第10話 ともだち
サゴンはマゴラが泣き止むまで根気よく付き合ってくれた。火がついたように泣いていたマゴラは、サゴンの手のおかげで徐々に落ち着いた。
「大丈夫か?」
「はい……」
脳はもう冷静だ。急に上着のポケットが熱くなる。そこにいる存在がやけに感じられる。双子が起きない限り大丈夫なはずだと言い聞かせる。
「いやーしかしマゴラが無事でよかったわ」
「あ……えっと……」
顔いっぱいに笑みを広げるサゴンを見て、心臓付近が締め付けられる。
あの爆発は何だったのだろう。サゴンがその話題に触れないということは原因が謎なのか。それとも気を遣ってくれているのか。その場合自ら疑わしい原因を告げるべきか。サゴンが聞かないならそれまでとするべきか。
「とりあえず……今日は帰れ。疲れたろ」
サゴンは口角を上げる。マゴラは中途半端に開いた口をそっと閉じる。同じように微笑んで、静かに首肯した。
「気をつけてな」
「……はい」
サゴンは目元にたくさんしわを寄せる。そしてまた頭を撫でる。
父親が生きていたら、こんな感じなのだろうかと不意に思った。
また泣きそうになるのをこらえていたら、「巡回してくる」とサゴンは歩き出した。再度頭を下げて、マゴラはそれを見送る。
「あ、マゴラ!」
「はい……?」
マゴラが顔を上げるのと同時にサゴンは振り返った。
「もしまた落ちても梯子は下で操作できるから!」
「……あっ、はい……」
サゴンは手を振ると今度こそ地球ゾーンを去った。
考えてみれば当たり前のことだ。あの時はどれだけ焦っていたのかと恥ずかしくなる。すぐ気づいていれば、罪を犯すこともなかった。ぐるぐると重い塊が胃の中で回る。ふとした瞬間にえずきそうになるし、心臓は絶えず早鐘を打っている。
そっとポケットに触れる。ほんのり温かい。生き物の熱。唇を噛むと皮が白くなった。目の周りが熱くなる。
とにかく動かなければならない。ここにいたままでは何もできないのだから。マゴラは宇宙街の出口に向かった。
宇宙街から出ると、人民街の自宅には向かわず森林街へ向かった。街とついてはいるけれど、実際は緑を楽しめる公園のような場所だ。人々の憩いの場所である。マゴラは広く静かな森林街が好きだった。
入り口から北へ曲がって歩く。宇宙街の巨大な壁に沿って進むと、すぐに森が見えてきた。人二人がやっとすれ違えるくらいの道がある。入り口には看板が立っており、その先に綺麗に切り揃えられた木が茂る。道は石や雑草が取り除かれ整備されていた。マゴラは道に踏み入れる。巨木が空を覆い隠し、その枝の隙間から太陽光が漏れている。どこからか鳥の声が聞こえてくる。
今のマゴラにはこの穏やかな空気を楽しむ余裕はない。そそくさと獣道に逸れる。正規の道と異なって多少薄暗いし、たまに低い枝が腕に傷をつける。代わりに誰ともすれ違わない道を歩いていくと、ぽっかり穴が開いたかのような場所に出た。そこには男性の銅像とベンチが一つある。
銅像は太陽の光を直に受け、鈍く茶色に光っている。すすけたベンチには桃色の花弁が何枚か乗っていた。忘れ去られたようなこの空間は、マゴラのお気に入りの場所の一つだ。
マゴラは息を吐くとベンチに腰掛けた。そっと上着のポケットに手を伸ばして、すぐに戻す。
とりあえずここに来てしまったが、どうするつもりだったのだろう。宇宙街に留まっては怪しまれるから仕方ない。だがここでもし双子と会話したら、さらに良くない状態になるのではないか。それなら時間を空けて宇宙街に戻り、双子を戻して何もなかったことにした方がいい。
「うー……」
ビクッと体を震わせる。ポケットから声が聞こえた。双子が起きる。
ポケットの通気性と安定性が気になって、マゴラは恐る恐る手を伸ばした。マゴラの勝手で連れ出したのに、危険な目に合わせるわけにもいくまい。それにこれ以上心の痛い案件を増やしたくない。
潰さないように優しく持って、双子をポケットから出した。双子はその上で小さく動く。女の子の方が目を擦って、静かに目を開ける。おもむろに体を起こすと、右を見る。
「……凜くん……?」
顔を青くして女の子は言った。おろおろと左を見て、隣の存在に気づく。
「凜くん!」
女の子はすぐに安心した様子になって、男の子の体を揺さぶった。「まだ眠い……」と言いながら男の子も体を起こす。ゆらゆら前後に揺れながら瞼を持ち上げていく。そして左を見た。
「あれ、鈴ちゃん?」
「こっち、こっち」
「ん? なんでこっちいるの?」
「起きた時はもうこうだったよ」
「……何があったんだっけ」
マゴラは地球人の会話を物珍しそうに眺める。掌の上で小さな人間が動く姿はまるで人形劇を見ているようだった。大好きな地球の一部が目の前で動いている。罪悪感の隙間から歓喜が顔を見せた。
双子はまず位置を逆にする。二人の間で決まりがあるみたいだ。赤い目が二人の内側に来るようにしているのだろうか。地球人の発想は興味深い。
二人は次に周りに視線を巡らせる。すると当然マゴラと目が合う。双子は見る見る目を見開いていく。大きな赤色と黒色の瞳が更に大きくなった。真正面から見つめられると、その顔がそっくりだということがますますわかる。
黙っていたら怯えさせてしまう。こういう時は何を言えばいいのだろう。唇が震える。
「……こ、こん、にち、は……」
「……す……」
マゴラがおっかなびっくり声を出せば、双子は息をつめた。男の子の口から空気のような声が漏れる。
「すげぇ! 喋った!」
「ひっ」
「さっきの顔じゃん! お前巨人!?」
「えっ」
しかし男の子は怖がる素振りなど見せず、手のぎりぎりまで迫ってくる。それでも小さいし遠いが、なぜか迫力がある。
「本当に巨人の国に来たんだ!」
「すごいね!」
すぐに女の子も加わる。勢いがすごい。しかも勝手に巨人ということにされている。今の双子から見たら確かに巨人ではあるけれど。解釈の仕方に目が回りそうだ。
「あなた名前は?」
「ここどこ?」
「なんで大きいの?」
「お前何歳?」
「あ……えと……」
子供の好奇心というものはすさまじい。質問攻めにされてマゴラはたじろいでしまう。その態度に悪意はないとはいえ、怖いことには怖い。こんな風に話しかけられるのは初めてだ。そもそも人と話すこと自体慣れていない。
「な、名前はマゴラ・ハット、です……」
「あたし並木鈴子!」
「オレは凜太!」
「えっと、鈴子ちゃんに凜太くん……」
「よろしく!」
「よろしく!」
「あっ……」
地球の日本でよくある雰囲気の名前。確認のために呟けば、双子――鈴子と凜太は手を差し出してきた。握手を求められているのだろうか。
「……よ、よろしくね……」
マゴラは人差し指を横にして、鈴子と凜太の掌に近づける。指が震える。懸命に抑えながら、掌と人差し指をくっつける。刹那、双子の熱が伝わってきた。
泣きそうになった。
理由はわからない。嬉しいのか、悲しいのか、怖いのか。色々な感情が渦巻くけれど、どれも当てはまっているようで違う気がする。
「人差し指でっけー! なあ、なんでマゴラってそんな大きいの?」
「あ……」
凜太の声でマゴラは二人に視線を向ける。人差し指を離すと、鈴子も凜太もマゴラの掌の上で体育座りをした。期待の眼差しが注がれる。
「んと……ここは、スサインっていう世界なんだ。それで……スサインは地球の外側にあって……宇宙の外側っていうか……、鈴子ちゃんと凜太くん……」
「呼び捨てでいいよ!」
「オレも!」
「あ……その、り、鈴子と凜太……が地球から出るとき、ちょっとした手違いで……大きさがスサインに順応したものにならなかった、というか……だから二人から見ると……僕が大きく見えるんだ……」
見たところ二人は幼いので、今の説明で理解できたか不安だ。案の定、二人ともマゴラを見つめて険しい顔をしている。だがこれ以上易しい説明はマゴラにできそうになかった。
「オレたち、違う世界にいるってこと……?」
「うん、そんな感じかも……」
「ねぇ、マゴラっていくつ?」
「え? 十歳だけど……」
「わあ! あたしたち五歳!」
マゴラは首をかしげる。その拍子に首飾りが揺れたので、服の内側にしまった。その間に鈴子と凜太は立ち上がっていた。
「すごいな! 初めての友達が年上!」
「しかも異世界人!」
「え、と、友達……?」
鈴子と凜太は手を繋いで嬉しそうに手の上を跳ね始める。マゴラは慌てて踏み場を両手に変えながら問う。
「友達! 違うの?」
「あ、いや、その……うっ、嬉しい……」
「あたしも!」
鈴子の向けてくる笑顔に思わずにやにやとした笑みを返してしまう。
初めてだ。初めての友達だ。その響きだけでも幸福で、脳の中で何度も反芻する。関わりがある子供はエレス達だけだったから、友達の存在にずっと憧れていた。
友達。鈴子と凜太は、友達。
「マゴラ、下ろして」
「あ、わかった」
少し残念に思う。二人にとっては友達より異世界なのかもしれない。
地面に手を近づけると、二人は元気よく飛び降りた。駆けて行く小さな人間を見る。すぐに嬉しさが戻ってきた。なぜならあの二人はただの人間ではない。友達なのだ。友達。抑えようとしても笑顔が出てきてしまう。
小さいし、地球人だけど、友達。初めての友達。
「マゴラこの銅像何ー?」
鈴子と凜太の姿を探す。二人は銅像の近くで上を見上げていた。
長い髪をなびかせ、勇ましい表情で剣を掲げた銅像。すっかり古びて、所々メッキがはがれてしまっている。
「えっと……この銅像は、ジェネンダ・レオパスって人の銅像だよ。千年位前、スサインでは戦争が絶えなかったんだけど、それを終結に導いた人。今でもその祖先がスサインを治めてる」
「ふーん、すごい人なんだな」
ジェネンダ・レオパスは誰もが知る偉人だ。剣技や統率力に長け、戦争では前線に立って指揮を執ったという。数々の武勇伝が伝わっているし、ジェネンダが活躍した戦争をもとにした作品がたくさんある。その勇ましい人物像が好きで、パソノルで色々学んだものだ。
(……いけない)
「え?」
声が聞こえた。男性の声。辺りを見回す。誰もいない。凜太が声を発した様子はない。そもそも声は成熟した低いものだった。
「どうしたの?」
凜太が不思議そうに見てくる。
「……ううん、なんでもない」
きっと聞き間違いだろう。木々のざわめきか何かを勝手に変換してしまっただけだ。
マゴラはベンチから立って、鈴子と凜太のもとへ行く。しゃがんで手を差し出し、二人を銅像の目の前まで持ち上げた。二人は面白そうに銅像に触れたり、顔を見つめたりしている。二人の楽しそうな様子を見ると、頭をもたげた不安が消えゆくのがわかる。友達ができたのだから、怖いものはないに決まっている。
「ねぇ、明日はどこへ連れて行ってくれる?」
「え、明日?」
不意に鈴子が振り向いた。
「明日も遊びたい! だめ?」
大きな瞳で懇願される。凜太も振り向いて期待に満ちた表情で見つめてきた。マゴラは二人の視線を受け止める。赤色の瞳が木漏れ日を受けて煌めいている。
マゴラの脳内を友達との日々が巡る。夢見ていた光景。二人とは本来関わってはならない。でも、せっかく友達になったのだ。
「……いいよ。友達、だもんね……!」
「やったー!」
二人がはしゃぐ様子を見ていると、罪悪感が少し薄らいだ。子供だからスサインの存在を広める心配はない。宇宙街は目立たない施設だし、何よりマゴラと鈴子と凜太は友達だ。そんな何の根拠もない自信をマゴラは抱いていた。
「あ、でも……幼稚園? っていうのは、大丈夫?」
スサインではパソノルという機械で勉強する。それとは異なって、地球では集団で学習する習慣があると、前に調べた時に書いてあった気がする。それは幼いころから行われるらしい。
「ああ……オレたち行ってないから」
「うん……平気」
「鈴子、凜太……?」
急に二人の声の調子が暗くなる。笑顔がほんのり歪んで、視線が落ちた。
何かいけないことを言ってしまったのだろうか。幼稚園に行くのは任意だった気がする。
「ね! ここら辺探検したい!」
「あっ……うん」
地面に手を近づける。二人は小さな体で、めいめい好きな所へ駆けていった。二人の方がよほど大人だ。
マゴラは胸に手を当てる。服の中から首飾りの硬い感触が伝わってきた。
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