第28話 腹に潜んだ悪意
緊迫した空気が場を支配する。俺とミリア、そして仮面魔術師がいるここだけ重力が強くなったと錯覚するほどに。
三人ともとっくに戦闘体制に入っているため、いつ戦いが始まってもおかしくなかった。
お互いがどう動くべきか作戦を模索する戦闘前の数秒間。行動の選択肢が現れては消えていき、高まる集中力が敵の一挙一動を見逃さない。
仕掛けるべきか……待つべきか……どうする?
どちらでも対応できるように足を少しずつズラしていく。
相手もこちらの意図を悟ったのか、構えを変えてくる。
緊張の密度が限界まで達し、仕掛けようと踏み込んだその瞬間——
「——えっ、なんて?」
仮面魔術師が間の抜けた声とともに戦闘態勢を解いた。
あまりにも意外な行動に俺もミリアも呆気に取られてしまう。
「本来の目的を果たせぇ?えー、ここからもっと面白くなるって時に」
独り言ではない。おそらく通信魔術によって会話をしているのだ。その相手は十中八九仮面魔術師の仲間——魔晶で間違いないだろう。
「あーもう、中間管理職みたいなことばっかり言うな」
緊迫した雰囲気はどこへやら、愚痴を零す仮面をつけた魔術師とそれを唖然とした顔で見る二人の学生魔術師という珍妙な構図ができあがった。
「分かりました分かりました。すぐやります、それじゃあ!」
不機嫌そうに言い放つと仮面魔術師はこちらに向き直った。
「ごめんね、今日はここまでだ」
「「——は……?」」
持ち直してきた緊張感が再度抜かれる。
俺はキョトンとしていたが、言葉の意味を理解すると猛烈な怒りが込み上げてきた。
「ふざけてるのか?逃がすわけないだろ……!」
「熱くならないでよ、僕だって残念なんだからさぁ」
やれやれという風に肩をすくめる仮面魔術師。そんな仕草が一層俺の怒りを誘う。
こっちは本気でやっているというのに、いつまでたっても遊び気分を崩さない。馬鹿にされているように感じるのだ。
「それにさ、よくよく考えてみてよ。君達だってまだ入学して二、三週間しか経ってないわけでしょ。こんな楽しい戦いをここで終わらせるのはもったいないよ。どうせなら、もっと大舞台で、強くなってから戦った方が楽しいって!」
こちらの怒りなど無視して仮面魔術師は歩いている。
俺達は仮面魔術師にこれ以上強くなられたら困るからここで倒そうとしているのだ。大舞台でなど冗談じゃない、そんなところで魔獣など出されたら大混乱になるに決まっている。
「お前の戯言など聞きたくない!ここで俺が——」
逃げる隙を与えないため、勢いよく飛び出そうとしたところをミリアの手に制された。
俺は彼女の意図が分からず声を荒げる。
「ドージ君、待った」
「ミリア、どうして!?」
「仮面の魔術師が歩いていく先を見て」
言われるがまま、仮面魔術師が歩く方向へ視線を移動させる。
その先にあったのは俺が倒したドラゴンの死体だった。俺の魔術によって翼はバラバラになり、首は両断されていた。
初めはただの死骸としか思わなかったが、頭に上った血が引いていくにつれて違和感に気づき始めた。
なんでまだ
通常、魔獣の死骸は残らない。個体の大きさにもよるが、死後三十秒ほどで灰が散るように消えるのだ。いくら体躯の大きいドラゴンだからといって未だに死骸が残っているのは異常だった。
「どうなっているんだ……?」
「それはまだこいつに役割があるからだよ——」
仮面魔術師がドラゴンの腹部に手を触れる。そこから魔術の紋章が全体に広がってゆく。それだけではない。死んだはずのドラゴンの魔力が異様膨れ上がっている。
無意識に足が退いていた。本能が警告を発している。何か分からないがあれはヤバイ、と。
「そぉれぇぇっとぉぉ!」
——ドクン!——
仮面魔術師が一際強く手を押し込んだ。その瞬間、さらに魔力が増加して腹から心臓の鼓動のような音が周囲に響いた。
「君たちも早くボイドから脱出した方がいいよ。これ、あと三十秒くらいで爆発するから。それじゃあバイバイ」
そう言いながら仮面魔術師は出口の一つである穴の奥へと消えていった。
その姿が消えると同時に俺とミリアは反転して出口に向かって走り出した。声を交わさずともお互いに理解していた、ここから逃げなけらば死ぬことを。
——ドクン!ドクン!ドクン!——
「「『イエロー・ライズ』!!!」」
無我夢中で走った。どれだけ走っても耳にあの鼓動のような音が届く限り安心はできなかった。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろとにかく逃げろ——。
その言葉だけが頭の中を埋め尽くす。だがその思考を止める必要はない。落ち着いたら恐怖や不安が入り込んでくるからだ。今は全力で体を動かすことを何よりも優先しなければならない。
——ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドクドク!——
鼓動のリズムは加速を続け、音と音の境界すら曖昧になった瞬間——弾けた。
「っぁああ!?」
爆発の震動で体が宙に浮き、耳には鼓膜を破りかねないほどの爆音が容赦無く叩きつけられた。
予想以上の衝撃に、俺とミリアは立ち止まって耳を押さえてしまう。振動は十五秒ほど続き、その後緩やかに静まっていった。
「今ので終わりか……?」
「いや、そうじゃないみたい。何か聞こえる」
まだ爆音の残響があるはずなのに、ミリアは音を聞き分けていた。
少し遅れて俺の耳にも音が届く。
これは、波の音……?たくさんビーズを流してるみたいな……分からない、けど気味が悪い。
だが好まないからといって音が止んでくれるわけでもない。爆発が止んで少し安心した心に入り込んで不安を煽ってくる。
そして気づく。この音が凄まじい早さで俺達に近づいてきていることに。
「今度は何だ、何が来ている……?」
「分からない。少なくとも、私達が喜ぶものじゃないのは確かだね」
細く薄暗い道だったので振り返っても何が来ているのか分からなかった。
ただ俺達は速度を上げ続けた。にも関わらず、音は遠のくどころか近く一方だ。
曲がりくねった道を抜け川が流れる開けた場所に出る。そしてもう一度振り返った瞬間、聖魔翡翠の光に照らされて追ってきたものの正体が明らかになった。
「何、あれは——」
黒い浸食だった。
色を塗りつぶす絵の具のようなべったりとした闇黒が後ろから迫ってきていた。どこにも逃げ場などない。穴の端から端まで、黒くない部分など一片もなかった。
その動きは自然災害のような圧倒的力の奔流だ、無慈悲で無情な現実だ。
三十秒前に自分達がいた場所が呑まれる。分解されたり灰になるようなことはない、ただ闇黒に呑まれて見えなくなるだけ。単純だが、それ故に恐怖だった。
「まずい、追いつかれる!」
もう限界まで手足を動かしているから速度を上げようとしても上がらない。
その事実が心の隙間に恐怖を生み、冷たい感覚が心臓を撫でた。
「まだ手はある!上級の強化魔術を君に使えば逃げられる!」
土壇場でミリアが柵を見出した。
確かにこの状況で逃げ切るためにはそれしか方法がない。
「でもそれは——っ!」
慣れない強化魔術は身体能力に思考がついていかず暴走する恐れがある。その旨を伝えようとミリアの方を見て察した。
息が荒くなって僅かづつ速度が落ちている、彼女はもう限界なのだ。
「頼むよ……君の方が身体能力は上だからさ」
彼女は少しやつれた顔で微笑んだ。
「分かった」
やるしかない、出来なければ死ぬのだから。
ミリアのすぐ前に移動し、背中で受け入れる体勢を作る。
彼女はジャンプして俺の背中に飛び乗ると同時に魔術を発動させた。
「『イエロー・ノーブル・ライズ』!」
体が黄色いの輝きに包まれた途端、それまでの限界が限界でなくなった。足を踏み込むたびに前方の景色が後方のものとなる。
「ぉぉぉぉぉぉおおおお!?」
当然、それまでとは体の動かし方が全く異なった。あまりに強化された身体能力に振り回されないように必死に制御する。例えるなら、暴走した時速二百キロの車を運転しているようだった。少しでもハンドル操作を誤れば壁に激突して止まってしまう、そんなピーキーな身体能力になっていた。
「ドージ君……!」
振り落とされないように一生懸命しがみつくミリアの腕の感触が唯一、俺の理性を保ってくれていた。
障害物を避け、一直線を駆け抜け、みるみるうちに闇黒との距離を離していく。
「出口だ!」
初めに降りてきた階段を五段飛ばしで登っていき、オレンジ色の太陽の光が差し込んできている。
そして、光の中に飛び込み外へ出ることができた。
「ドージ!?」
「ミリアーチェさん!?」
最後まで全力疾走だったので勢いを殺しきれず、地面を転がり木に激突してようやく止まった。
ボイドから脱出はできたが、あの闇黒が追ってきているためまだ安心はできない。
「二人とも!そこの布にありったけの魔力を注いで!!」
「え?どうし——」
「いいから!!!」
でんぐり返しの状態でミリアは叫んだ。
シュシュルと無道は大急ぎでミリアがボイドに入る前に設置していた魔法陣が描かれた布型の魔道具に魔力を注いでいく。
「これは……結界魔術か!」
魔力を注がれた魔法陣から黄色い光が溢れ、ボイドの入口を隈なく覆っていった。
そして直後、入り口に到達した闇黒を光の結界は完璧に防ぐ。
結界魔術。名前の通り境界を隔てる魔術だ。物理的なものはもちろん、特定の魔術や特性を持ったものだけを防ぐものなど様々な種類が存在する。
「終わった、終わったよな」
俺たち四人は子供達の救助が完了したことを認識し、一分ほどその場にへたり込んでいた。
「これは、ミリアが……?」
「いいや、タスクに行く前にムルド・アルエーリ先生が念の為にって持たせてくれたの」
ムルド・アルエーリ——俺達のクラスの担任。補習の関係で毎日のように会っているのですぐに顔を思い出せる。
あの人がこれを……予測していたのか、結界魔術が必要になることを……?
「話を……聞く必要があるな」
俺はまだこの世界について全然知らなかったのだと、このタスクでそう思い知らされた。
体は疲れ切っていたがそれよりも知らなければならないという決意の方が固かった。
満場一致で俺達はムルド先生を尋ねるべく歩を進めた。
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