第30話 明日を向く

 何年ぶりだろうか、人前で泣いたのは。

 俺が下を向いて泣きじゃくる間、ミリアは何も言わずただ頭を撫でてくれていた。それが嬉しくて、でもやっぱり少し恥ずかしくて、嗚咽が止まらい。

 五分ほど泣いた後、少しずつ収まっていった。


「……ありがとう」


「どういたしまして。恥ずかしがることはないよ。私も小さい頃、母によくこうして慰めてもらったから」


「そうか、いいお母さんだな……」


 それからミリアは自分の家族のことを話してくれた。住んでいる場所や両親の人柄、そして彼女に妹がいることも教えてくれた。


「へぇ、妹さんがいるのか」


「うん、妹はよく泣く子だったからさ、ああやって手を広げるとすぐに飛び込んできて人目があろうとなかろうとわんわん泣いて、懐かしいなぁ……」


 そう語るミリアの顔にはどこか物悲しさが感じられた。

 懐かしいと言っているが、妹さんは今はいないのだろうか。それとも成長した今では姉に泣き付くようなことはしなくなったのか。


「妹とは、ちょっと……喧嘩……しちゃってね。今はあんまり仲が良くないんだ」


「意外だな、ミリアは喧嘩するような人には見えないけど」


 まだ彼女をそこまで知っているわけではないが、怒りで他者とぶつかるような人間とは思えなかった。どちらかと言えば、喧嘩を仲裁するような人だという印象だ。


「そう、人は見かけによらないよ。私も怒ったら人と喧嘩しちゃうことくらい、ある。仲直りは早いんだけどね」


「妹さんとは……?」


「まだ。他の喧嘩と違って複雑でね。私が何かしたら余計彼女を怒らせちゃうような気がするから——」


 ミリアは声量を小さくし、こちらに憂うような目を向けてくる。これ以上はあまり触れられたくない、ということだろう。

 彼女の口ぶりからして妹との関係は他人が介入して解決できるようなものでもない。俺もそんな家族間の問題を根掘り葉掘り聞く趣味もないので、この話題は切り上げた方が賢明だ。


「俺はもう行くよ。さっきはありがとう。楽になれた」


「それは私も。魔晶とゼスティアの話聞いて少し不安になってたから。話せて良かった。それじゃあね、また明日」


 その言葉を最後に俺とミリアは別れた。

 目の前の現実は無情で無慈悲なものだ。しかし、元の世界に帰るためには避けて通れない。どの道ボイドに潜るために強くならなければならなかったのだ。現実を知ったところで俺の目標は変わらない。

 魔晶は全て倒す、その気概で前を向くだけだ。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「いや〜中々楽しい戦いだったなぁ〜途中で終わったのが残念だったけど」


 ——私との約束を無視した貴様が悪い。本来、ボイドの低層に私達が出てくることは許されていないのだぞ——


 場所は変わり、ボイドの低層。

 殺し合いを遊びのように語るのは、ミリアとイェーリが戦ったあの仮面魔術師。二人との戦いで受けた傷を隣にいるに癒してもらっている最中だった。


 ——貴様も知っているだろう。ボイドの低層には強力な結界魔術が複数張られている。それを突破する手段は限られているのだ——


「別にいいだろうがよー。僕たちには、『失われた旧時代の魔術』があるんだろ。それとさ、前も言ったけどテレパシー使って会話すんのやめてくれよ。お前以外の『魔人』はほとんど喋れるんだからさー」

 

 そう、仮面魔術師の隣にいるは人に近い姿を持った人ではないもの『魔人』だった。その魔人は言葉を紡ぐ代わりに黄色系統の通信魔術を使って相手に自分の思考を直接伝えている。


 ——声を出す、という行為の必要性を感じない。これで意思疎通をした方が自分の思考を確実に伝えることができる——


「かー相変わらず頭が硬いなー。君の生まれのせいかな。どうにも礼儀正しいというか、遊び心がないというか……」


 困ったように頭をポリポリとかく仮面魔術師に対し、魔人は特に反応を示さない。感情がないわけではなく、ただ愚直に命令を遂行するだけ、そういった印象を漂わせていた。


「もっと自由になれよ、僕みたいに。規律とか序列に縛られずさぁ。お前が無駄と断じてものに触れてみろよ」


 ——貴様は自由すぎる。彼らが貴様と私を組ませた意味を理解していない——


「あいつらの意図なんて知らない、僕はただ自分が楽しいと思えることをやるだけだ」


 仮面魔術師はとぼけたように両手を広げた。それに対し、魔人はやはり反応を示さない。彼の言葉に否定も肯定もしなかった。


「とにかく勝手に抜け出してきたことにぐちぐち言うのはナシ。それに、僕だって何も考えてないわけじゃない。ちゃんと皆のことも考えているさ」


 魔人による回復魔術が終わり、傷が治った仮面魔術師はゆっくりと手足を伸ばしながら、次の策を楽しげに話す。

 

「だから次の遊びには君も参加して欲しいんだよね〜僕だけじゃ少し厳しいから」


 ——……内容による……もしそれが本当に魔晶の理となるものなら、私は協力する——


「そう言うと思ったよ……喜べ、次の標的は……魔術学園ゼスティアだ」


 今まで反応を示さなかった魔人がゼスティアの名前を聞いた瞬間、ピクリと体を震わせた。


「協力してくれる……ってことでいいのかな。それじゃあ、少しづつ話そう楽しい楽しい遊びの内容をね」



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「それでは今日の授業はここまでとします」


 授業が終わり、きっちりと席に座っていた生徒達がまばらになっていく。

 今日もまた一つ、知識を増やした。毎日の実践練習も欠かさず、積み重ねによって俺は確実に強くなっている。しかし、その歩みはあくまで少しずつであって、これといった実感を感じられるものではなかった。


「手応えというか、これで奴らが倒せるようになったかというと……」


 こういった積み重ねはすぐに大きな成果は出ないと分かってはいても焦燥のような感情が心で燻るのを止められない。

 初めてのタスクから二週間が経過した。あれから魔晶の動きは特になく、一時的に平穏な日常が戻ってきている。

 

「この後どうする、遊びに行く?」


「じゃあ街に行こう!行ってみたいお店あってんだぁ〜」


 生徒のほとんどが笑顔を浮かべながら放課後の予定を語り合う様を半ば複雑な目で眺めていた。

 一週間前、学校側がゼスティアと魔晶の関係、その現状、そして『侵略』のことについて生徒達に説明した。しかし、現状を見て分かる通り、その脅威を正しく認識している生徒はかなり少ない。

 その理由は簡単、実感がないのだ。

 この学園に来る前は国家魔術連が自分達を守ってくれていたから、侵略の脅威がどれほどのものなのか、いまいち想像できないのだろう。俺達も実際に魔晶の魔術師と戦ったかわなかったら、彼らと同じようになっていたに違いない。

 体験していない物事を正しく認識するというのはとても難しい。


「どうにか、ならないのか……。こんな状態で侵略を受けたら危ういぞ」


 実際、俺も侵略がどれほどの規模のものなのか測りあぐねていた。

 なるべく最悪を想定してはいるが、その最悪を上回る可能性も十分にあり得る。


「かく言う俺も他人の心配してる場合じゃないんだよな」


 侵略の規模がどうであれ、今の俺の実力では不十分、命を危険に晒す恐れがある。だから強くならねばならないのだが、どうにも先行きは良くない。

 もっと大きな変化やきっかけが必要だ。

 日々の積み重ねを否定しているわけではない。しかし、それだけでは間に合わないという確信があった。


「ムルド先生!」


「……Mrドージ」


 教室が閑散とし始めたため、タイミングを見計らってムルド先生に話しかける。


「『個式魔術』については、まだ教えてくれないんですか……」

 

 俺が大きな変化をもたらすと考えている手段は二つ。

 一つは仮面魔術師が使っていた『個式魔術』だ。

 この世界の魔術は大きく分けて二つ存在すると師匠は言っていた。修行時代『色彩魔術』については教えてくれたが、もう一つの魔術についてはついぞ教えてくれなかった。

 あのタスクの後、図書室で調べて『個式魔術』のことを調べたが、『Class B』の範囲で閲覧できる書物には詳細なことが書かれていなかった。


「すまない、このところ立て込んでいてね。君に『個式魔術』を教えるだけの十分な時間が取れないのだ」


「そうですか……」


「だが必ず時間は作る、それは約束する」


 以前は補習でほぼ毎日のように面倒を見てくれた先生もここ一週間は慌ただしく学園中を歩き回っている。先生達も生徒のほとんどが脅威を危機感を感じていない現状をどうにかしようと頭を悩ませているのだろう。

 ここは一先ず『個式魔術』のことは置いといて、もう一つの手段を検討するしかない。


「武器を、魔導具を手に入れるしかないな……」


 魔導具。魔力を持った聖魔翡翠などを加工して作られる、術式が刻まれた道具。その種類は湯を沸かしたり掃除をしたりなどの日常生活に必要な器具から、剣や槍、杖などの武器に至るまで様々だ。

 今日に至るまで俺は特定の魔導具を携帯することはほとんどなかった。入学試験時には木剣を使っていたが、あれは訓練用の延長線上のものに過ぎない。


「だけど生半可な武器じゃかえって弱くなるし、どうするべきか」


 武器を持つことが必ずしも自身のためになるとは限らない。

 人間は基本、攻撃魔術は掌からしか放つことができない。つまり、両手ないし片手に武器を持つことは攻撃魔術を半分封印するようなものなのだ。

 無論、戦い方によっては手を空けて攻撃魔術を使うこともできるだろうが、頻度が減少することは避けられない。


「とりあえず図書室にでも行って、魔導具の本でも借りよう」


 教室を出て、図書室に向かって歩き出そう——。

 と、したところで見覚えのある黒髪が目に入った。


「やっ!ドージ君、久しぶり」


「ミリア、どうしたんだ?教室は離れてたと思うけど、偶然?」


「いいや、ちょっと用事があってね。ん……ドージ君、何か悩みがありそうな顔してるけど、どうしたの?」


「えっ!顔に出てた……?」


 自分が悩んでいることを即座に見抜かれ、咄嗟に顔を触って確かめる。

 無道の時も似たようなことがあったので、俺は案外思ってることが顔に出やすいのだろうか。


「その……魔導具を持とうかと思ってるんだけど、俺よく知らないから。今、図書室に本を借りに行こうかと思ってたところ」


「魔導具を?そっか、でもそれなら本で調べるより、実際に使ってる人に聞いてみた方がいいよ」


「人に?」


 その方が分かりやすいのかどうかを一瞬疑ったが、様々な魔導具を使っているミリアがそう言うのなら間違い無いだろう。


「なら先生とかに聞いてみるよ——って何で袖引っ張るんだ?」


「チョイチョイ。私でよければ教えてあげるけど」


「えっ、いいのか。……いいのか?」


「二回聞かないでよ。ドージ君が魔導具を持とうとしてるのって、多分強くなりたいからでしょ。知らない仲じゃないし、協力してあげる」


 思わぬ提案に驚いた。

 迷惑をかけるのではないかと遠慮していた。しかし、よくよく考えれば今から魔導具について詳しい人を探すのも時間がかるので、ここは彼女の好意に甘えるとしよう。


「ありがとう、ならお願いしようかな」


「決まり。今日は忙しいから休日にね。街にある魔導具の店いくつか案内するよ」


「そうか」


「詳しい日時はまた後で連絡するから、それじゃ!」


 そう言い残してミリアは足早に去っていった。

 強くなることに悩んで悶々とした日々が続いていたが、久しぶりに一歩前進したと感じる。

 休日に街へ男女が二人で街へ出かける。


「そうか……え?」

 

 これはデートではないかと、そう思った時にはすでに遅かった。

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