第29話 ゼスティアと魔晶 明かされた現実

 俺達は救出した子供達を村に連れていき、報酬だけ受け取ってすぐにゼスティアへと帰還した。村長や村の人達は名残惜しそうにしていたが、今はムルド先生へ話を聞きにいく方が大事だと判断したので気持ちだけ受け取っておいた。

 学園に戻って受付の人にタスク完了を報告し、その足でムルド・アルエーリ先生の個室へと向かった。


「これはこれは、Mr .ドージ、Mr .無道、Mr .エルデラード、それにMs .エンスライまで。その様子だと無事にボイドから帰って来れたようですね」


「ムルド……先生……」


「聞きたいことがたくさんあるのは分かります。ですが、まずは座ってください。疲れているでしょう」


 ムルド先生は落ち着いた声で部屋のソファに手招きした。

 質の良い柔らかなソファに座ると、タスクを終えた疲れが噴き出してきた。疲れているのは三人も同じようで、ぐったりとしていた。


「皆さん、飲み物は何がいいですか」


「私は紅茶を」


「俺は緑茶で」


「僕も紅茶を」


「いつものココアでお願いします」


 俺は補習関係でこの個室に頻繁に出入りしていたこともあって、お茶は何回もご馳走になっていた。

 しばらくするとそれぞれの茶やココアの香りが部屋中を満たす。


「行き渡りましたね。それでは……何から聞きたいですか?」


「今日、ボイドの低層で魔晶に与する魔術師と遭遇しました。少なくともClass A -以上の実力者です。教えてください、人間と魔晶は今どうなっているのかを」


 道すがらに他の三人に聞いてみたが皆、魔晶についてはよく知らないらしい。

 魔晶による襲撃があるにはあるらしいが、そういう時は国家魔術連の魔術師が安全な場所まで避難させてくれるため、魔晶がどういう姿なのかを見たことがないそうだ。

 安心のために魔晶の情報は市民には伏せている、と考えた方が妥当だろう。


「元々、魔晶は我々にとって差したる脅威ではありませんでした。魔晶はボイドから出てくることはほとんどありませんでしたし、強さもそこそこ。稀に強い個体が出てくる場合もありましたが、それでも『Class A』ほどでした」


 ムルド先生はソファに深く腰を下ろし、静かに語り始めた。


「十分に対処は可能だった、ということですか」


「はい。魔晶は基本群れず、知能も低かったので、仮に強い個体が現れたとしても集団で問題なく倒すことができたのです——三十年前までは……」


 三十年前、その数字をこの世界に来てから何度も聞いた。それと同時に語られているのことも。


「三十年前、つまり『リバース・ワールド』が起こる前ですね」


「その通り。ある異世界人が魔晶と共に引き起こした戦争『リバース・ワールド』。それによって、魔晶のあり方がそれまでとは全く別のものとなりました」


 言葉を紡ぐたびにムルド先生の表情は重苦しくなっていく。

 ムルド先生は他の教師の中でも特に老齢だ。世界が著しく変化する様を実際にその目で見てきたのだろう。


「まず変わったのは魔晶の定義です。それまで魔晶とは、魔力を持った獣である『魔獣』と魔獣の発展形であり一定の言語能力と人間に近しい体を持った『魔人』、この二種類だけを指した生き物の定義でした」


 ムルド先生はテーブルの上に置いた分厚い本のページを開いて見せてくれた。

 そのページの片側には獣の絵と角や翼が生えた人間のような絵がそれぞれ描いてある。


「リバース・ワールド以降、そこに我々とは違う世界から来た『異世界人』と人間を裏切り魔晶側についた魔術師『堕魔師』が加わり、『魔晶』は一つの敵対勢力として定義し直されました」


 もう片方のページには扉を開いて出てくる人の絵と黒く塗りつぶされた魔術師の絵がそれぞれ描いてあった。

 なぜ、異世界人は扉を開ける絵なのだろう。単に表現方法の一つとして適当に選ばれただけなのか、何らかの理由があるのか。

 もう少し考えたかったが、この場で異世界人の絵ばかり凝視するのも不自然なので、思考は一旦打ち切ってムルド先生の話に耳を傾ける。


「そして始まったのが、です」


「侵略……それは、文字通りの?」


「はい、年に数回、地上にいる私たち人間に向けて大規模な攻撃を行うようになりました。街を破壊し、人間を殺す、奴らの目的は我々人類の滅亡です」


 ムルド先生はここで一旦、自分のカップに手を掛けた。

 おそらくもう七十を過ぎているにも関わらず背筋を伸ばして静かにコーヒーを飲む姿には、積み上げてきた人生を感じさせた。


「初めの頃は侵略の規模もそこまで大きくなかった、魔術師の数も今より多かったこともあり十分守れていました。しかし、魔晶は年々質と量を増していき、魔術師はそれに対応できなくなっていったのです」


 語られていく、魔晶と人間の歴史。その発端を作った者こそが異世界人なのだ。


「リバースワールドから三十年。今も人間と魔晶は戦いを続けています。はっきり言って、状況は良くありません。私たちは少しずつ、着実に追い詰められています」

 

 俺も、他の三人も言葉を出せぬほどに呆然としていた。

 おそらく、魔術師以外にはこの事実は隠されているのだろう。


「これが現実です。このままいけば、私達人間は滅亡するでしょう」


 『単に魔術が使えるだけの一般人』と『魔術師』は違う、師匠が修行の時に教えてくれた話だ。

 この世界の人はほとんどが魔力を持ち魔術を行使することができる。しかし、だからといって『魔術師』とは定義しない。『魔術師』は一つの称号なのだと師匠は話していた。事実を知り、敵と戦う覚悟を持ったものだ、と。

 その意味が今になってようやく理解できた。


「侵略は……このゼスティアにも、及ぶんですよね……」


「はい」


「自分達で……戦わなければならないんですよね……」


「はい。国家魔術連の魔術師は街と人を守らなければないので、助けはないと考えてください。『魔術師』となったからには、自分の身は自分で守らなけらばなりません」


「人間と魔晶の戦争……なんですよね」


「…………はい」

 

 今日のタスク以上の戦いがこれから待ち受けている、そう考えると目の前が真っ暗になりそうだった。こんな世界の中で俺は元の世界に帰る手がかりを探しに行けるのだろうか、そんな弱気な考えが頭をよぎる。


「先生、侵略はいつ来るんですか?」


「時期による、としか現状は言えません。侵略が始まって三十年経ちますが未だに魔晶側の動きを掴めていないので、対応がどうしても後手に回りがちなのです」


「じゃあ僕たちはいつ来るかも分からない襲撃に備えなければならないということですか?」


「四の月、五の月は未だ侵略があったことはありません。しかし、安全とは言えません。魔晶がそれを逆手にとって仕掛けてくる可能性もあります」


 怯えた声音で質問するシュシュルに対し、ムルド先生ははっきりとした答えを用意できず、心苦しそうな顔をしていた。


「私から言えることは一つ、強くなってください。鍛錬を欠かさず上のClassを目指すことがあなた達生徒にできる、侵略に抗う唯一の術です」


 『魔術師』になったからには強くなれ、できなければ死ね。

 この世界が突きつけてきた分かりやすい現実だった。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「今日はもう遅いのでここまでです。このことは近日中に授業で他の生徒にも話しますが、それまでは他言無用でお願いします」


「分かりました」


 聞きたいことはまだまだあったが、今はこの世界の現実を受け止めるので精一杯だったので後日に回す。本来ならこの後、初タスク完了を祝して街のレストランに行く予定だったが、三人ともそんな気分ではなかったので各自解散という形になった。


「一人でレストラン行くのもアレだしな……適当に食うか」


 学園内部には変則的な生活を送る生徒のため、いつでも食べ物を提供してくれる場所がいくつか存在する。今回は、その内の一つであるパン屋でパンと牛乳をもらって中庭のベンチで食べることした。


「はぁ……」


 中庭の中央にある立派な噴水。それを囲むようにして配置されたベンチの一つに座り込む。空は既に暗かったが、中庭にはあちこちに街頭が設置いるので周囲は明るかった。


「綺麗な景色……ここは……異世界なんだよな……うん」


 見慣れぬ土地や見慣れぬ景色に浮き足立つ感覚が心を襲う。

 ほとんど何も持っていない状態でこの異世界に来て、そこから激流のように忙しい毎日を送ってきた。

 最近になってようやく落ち着いたのが、そうすると今度は自分の現状を省みる時間が生まれてしまった。 頼りたくても、家族も親友もここにはおらず、一人で生きるしかない、ふと自分の内側を覗くとその事実が顔をだす。


「ははっ……都会に上京して一人暮らしを始めた時も、こんな気持ちになるのかな……」


「父さんと母さんは……大丈夫だろうか……」


 向こうの世界のことはあまり思い出さないようにしてきた。特に、突然いなくなったであろう俺を両親は心配しているのではないかという不安は。

 この世界と元の世界の時間の流れはまだ分かっていない。向こうとこっちで時間の流れが同じとは限らない。こっちで数年かけて元の世界に戻ったら、向こうでは一時間も経過していないというのは転移系の物語ではよくある話だ。


「でも、もしこっちの時間の流れが同じだとしたら……」


 。元の世界がどうなっているか考えると不安が止まらなってしまう。

 向こうでも同じ時間が経過しているとしたら1ヶ月以上が経過していることになる。両親や親友は、誕生日に突然いなくなった俺を心配しているだろう。

 『俺が行方不明のせいで両親と親友が毎日悲しみに暮れている』、その可能性を考えると頭がおかしくなりそうだった。


「やめろっ!考えるなっ。何も……できなくなるだろうが……」


 余計なことを考えないために、パンを袋から出して口いっぱいに頬張る。碌に味わうこともせずただ無心で詰め込んで牛乳で押し流す。

 一分ほどで食べ終わるが、それでも寂しさは心に残ったままだった。


「泣くな……泣くなよ。俺にはそんな時間ないだろ。強くなって、ボイドに潜って、世界転移の魔術を見つけて、元の世界に帰ってはい終わり。簡単だ、すぐにできる」


 涙を抑えるため、必死に自分に言い聞かせる。

 ムルド先生からこの世界の現実を聞いたせいか、後ろ向きなってしまっている。これじゃあダメだ、もっと前を向け。

 

「だから……涙……なんて——」


「ドージ君……?」


 はっと振り向くとミリアが俺が来た方向から歩いてきていた。手に持っているのは同じパン屋の袋。つまるところ、俺と彼女の思考は被っていたのだ。


「……泣いてるの?」


「なっ泣いてる?そんなことないない。大丈夫だから!あっ飯食いに来たの。じゃあほらベンチ座って早く食べなってほら早く!」


 泣いてる、なんて聞かれたら余計泣きそうになってしまうから、必死に早口でまくしたてる。

 しかし、そんな俺の意図を知ってか知らずかミリアは俺のすぐ隣に座ってこっちをじっと見つめてきた。


「…………」


「なんだよ、やめろよ。人前で泣くのなんて……恥ずかしいから……あっち行っててくれよ……お願いだから」


「理由は聞かない」


 そう言ってミリアは両手を広げて、受け入れる姿勢をとった。

 彼女の透明な瞳が真っ直ぐこちらを見据える。茶化すわけでもなく真剣なのが伝わってくる。

 本音は腕の中に飛び込んで泣いてしまいたい。異世界人であることも元の世界の家族と親友を案じていることも全部曝け出したい。この孤独を理解して、そして慰めてほしい。

 だが——それが素直にできるほど俺は成熟してはいなかった。


「いいよ……そういうのは……自分で飲み込めるから」


「……むぅ……えい!」


「ちょ——!」


 受け入れる姿勢から一転、ミリアは横から抱きついてきた。両腕が俺の首に回され、密着する形となる。


「ドージ君が助けてくれなかったら、私は今日、あの場所で死んでた。だから、これはそのお返しってことで」


「ミリア……」


「もしこれも嫌なら……もう何もしない……どっか行くから」


 肌と肌が触れ合い、ミリアの熱がじんわりと伝わってくる。

 それを拒めるほど、俺の心は強くなかった。

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