第5話 オッドアイの双子

 大きな音を立てて家のドアが閉まった。びくりと肩を震わせて、家を見上げる。高台にぽつんとある一軒家。それ以外はつつじなどの灌木や、カシなどの高木、雑草、剥き出しの土。鈴子と凜太、幼い双子が生きるのはそんな小さな世界。

 鈴子は気を取り直して、ぐっと伸びをする。

「んーいい天気!」

 高台を照らす太陽の光を押し返すように声を響かせた。

「いい天気? あっちいよぉ」

 抜けるような青空を見上げる横で、凜太は嘆息する。右目が黒、左目が真紅というオッドアイが、いやそうに細められていた。ちなみに鈴子は右目が真紅、左目が黒だ。

「えーそんなことないよ!」

「鈴ちゃんはポジティブすぎるんだ!」

 まだ春だというのに気温は二十度越え。凜太は走り回るのが好きなのできつい気温なのだろう。

 凜太が文句を言っても、笑顔を保つ。凜太の左手を取ると、凜太はすぐに笑った。

 そして一緒に走り出す。家のすぐそこにあるつつじ並木に向かう。木々の間には、四つん這いで通れそうなほどの穴が開いていた。枝がぽっかり空いた先は何があるのか。否応なしに高揚する。ためらうことなく穴に入る。凜太も後ろからついてきた。湿った土が脚にくっつき、細い枝が腕を刺す。薄暗い茶色の中を一心不乱に進むと、程なくして太陽の光が目を刺す。光の中に突っ込めば高台の向こう側に抜けていた。

 立ち上がって伸びをしていると、凜太がおもむろにつつじの花を手に取った。それを口にくわえて蜜を吸い出す。「きたなーい!」と言えば、凜太はニヤッと笑う。

 ここ、高台の向こう側は遊び場だ。高台の下に下りて遊ぶことは母親に禁止されているし、幼稚園に通っていないので、ここ以外で暇をつぶす場所はない。それでも不思議と飽きることはなかった。下への憧れがなくはないが、ここにも魅力はある。なんだかんだ毎日楽しく過ごしていた。凜太がいるので淋しくもない。

「おなか壊しても知らないよ!」

「そんな弱くないもーん! おら!」

「きゃー!」

 凜太がつつじの花を投げてくる。慌てて高台の端の方に向かって逃げる。凜太はつつじの木からいくつか花を取ると追いかけてきた。一目散に駆けだして、不意に空を見た。足を止める。

「ぎゃっ!」

 凜太は背中にぶつかってくる。でも気にすることができない。

「なんで止まって……」

「り、凜くんあれ!」

「え?」

 凜太の腕をぐいぐい引く。凜太は右に立った。強張った声しか出ない鈴子に首をひねりつつ、凜太は指差す方を見る。

「……なにあれ……」

 そこには巨大な手があったのだ。その手は空から伸びてきている。肘のあたりは透明で、掌に向かうにつれ実体を持ち始めている。地面の感触を確かめるかのように雑草を撫でていた。呆然とその手を見つめることしかできない。ぎこちなく顔を右に動かすと、凜太と目が合い、

「すげぇ!」

「すごい!」

 叫び声が重なった。

 代り映えのしない日常に現れた謎だ。これは飛びつかない手などあるまい。すぐに走り出した。その勢いのまま手に飛びつく。感触は凜太の手と何ら変わりはない。柔らかくて温かい手。手は飛びつかれた時にビクッと指を震わせた。

「動いた!」

 凜太が楽しそうに言って手の甲に登る。手は一回動いたのみで、それ以降固まったように動かない。好機とばかりに凜太のいるところを目指すことにした。

 目の前の指を見つめる。爪の白い部分とピンクの部分の境界線がはっきり見える。その先、指の第一関節のあたりには深いしわがある。手を伸ばしてしわに指をかけてみる。多少指をかけられそうだ。手に力を入れ、足は爪と肌の間にかける。薄めのしわを伝いつつ、第二関節にたどり着く。そこからはもうほぼ水平なので、四つん這いで手の甲まで行けた。凜太の隣に立ち上がる。

「山頂の眺めはどう?」

「いつもより少し高い! それだけ!」

 凜太は胸をそらす。手の甲の上から見下ろす町は、高台の端に立った時とさして変わらない。小さくカラフルな屋根がたくさんあって、所々樹木が植えられている。他にも公園が見えたり、学校が見えたりする。そんないつもの景色の角度が少し変わったくらいだ。

 だが気分は普段より高揚していた。だって今いるのは地面ではなくて手の上だ。巨人の手の上。絵本の世界に入り込んでしまったみたい。

 もしかして腕を登ったら、ジャックと豆の木みたいにどこかにたどり着くだろうか。わくわくして空を見上げる。目に入った光景は、おかしかった。目を擦ってからまた空を見る。見えるものは変わらない。

 青空と変な顔。それがぼやけて重なって見えるのだ。変な顔は目に五角形の何かを当てていた。青空が普通の世界なら、変な顔の方は不思議な世界なのだろうか。不思議な世界なら絶対に行きたいし見たい。ためしに片目ずつ手で覆ってみる。

「わっ、すごい! 凜くん!」

「どうしたの?」

「こっちの……えっと、右の目で空見て!」

 鈴子は興奮して凜太の背中をたたく。左目を隠してみたら視界には変な顔しか映らなくなったのだ。凜太は鈴子を真似して左目を隠す。

「……空しか見えないけど」

「えーあたしには顔が見えるよ」

 凜太は暑さで頭がやられたのかと言いたげにこちらを見る。心外だ。確実に顔が見えるのに。凜太は訝しげにこちらを観察してくる。それからまた空を見る。しかしその表情は冴えない。見えないみたいだ。そして諦めたように手を外した。

 空を見上げる瞳が丸くなる。

「うお!」

 声を上げる凜太。

「見えた!?」

「うん!」

 凜太は今度、右目を隠す。その真紅の瞳が太陽の光を受けてギラギラしている。前に一度だけ見たことのある真っ赤な月みたいだ。

「赤い目だと見えるんだよ!」

「そうみたい!」

 二人して手の甲で飛び跳ねて喜ぶ。この世に巨人が存在するなど今まで思ったことがなかった。さながら絵本の登場人物みたいな気分だ。

 目を合わせる。赤い目同士がかち合った。

「行くよね?」

「もちろん」

 好奇心は無限大だ。凜太と同時に巨人の手首に両腕を回す。体を目一杯使って手首をよじ登ろうとした。

「わっ」

「えっ」

 すると急に手が動き始めた。咄嗟に手首に抱き着く。構わず巨人の手は空に向かって動き出す。

「きゃぁぁ!」

「うわぁぁ!」

 物凄い速さで空に向かう手。風圧に吹き飛ばされそうだ。腕の力を強める。右の手は凜太の左手と繋がれた。叫び声だけが、風に飛ばされていった。

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