に慣れてきた。荒い編み方なので外の景色も見える。

 頭上からスイッチを操作する音が聞こえて、すぐに梯子が動き始めた。時間をかけて上までたどり着く。梯子から降りて、何回かドアを開けたり閉めたりする音を聞く。出口までに地球以外の惑星が展示されていると前に教えてもらった。いつか一緒に見られたらいいなと思う。

「おう、マゴラ」

「あっ、サゴンさん」

 そろそろ出口だろうかと思ったところで、マゴラの足が止まる。声の主はここの従業員のものだという。ポケットの隙間から見た顔は普通のおじさんといった感じだ。

「最近やけに出てくるの早いな」

「えっ……と、そうですかね?」

「まあ前に比べたらって感じだけど」

「……最近勉強頑張ろうかなって……」

「なるほど! 偉いなお前!」

 ポケットから見上げると、焦ったマゴラの顔が見える。

 はっきり本人の口から聞いたわけではないが、鈴子や凜太を連れ出すことはいけないことなのだと、なんとなく理解している。博物館とかの所有物を勝手に持ち出すみたいなイメージなのだろう。

「おっ、そうだ。時間ないなら特別に下に下りて見学する許可やろうか?」

「えっ……?」

「マゴラなら勝手に触れたりしないだろうしよ。短い時間でより楽しめんだろ、その方が」

「い、いいですよ……! だって僕、一般人ですし……ただよく来るだけで……その、他の人より……たくさん訪れてるかもしれないですけど……そ、そんな特別待遇、困ります……」

「そうか? そう言うならいいんだけどよ。もし望むならいつでも言ってくれ」

「ありがとうございます……」

 マゴラはお辞儀をすると、そそくさと宇宙街を後にした。バタンと入り口のドアが閉まり、同時にマゴラは息を吐く。

「緊張した?」

 凜太が聞くと、マゴラはこちらを見る。マゴラの茶色の瞳が揺れる。そして細い声で「うん」と言った。マゴラの足は森林街に向かっているようだ。マゴラの顔の上を、飛行車の車体が通り過ぎていく。マゴラが黒くなって、また明るくなる。

「……一緒にいたら、マゴラ……」

「鈴ちゃん……」

「だって」

 凜太に右手を掴まれる。それは少し汗ばんでべたついていた。真っ向から見つめ返すと、自分とそっくりの顔がある。真っ赤な目に吸い込まれそうでくらりとする。

「ごめんね。辛い思いさせて……」

「違うよ!」

「一緒にいたいって言ったのはあたしたちだもん……!」

 苦しくて、辛くて、目を瞑りたくなる。マゴラに迷惑をかけたくない。だから困る。堂々巡りをしてしまう。

「……でもね」

 視線をマゴラに移す。

「二人といたいんだよ、僕……」

 年上だけど、情けない風で、笑う。ああ、だから困る。

「オレも!」

「あたしもだよ!」

 そんな顔をされたら一緒にいたくなる。同じ気持ちだと嬉しくなってしまう。

 マゴラは嬉しそうに笑った。

 罪悪感も喜びも、一緒に背負った共犯者。それがちょっと申し訳なくて、けれど特別なことのような気がしている。こんな関係はきっと少し大変だけれど、そこも好きなのだった。

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