第32話 それは僅かな兆しと共に

「空が曇ってきたな。なんだか嫌な感じだ」


 少し前までは青色だった空は、いつの間にかすっかり鉛色に染まっていた。

 曇り空など別段珍しくもないはずだが、今日の空は一際不気味に感じる。


「気のせいだ気のせい。今から『個式魔術』について教えてもらえるっていうのに、何暗くってんだ俺は」


 気を取り直し、ムルド先生の個室へ向かう。


「失礼します」


「Mr .ドージ、来ましたか。まずは座って、お茶を出します」


 迎えてくれたムルド先生は、魔晶の話をした時よりも若干緩んだ表情をしていた。あの顔で話されるのは緊張してしまう。


「どうぞ、ココアです」


「いつもありがとうございます」


 差し出されたココアを飲みながら、早速本題に入る。


「単刀直入に聞きます。ムルド先生、『個式魔術』とはなんなのですか……?」


「…………」


 少し考え込む素振りをした後、ムルド先生はゆっくりと話し始めた。


「『個式魔術』と『色彩魔術』がなぜそれぞれ分類されているのか分かりますか?実際に見た君の意見を聞かせてください」


 そう問われて、仮面魔術師の個式魔術を見た時のことを思い出す。

 大まかにしか感じ取れなかったが、あれは色彩魔術のように色に変化させるのとは全く別の魔力変化だと感じた。


「それは、個式魔術が色の変化を使わない独自の変化で生じた魔力を使う魔術、だからでしょうか……」


「その通り。個式魔術は今まで君達が習ってきた色彩魔術とは魔力の質が明確に違います。また、個式魔術は習うものではなく、自らが作り上げるものです。ですから、魔術師によって術式はそれぞれ異なります」


 先生の話す内容を自分の中で分かりやすく解釈する。

 個式魔術はいわば、それぞれが持つオリジナルの魔術。色彩魔術のように教科書に載っていて、覚えれば誰でも使える魔術ではないのだろう。

 例えば、仮面魔術師が持っていた『創成遊世』は仮面魔術師だけが使える術式だということだ。


「個式魔術の魔力変化は非常に複雑で、人間でも魔晶でも作ることができるのは原則一人一式までとされています」


「なるほど、だから『個式魔術』ですか。個人が持つ唯一無二の魔術……!」


 色彩魔術と対をなす魔術というだけあって、今日まで知らなかったことが不思議なくらい重要な魔術だ。

 だからこそ、疑問も湧いてくる。


「でも時間がかかるなら他の生徒にも教えればいいのでは……?」


「個式魔術は作成には膨大な時間と、魔術への理解が必要です。色彩魔術も満足に覚えていない生徒に教えても成長を阻害するだけです。だから、個式魔術について教えるのは上級まで色彩魔術を覚えた生徒に限っています」


 下手に広めてしまうと、色彩魔術も覚えていないのにそっちに固執する人が出てくるから、秘密にする必要があったということか。


「君は入学当初から今日まで修練から、色彩魔術をしっかりと習得していると判断しました。よく頑張りましたね……あの入学当初から、本当に」


「あ、ありがとうございますっ!褒めてくれて嬉しい……です」


 確かに入学当初は初級魔術しか覚えていなかった。

 それから今日まで、毎日欠かさなかった努力が認められたのだ。自然と笑みが溢れてしまうのも仕方がない。


「えぇ。最初の授業の時は常識レベルのことも知らず、とんだ問題児が来たと驚きました。しかし、補習をしっかり受けさらに自習まで。そして、今や優等生にまで成長して、ホントにうぅ……先生は嬉しい……!」


「先生!?」


 ついには涙まで流し始めるムルド先生。

 人前で泣くような人ではないと思っていたので意外だった。


「失礼……話を戻します。先程述べた通り、魔力の質が違うので術式効果も色彩魔術とはかけ離れています。なので、それまでの魔術の法則や理は一旦全て忘れてください」


「法則や理が違う……?」


「なんでもあり、という言葉が適切でしょう。術式によっては、それまでの魔術の歴史を否定するようなものがあります」


「おぉ……!」


「新たな個式魔術が作ることは新たな常識を生むこと、そう言われるほどに個式魔術は貴重で重要な魔術なのです」


 聞けば聞くほど『個式魔術』の有用性に興味が湧く。というより、これがなければClass A -以上の魔晶と渡り合うことなどできないだろう。


「ちなみに、個式魔術はClassの選別基準にも大きく関わっていて、A帯のClassに上がるためには個式魔術の習得が絶対条件となっています」


「……先生、教えてくれるのはありがたいんですが、そういう評価基準って話してもいいものなんですか?」


 評価のことをこともなげに話す様に不安を覚えた。元の世界で言えば、成績や内申点の基準を話しているようなものだからだ。


「問題ありません、むしろ積極的に教えます。今のClassである理由、どういう点が評価されていてどういう点が欠点なのか、改善のためにはどうすればいいのか、生徒の成長のためにそういったアドバイスは惜しみません」


「生徒が少しでも効率的に強くなれるように、ですか」


 いつ何時魔晶が襲ってくるか分からない以上、生徒には一秒でも早く強くなってほしいのだろう。


「例えば、Mr.ドージは入学時の時点で近接戦闘だけならClass B +レベルでしたが、使える魔術が初級のだけだったのでClass Bという評価に落ち着きました」


「そうだったんですか、すごく参考になります……」


 明確な基準で公正に判断を下す、簡単なようで案外難しいものだ。


「さて、個式魔術に教えるにはまだまだ時間がかかるので一旦休憩にしましょう。お茶菓子を出します」


「まだまだって、今までのでどれくらい話したんですか……?」


「今ので、十分の一といったところでしょう。一日で語れるほど、個式魔術は簡単ではありません」


「そ、そうですか」


 話を聞くだけでもかなり時間が掛かりそうだ。おそらく近道など存在しない類のものだろうし、実際に個式魔術の製作に移れるのは何時になることやら。


「焦らないで下さいね」


「え?」


 クッキーの乗ったお皿を机に置きながら、優しい声音で語りかけてきた。


「君の勤勉さや成長には感心しますが、私にはどこか余裕がないように見えるのです」


「それは……でも、強くならなきゃいけないので。魔晶が攻めてくると思うと、どうしても修練が頭に浮かんでしまいます」


「君の気持ちも分かります。難しいですよね。死ぬ可能性のある戦いをするかもしれないのに、それを忘れて遊べだなんて——」


 俺の場合は元の世界に帰るという目的も合わさって、余計修練に固執してしまっているところもある。

 

「すみません。……本当は……」


「先生……?」


「いえ、何でもありません。とにかく、頑張り過ぎないこと、しっかり休むこと、この二つを意識すれば少しずつ変わってくると思うので、それだけ覚えておいてください」


 一瞬、悲しそうな顔が見えた気がしたがすぐに元通りになった。

 心配してくれているからだろうか。先生の言う通り、もう少し生活に休憩を入れるようにしよう。


「さっ、クッキーをどうぞ。急がず、味わって食べてください。個式魔術についてどれだけ話すかは決めてあるので、急いでも意味はないです」


「はい、いただきます」


 先生の趣味だろうか——おしゃれなインテリアが飾られた独特の雰囲気を持つ部屋で、俺は振る舞われたココアとクッキーを楽しむ。

 外が曇っていたことなど、とうに頭の中から抜け落ちていた。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



 魔術学園ゼスティア、そこに無数に存在する円錐の屋根。その中心から伸びる支柱の一つに仮面の男は立っていた。


「さてさてさーて、やってきました魔術学園ゼスティア。いやー大きいねー、何個分だろう?」


 ——トウキョウドォム?なんだそれは?私の知識にはない言葉だ——


 自身の知らぬ言葉に魔人——シロテ=ベンカンは疑問符を浮かべる。

 その言葉はこの世界の存在ならば絶対に知るはずのない言葉。

 しかし、であるならば——。


「僕の元の世界にあった建物の名前さ。懐かしいなー、向こうのこと思い出すなんて久しぶりだよ。君が会いにいくのもその世界にいた人さ」


 ——。会ってどうする、仲間に引き入れるのか?学園にいると言うことは人間側の味方の可能性が高いと考えられるのだが——


「それは……僕も分かんない。どうして恐れられてるくせに人間側にいようとするのかな?魔晶こっち側の方が自由で楽しいのに……」


 理由が分からず首を傾げる仮面の男。

 しかし、その疑問は対して重要でないようで、何事もなかったかのように話を続ける。


「まぁ、味方だろうと敵だろうと、異世界人ならその強さを知っておくのは大事じゃん。どんな才能を持っているのか、どんな戦い方をするのかとか」


 ——それは同意見だ。異世界人は他の魔術師とは違うイレギュラーな存在だ。注意すべきことに越したことはない—


「だろ。面倒だったら殺しても構わないから。その辺りの加減は君に任せるよ」


 そう言うと、仮面の男は背中に背負った袋から魔導具を取り出し、襲撃の準備に取り掛かる。


  ——一つだけ、聞きたいことがある——


「ん、何?君から聞いてくるなんて珍しいね」


 ——元の世界に未練はないのか?人間は故郷や家族といったものにこだわる生物だと記憶しているが……——


「ないよ——そんなもの」


 準備する手を全く止めず、心底どうでもよさそうな顔でそう答えた。

 それをシロテ=ベンカンがどう思ったのかは、彼の故に分からなかった。


「さあ、無駄話もここまでだ。楽しい遊びを始めようじゃないか、シロテ」

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