第13話 誰かがそこに

 慌てて二人をポケットに隠す。そして顔を上げると、公園の入り口にお馴染みの三人組がいた。嫌な笑みを見せながら、テンカンとバゴウが近づいてくる。

「おっ、いいもの発見!」

「今何隠したんだよ!」

 テンカンはわたあめを奪い、バゴウはマゴラの胸ぐらをつかむ。そして乱暴に地面に押し倒された。くらりと視界が回る。

「おら! 出せよ!」

「うっ、ぐっ……」

 背中が痛い。そう感じた瞬間に更なる痛みがやってくる。バゴウは楽しそうにマゴラを蹴り始める。体の側面を蹴られたので、体が横向きになる。その動きにもバゴウは止まることはなかった。頭を蹴り、背中を蹴り、足を踏み潰す。あざはできるが、折れない程度に。力加減はどこかで学んだのかと思うほど絶妙だ。

 だが痛いものは痛い。いつもと同じ痛みだった。

 その痛みの中で懸命にポケットを守った。二人に被害が及ばないように、体を徐々にうつ伏せに変える。蹲って空間を作る。

「マゴラ……!」

「マゴラのこといじめんなよ……!」

「喋っちゃダメ……!」

「なんか言いましたかー?」

 別方向からテンカンがわき腹を蹴り飛ばした。マゴラの体が仰向けになる。ポケットから小さな悲鳴が聞こえる。素早く元の体勢に戻る。鈴子と凜太に直撃はしなかったが、大きく揺らしてしまった。怪我していないだろうか。

 すぐに鼻をすする音が聞こえてくる。「泣かないで、鈴ちゃん」という凜太の声も聞こえる。バゴウたちに聞こえない程度の小さなものだろうに、その声は鋭く耳に突き刺さった。

 土を掴む。瞳から、涙が落ちる。

 生まれて初めての悔し涙だった。

 抵抗もできない。友達を守ることもできない。惨めで情けない自分。守りたいのに反抗する勇気はない。悔しかった。力のない自分が情けなくて仕方ない。

「おら! おら!」

「……うっ……」

 左右から暴力が止まらない。鈴子の啜り泣きが聞こえる。凜太の励ます声が聞こえる。涙が地面に染みを作る。土が黒くなる。目の前が黒に染まっていく。強く唇を噛む。

 その時――

(当代はなんて情けない……)

「……!?」

 突如、脳内で声が聞こえる。低く勇ましい男声だった。空耳かと思っていると、体が勝手に動き出す。マゴラの意思とは関係なかった。意思だけが残って、体の所有権は奪われたかのような感覚だ。

「おっ、なんだやる気か?」

 バゴウが笑顔で拳を繰り出してくる。その腕をパシッと掴んだ。否、勝手に腕が動いて掴んだ。確かに手の中にバゴウの腕の感触がある。しかしマゴラ自身がそうしようとしてしたものではない。感覚と動きの乖離。どういうことだろう。しかもバゴウが引き抜こうとしても腕はびくともしない。それほどに強い力ということだ。

 考えている間にマゴラの顔が勝手にバゴウに向いてしまう。そして瞳がしっかりとその姿を捉えた。その視線はまるでマゴラが発したとは思えないほど狂気的な鋭さを抱いていた。

「ひっ」

「……私に、これ以上何かするつもりか?」

 マゴラの口から言葉が発される。バゴウもテンカンも動きを止めてマゴラを見つめる。

 知らない。声はマゴラのものだが、それだけだ。こんな口調は、知らない。言おうとした言葉でもない。

「……まさか」

 二人の後ろに控えていたエレスがぽつりと呟く。マゴラは今度、声の出所に視線を向けさせられた。エレスだ。明るい髪色。整った顔。見慣れたいじめっ子の顔。仄暗い瞳はこちらをねめつけている。

「逃げろ!」

 そのすきにバゴウが腕を引き抜く。中の人物はその動きを全く気にしない。

「エレス、早く!」

「……」

 テンカンに言われてもエレスは無反応だ。マゴラ、否、中の人物を凝視している。しびれを切らしたテンカンとバゴウにそれぞれ両腕を掴まれ、エレスは連れて行かれた。その顔は最後までマゴラに向けられていた。

「嫌な瞳だ……」

 マゴラの中の人物は一言発し、消えていった。するすると体の所有権が戻ってくる。先の男性の気配はもうどこにもなかった。

 マゴラはゆっくりと掌を目の前に持っていった。指を動かす。ちゃんと動く。今度はその手を首飾りに持っていく。強く掴む。掴める。

「マゴラ、大丈夫……?」

「マゴラって、強いんだな!」

「……がう……」

「ん?」

 首飾りを掴む手が震える。木が擦れ合ってかすかな音を立てる。

「……違う。今のは、僕じゃ、ない……」

「マゴラ……?」

 誰だ。今のは、誰。体に知らない人物がいる。勝手に体を操った。どういうこと。どういうこと。怖い。

 怖い。

「いやだ……」

「マゴラッ!」

 マゴラは突然走り出した。鈴子と凜太の言葉はもう耳に入っていない。恐怖に支配された心は安全な場所へとマゴラを駆り立てる。マゴラは一心不乱に駆けて、家に向かった。

 公園の木。街の人々。宣伝するロボット。円柱みたいな形の家。全てを無視して、走って。口からは不規則に息が漏れ、心臓が苦しくなっていく。それでも止まらずに走り続けると、黄色の屋根が視界に入った。

 倒れこむようにドアノブを掴む。ドアについているパネルに瞳をかざして鍵を開ける。そして玄関に体をねじ込んだ。直後、ドアが背後でバタンと閉まる。

 靴も脱がず、その場に膝をつく。玄関の床の冷たさが膝小僧に伝わってくる。床から冷気が伸びてきて脚を絡めとる。床に固定され身動きは取れない。そんな気分だ。

「あら、マゴラ? おかえりなさい」

 するとその音に反応してか、マゴラの母親ニーチェが姿を現した。マゴラは顔を上げる。橙色の髪の毛に、翡翠色の瞳。紛れもなく母だ。

「どうしたの? 何か……」

「か、母さん、怖い……誰かいるんだ。助けてっ……知らない人。わかんない。でも、助けて……母さんっ……」

 マゴラは靴を投げ出してニーチェに縋りついた。何もわからない。ただ恐怖だけが胸に残っている。そのことを必死に伝えようとした。ニーチェは困惑した表情でマゴラを見つめ返す。だがすぐに口元に笑みを登らせた。

「マゴラ……大丈夫よ。大丈夫。ここには母さんしかいない」

 ニーチェはふわりとマゴラを抱きしめる。体が柔らかいものに包まれる。ニーチェの心臓の静かな鼓動がマゴラの耳を通っていく。震える身体で息をすると、鼻腔を母親の匂いが歩いて行った。

「母さん……」

「今日はもう休みなさい。ね……?」

 頭を優しく撫でられて、マゴラはそっと瞳を閉じる。子守歌のような囁きを、意識が途切れる瞬間まで聞いていた。













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