第23話 自由なミリア

 『ボイド』は魔術世界全体に広がる地下を指す言葉である。何層にも隔てられ、それぞれの造り全く違うのだと写真を見せながら先生は教えてくれた。

 眼前広がるのはその一層の一部分の光景だけだというのに、俺は既に圧倒されていた。

 写真で見るのと実際に見るのは違うということは理解していたが想像以上だ。五感に入る情報全てが驚きに値する。

 荒削りのゴツゴツとした階段を降りていく。岩壁のあちこちから露出した聖魔翡翠の放つ青緑色の光が視界を照らしていた。

 歩いていくうちに、耳に川の水特有の音が入ってくる。予想通り、少し進んだところには川があった。水の中にも聖魔翡翠があるため、川全体が照らされて神秘的な雰囲気を漂わせている。


「「「綺麗だ」」」

 

 じっくりと観察したいところだが目的は観察ではなく子供達の救助だ、それに本来ここに足を踏み入れるには俺の実力はまだ足りない。

 それに『ボイド』に入ったからには魔晶がいつ襲ってきてもおかしくないだろう。警戒は高めておくことに越したことはない——のだが。


「ふわぁぁぁぁ。すごいね。ほら、あれも、これも」


 ミリアには警戒しているような様子が全く見られない。好奇心のまま自由に動いている。

 緊張感がないのは実力ゆえの余裕か、それとも性格によるなのか。

 自分よりランクが高い彼女に意見するのはどうかと思っていたが、流石にずっとこんな調子でいられても困るので声をかけた。


「ミリア。もう少し緊張感を持ってほしい。冒険心が疼くのはわかるけどさ」


「ん?あぁ、ごめんごめん。私も入るのは初めてでさ、つい興奮しちゃった」


 振り返って後ろ向きに歩きながら彼女は答えた。

 一応、元の世界でも十代の女性との関わりはあったが、ミリアはそのどれにも当てはまらない。今まで接したことないタイプだった。


「私はさ、自由っていうかちょっと抜けてるんだよね。私の中の普通はすごく曖昧だから、合わせようとすると変になっちゃう」


 どうやらマイペースらしい。彼女に限らず魔術師は個性的な人間が多いように感じる。文化や歴史の違いとは関係なく魔術師は個性が強い、見た目も内面も濃いので話した魔術師は大体思い出せるほどに。

 

「でも目的は忘れてないよ、子供たちは救い出す。そのためにはまず、あいつらを倒さなきゃね」


 奥の物陰から魔獣が現れる。二足歩行のゴリラのような魔獣が二体、重く鈍い足音を響かせながらこちらに接近してくる。


「敵か!無道、シュシュル、やるぞ!」


「いやここは私に任せてよ。ちゃんと実力があるってところ見せておきたいしさ」


 構えようとする俺達を手で制し、彼女は一歩前へ出た。

 あの魔獣。明らかにさっきの狼型の集団より強い。魔力からしてB -とBの中間辺り、そしてそれが二体だ。

 不安を覚えないではなかったが、『Class A -』の実力を見られる機会はそうそう無い。

 ピンチになれば助けに入ればいいと考え、静観することにした。


「それじゃあ、ちょっといいとこ見せちゃおうかな」


「「ゴルルルルァ!!」」


 雄叫びが響き、魔獣の体を黄色の光が覆う。

 魔術の行使は人間と魔獣で異なる。人間は詠唱や操作を駆使して魔力を変化させるが、魔獣は魔導具のように体内の魔力を循環させるだけで体に刻まれた魔術を使う。

 一見魔獣の方が便利そうに見えるが、奴らが使える魔術は体に刻まれた術式のみ。B +までなら使える術式は多くて三つだけだ。


「どう見るドージ。彼女の実力」


「仮にも入学時から『Class A -』のランクを授かった魔術師だ、心配はない……と言いたいところだが……」


 魔獣の厄介な点は運動能力の高さだ。目の前の魔獣はゴリラに似ているが腕の太さや胸の筋肉は普通の個体の倍以上ある。

 特定の部位での肉体的ポテンシャルが人間を上回っている魔獣は多い。その肉体的な力に魔術を絡めてくるのが魔獣という生き物の戦い方だ。


「なるほど、ご自慢の体に強化魔術を使って接近戦を狙ってるわけね」


 焦りを微塵も感じさせない彼女の手にはいつの間にか棒状の武器が握られていた。


 いつの間に?どこから?背中には何も背負ってなかったはず……。


「それじゃあ、お望みどおりに『イエロー・ライズ』」


 強化魔術を唱え武器を構える、彼女も接近戦で応じるらしい。


「ガルルルァ!」


「ゴルルルァ!」


 まず左の個体が先制し、右の個体も後に続く。

 そして攻防が開始された。

 ゴリラ魔獣のフルスイングによって生じる風は離れた場所に立つ俺達まで飛んでくる。そんな恐ろしい拳を彼女は姿勢も表情崩さずに避けていく。


「そんな動きじゃダメっ!」


 両方向からの拳を姿勢を低くして躱し、そのまま棒に魔力を込めて一回転。

 瞬く間に魔獣の足元をすくい、崩れたところに蹴りを入れる。


「おお、すっげ」


 無道が驚嘆の声を上げる。最低限の強化魔術しかかけていないはずの彼女の蹴りが、倍以上の体重を持つであろう魔獣の体を吹っ飛ばしたのだ。

 近接とは無縁そうな手と足だと思っていたが、その評価を改めなければなるまい。

 棒術を攻防自在に使いこなすその技術は1日やそこらで身につく物で無いだろう。


「「ガギィ!バルルルァァァァァ!!!」」」


 吹っ飛ばされたことに怒りを感じたのか。

 今まで以上に大きな叫び声を上げ、ゴリラの魔獣はミリア目掛けて突進する。

 身体能力を活かした猛突進。互いがぶつかるのもお構いなしの全開速度。


「まずいっ!避けろぉ!」


 例え体が強化されていたとしてもあんな突進を受ければひとたまりもない。

 攻撃を避けるようミリアに呼びかけるが、彼女はその場から動くどころか棒を構えようとすらしていなかった。


「ふふっ。大丈夫大丈夫〜」

 

 突進がすぐ近くまで迫っても彼女は動かない。

 俺は次の瞬間にミリアの体がグチャグチャになって宙に飛び散る様を幻視し目を閉じかけた。閉じかけて、——彼女の姿が消えて——目を開いた。


「えっ!?」


 視界から消えたのは一瞬で、彼女の姿はすぐに捉えられた。

 上だ。元いた場所のすぐ上に彼女はいたのだ。棒を地面に勢いよく突き、高飛びの要領で飛び上がったのだ。

 側から見ている俺ですら捉えるのに数秒を要した、ゴリラ魔獣からは彼女がどこにいるのか分からないだろう。だとしても奴らはもう止まれない。

 飛び上がった彼女は下に向けて手を構える。両方から迫る魔獣の頭部が重なる一瞬を狙い——


「——『ブルー・ストラストラス』——」


 腕から放出されたウォータージェットの如き水圧が重なった頭部を串刺しにした。

 頭を貫かれた魔獣は先刻のような肉体の躍動はなく、ただ重力に従ってその場に崩れ落ちた。


「こんなところでどうかな、私の実力」


「す……すごいです!」


「やっぱ、A -は伊達じゃねぇな」


「…………」


 想像以上……これが『Class A -』か……!


 戦いの一連の流れはスマートとしか言いようがなく、特に飛び上がってから魔術で両方同時に仕留めるところなど驚嘆ものだ。

 上へ避けるのも、反撃で重なった頭を狙うのも、少しタイミングがズレていればダメージを負うのは彼女の方だった。大胆かつ精密な動き、魔術発動の流麗さは俺達とは一線を画している。

 まず、最低限このレベルにならなければ、『ボイド』の探索は許されないというわけか。


「それにしてもすごいなミリアは。棒術を中心に戦っているのか?」


「ん……いいや。どんな武器でもそれなりに扱えるよ。今日はたまたま持ってきたのがこれだけだったから」


「マジか!その時でそれだけできるってことは小さい頃から触ってたのかあんた?」


「うん。昔から好奇心が強くてさ。思うままにいろいろ触って練習してるうちに使えるようになった」


 平然とした顔でとんでもないことを言う。

 俺も様々な種類の武器型の魔導具を扱えるように、師匠と訓練を初めて今日までずっと続けているが今使えるのは五種類だけだ。


「進もうか、もっと奥へ」


 その後は、四人でボイド一層の奥深くまで進んでいく。時々現れる魔獣を遇らいつつ、子供たちを探すが痕跡ひとつ見えてこない。

 本当に子供たちはまだこの一層にいるのか不安に感じた時、シュシュルがいきなり俺の肩を叩いた。


「ねぇ、今子供たちの声が聞こえた」


「本当か、どこからだ!」


 シュシュルは五感を強化する魔術や周囲の地形を把握する魔術を使って探索を行なっていたのだ。

 俺達でも出来ないことはないが、いつ魔獣と戦うか分からない以上魔力の消費は抑えて置きたかった。しかし、膨大な魔力を持ったシュシュルなら話は別だ。


「多分声の大きさからしてかなり奥の方。でも間違いなく子供たちの声だったよ」


「ん。それなら急いだほうが良さそうだね」


 一刻も早く子供たちを助け出すために走り出す。

 しかし、そんな俺達をボイドは安易に行かせてはくれなかった。


「——っ!これは、どっちだ?」


 道が二手に分かれている。シュシュルが魔術によって探るがどちらが子供たちがいる場所に続く道なのかは分からなかった。

 子供たちが生きている可能性が出てきたのは嬉しいことだが安堵はできなかった。情報が少なくあらゆる事態が予測できる今、どちらが正解かを選んでいる時間はない。


「迷う暇はない、二手に分かれよう」


「賛成。無道君とシュシュル君は左へ、私とドージ君は右へ行く。子供たちを見つけたら黄色の伝達魔術で知らせて」


「分かりました……!」


「相分かった!」


 即断即決。二人ずつに分かれてそれぞれの道を進む。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※


 薄暗く、細長い道をただ駆け抜ける。さっきまで流れていた川の音は聞こえなくなり、二人の足がならす音だけが静かに響いていた。


「ねぇ、ちょっとだけ聞いていい?」


 そんな静寂を先に破ったのは彼女の方だった。

 少しでも急がなければならないこの場面、俺は会話をするべきかどうか悩んでいたのだ。


「なんだ」


「もし、


 思わぬ質問内容に俺は顔をしかめた。

 

「死んでいなくても、死にそうな怪我を負っていたり、もっと深い層へ連れ去られた後だったり——」


「ああもう分かったよ。子供たちを救えなかったらどうする!って言いたいんだろ!」


 嫌な質問だ。何が嫌かって、その可能性が十分ありえることだ。

 村長から連れ去られて1日が経過しているという話を聞いた時、彼女の言うような可能性は即座に浮かんでいた。

 子供たちをさらったのが魔獣、もしくはそれ以外の何者かの意図だったとしても、一日あれば俺たちが手の届かない深い層まで移動させるのは容易い。子供たちが未だ一層にいる可能性は低かった。

 しかし、だからといって馬鹿正直に村長の前でそんなことを話すわけにはいかない。


「救えなかったら、その時は事実を村の人達に話す。そして、彼らの罵倒や謗りでもなんでも受け止める。それが俺のやるべきことだ」


「……君の責任ってわけじゃないのに。失敗したとしても、結果報告はタスクの管理者がやってくれるから、無理して村の人たちに会う必要なんてないんだよ」


 確かに、俺たちがこの依頼に参加したのは単なる偶然だ。タスクを受ける予定を明日や明後日にしていれば、おそらく巻き込まれることはなかっただろう。

 俺の責任じゃないというのも正しい。今回の事件は結界の緩みや魔術師の人手不足、様々な不備が重なって起きたことで、誰か一人の責任というわけじゃないだろう。救助に向かった俺たちは感謝こそすれ、非難される謂れはない。


「だとしてもだ!それが、俺の生き方なんだ。事実から目を逸らしたくはない」


「そう……」


 救えないとしても、自分にやれるだけのことはやる。俺はそう決めていた。

 正義感とか責任感のためではない。父と母に育ててもらった『家入瞳時』という人間を見失わないためだ。

 月日と経験は人を否応なく変えていく。それでも、強固に保った信念だけは変わらないと、俺はそう信じている。

 

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