第11話 双子の境遇
マゴラの手の上から元気よく飛び降りた。すぐにマゴラの手は空の彼方へ引っ込む。空を見上げると、マゴラが空の向こうから手を振っていた。鈴子と一緒に元気よく振り返してその日は別れた。
空はもう橙色だ。その上に白いクレヨンで塗ったような雲が浮かんでいる。
「楽しかったね!」
「しかも初めての友達だ!」
鈴子と上機嫌に話しながら、つつじを抜け、家まで帰る。
手を伸ばしてドアノブを捻る。薄暗い玄関で靴を脱ぐ。女性ものの靴の隣に、綺麗に小さな靴を二足並べた。左を見ると、目が合った。頷く。
「ただいま」
リビングに通じるドアを開け、そろりと中に入る。中を見回すと、母の純子はキッチンに立っていた。二人の声に一瞥をくれただけで、すぐに作業に戻る。
仕方ない。夕飯づくりの邪魔をしてはならないのだ。この一声はきちんと外から帰ったことを証明するためだけだから。
また目を合わせると、リビングから出ようとした。
「武、近々帰ってくるそうよ」
「……え?」
だが今日は珍しく純子が声を出す。ドアノブに伸ばした腕を止め、上ずった声を上げる。鈴子はぽかんと口を開けている。
純子が話しかけてきたこと。純子が言った内容。小さな脳みそで懸命に処理をして、それから鈴子を見る。目が合うと、途端に顔が綻んでいく。
「やった! 父ちゃん帰ってくるんだ!」
「久々だねぇ!」
海外赴任している武はなかなか日本に帰ってこない。会えたとしても数か月に一度だ。いつもかっこいい話をしてくれて、ニカッと笑ってくれる父。会えることを心待ちにしている。会えたら心がポカポカする。
鈴子と見つめあって言葉を交わす。何をしよう、何を話そう。父とやりたいことはたくさんある。楽しみでその場を駆けまわりたいくらいだ。
「煩い。料理の邪魔だから二階行ってなさい」
ぴしゃり。
その動作を止める声。冷たい冷たい純子の声だ。ハッとなってすぐに「ごめんなさい」と謝った。純子の前ではうるさくしたり、はしゃいだりしてはならない。それは今までの生活でわかっていることだった。
リビングから音をたてないように出る。鈴子の方を見ると、その黒い目が揺れている。その手を取って階段に導く。
「父ちゃん帰ってくるってな」
「それに明日になればマゴラに会えるね」
階段を登りながら声を出す。階段の一段が高い。足を大きく持ち上げる。同時に今日の楽しさを思い出そうとした。友達ができた。武が帰ってくることを知った。偽りでもごまかしでもいいから温かさを胸に形作る。悲しい思いに囚われてしまうのは嫌いだ。
階段の最後の一段を登り切り、凜太は子供部屋に向かう。後ろで立ち止まる存在に気づいた。
「鈴ちゃん……」
「嬉しいのに、嬉しくない……」
鈴子の声は震えていた。鈴子は怒られることがとても嫌いだ。
確かに純子を刺激しないよう毎日を過ごしていたから、久しぶりの失敗だった。鈴子の言葉であの冷たい声が脳内を反響しだす。冷めた視線が心臓を抉り取っていく。ごまかしの温かさはあっさりと崩れていった。
とうとう鈴子の左目から涙が零れ落ちる。黒が揺れる。赤は潤みすらしない。ただ真っ赤。血みたいに赤い。
「大丈夫……大丈夫だって……」
鈴子の傍に寄ってその手を取る。けれど目の前の相手が泣いていると、無性に泣きたくなってくる。気丈に出した声は震えていた気がする。
とうとう鈴子が声を押し殺して泣き出す。黒目から涙が落ちるさまを見ていると、右目の周辺に熱が集まってくる。鈴子の手に添えた手が震え、凜太の頬が濡れ始めた。凜太の右目から涙が落ちていく。
こんな変な目で生まれたダメな子だから。辛い事実は重くのしかかる。
鈴子と身を寄せ合って、しばらく泣き続けた。
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