第20話  予期せぬ学園生活

 チョークが黒板を叩く音が耳に響く。

 今日から魔術を学ぶ授業が始まった。と言っても今受けているのは雑学方面の授業であり、教師が黒板を使って説明し、生徒はそれを理解するという形式は中学の授業とあまり変わらない。


「ですから、魔術の発展に伴い各地で様々な変化が見られるようになり——」


 中学生の頃、ろくに勉強をせず基礎中の基礎の問題も答えられない問題児がクラスにいた。

 言っておくが俺の話ではない。俺は授業を真面目に聞いていたし、先生の質問にもしっかり答えていた。


「えーではこの問題をMr.ドージ。答えてください」


 クラスにいたその問題児を俺は他人事のように眺めていた。蔑んだり、腹を立てていたりしていたわけではない。ただ、今もそしてこれからも、質問に答えられずに笑顔で誤魔化すしかない問題児の気持ちは俺には理解できないだろうと、そう思っていただけだ。

 しかし——


「あはは、ちょっと難しくて分かりません」


「……では代わりにこちらの問題を」


 スムーズに進んでいた授業の速度が遅くなる。答えられない時間が過ぎるたびに、不審に思った生徒がこちらを見る。

 質問をしているのはこのクラスの担任、ムルド・アルエーリ先生だ。長めの白髪を後ろでまとめ、小さめのメガネを掛けているダンディーな老齢の人物。

 ユーモアもあり好きな先生だが、分からないと言ってるいるのに他の問題を出して答えさせようとするのはやめてほしい。


「う、うーん。それもちょっとぉ……」


「はあ。ではこの問題を。小さな子供でも知っていますよこれは」


 だからやめろつってんだろ。


 好奇の目で見る他の生徒の視線が痛い。最初はにこやかな顔をしていた先生もいぶかしむ表情を経て、嘆きの表情へと変わりつつある。

 答えを探そうと頭を必死に回転させる。させるが、覚えていない知識を引き出すことなどできるはずもない。


「すいません。全くわかりません」


「……………………えぇ」


 ついに先生の顔がムンクの叫びのようになり、授業が完全に静止した。

 こんなことになるなど予想していなかった。


 自分が勉強のできない問題児になるなんて……。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「ゔぁははははははははははははは!」


「無道。そんなに笑うのは酷いよぉ」


「いや、いいんだ」


 昼下がりの食堂に無道の笑い声が響く。

 笑いの対象は当然、今日の授業での俺だろう。


「すまんすまん。ただ、あの時の先生の顔とクラスの雰囲気と言ったらほんとに、ふふっ」


 無道が笑うのも無理はない。これが他人事だったら俺だって笑いを堪え切れていないだろう。

 俺の誤算。それはこの世界の文明や歴史、知識全般をほとんど知らないことであった。

 この世界に来てから一ヶ月。師匠に教えられた知識は初級魔術についてのみ。後は肉体訓練と実践訓練に時間を費やしていた。故に、俺はこの世界について何も教えてもらえていないのである。

 授業終了後、俺は早速クラスで話題になっていた。もちろん悪い意味で。

 ゼスティアは六つある学園の中でも最も優れたエリート校。まさかそこに常識も知らない奴が入学してくるとは思いもしなかったのだろう。


「でも授業初日に補習を受けなくちゃいけないなんて。ドージ大丈夫?」


「大丈夫。精々涙でパンがしょっぱくなるくらいだ……」


 入学早々、思わぬ壁に激突した。

 初見の印象は人間関係を構築する上で大切だというのに、こんな無様を晒すことになってはこの先どうなるか分からない。


「あのあのあのあのあのあの!すみません。確かドージさん、でしたよね!」


 早速変なのが来た……。


 黒髪のショートカットにベレー帽、そして首からポラロイドカメラのような魔導具を下げた少女が俺に話しかけてきた。


「私、同じクラスのフォリア・ラグフィーです!新聞クラブです!はじめまして!」


「新聞……クラブ?ああ、部活みたいなやつか」


 この世界に部活の概念があるとは思ってなかったので少し驚いた。

 部活と呼ぶのは日本と海外の一部の学校だけで、他の場所ではクラブだったり、地域のチームに入るそうだ。

 元の世界と文化が似通っているのは知ってたが、これは意外だな。


「まだ学校始まって二日目だぞ。この学園の性質上、先輩や後輩みたいなものはないし、新聞クラブなんて本当にあるの?」


「痛いところをつきますね、メンバーは私一人ですよ。ですが心配ありません。日が経てば人も入ってくるはずですから!」


 どうしてだろう。何の根拠もないが新聞クラブにメンバーは入ってこない気がする。


 新聞クラブのメンバー状況などどうでもいい。

 今、新聞を作る人間が俺に話しかけてきたということは、つまり——


「今日のあなたと先生のやりとり、面白かった新聞にしていいですか?」


「ダメに決まってんだろ。なに人の痴態晒そうとしてんだテメー」


 後ろで二人が、ドージって時々口悪くなるよな、と話しているが、人のみっともないところを新聞のネタにされそうになったら誰でもこうなる。


「あはは、冗談ですよー。そんなの記事にしませんよー」


 そんなギラついた目で冗談だと言われても信じられるはずがない。


「ただ面白そうな人だと思ったので挨拶しとこうと思っただけですよ〜」


「それなら別にいいが。こういうのは新聞に載せるものじゃない」


 念のため、人の痴態はネタにしないように彼女に釘を刺す。

 その後、どうでもいい世間話を終えると彼女は風のように去って行った。


「変わった人だったねあの人」


「変わったっていうか、変わりすぎだろ。都会は変人が多いとは聞いていたが、こりゃ本当だな」


 見た目に限って言えば、シュシュルも無道も人のことは言えないと思うのだが……。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



 時間は経ち放課後。

 ムルド先生の補習が終わり、俺は自主学習をするべく資料庫に向かっていた。

 図書室ではなく資料庫だ。図書室は席と本の数が多く、広さも申し分ない。対して、資料庫は学園にいくつも存在するが中は狭く、本も席も少ない。

 図書室と資料庫がそれぞれ存在するのは、食堂と同じく学園が広いからである。

 元々は図書室で勉強する予定だったが、授業初日にも関わらず人が多かったため、同じクラスの生徒に会う可能性を考慮して、人が少なそうな資料室に行くことにした。


「おお、狭いがなかなかどうして立派じゃないか」


 資料庫の入口の両隣には窓際まで続く巨大な本棚が鎮座しており、その間の細長い空間に長机が一つだけ置かれていた。

 照明のようなものはなく、縦長の窓から差し込む日の光が唯一この場を照らしている。

 そして、窓のすぐそばの席に座る女生徒が一人。


 どうやら先客がいたようだな。


 窓を背にして本を読むその女生徒は不思議な目をしていた。

 小さい瞳孔の周りの角膜が白い。それもとても澄んだ透明のような白さだ。そして、それと反対に肩の少し上で散らしている髪は黒い。

 食い入るように見つめてしまったため、彼女がこちらの存在に気づいて静かに会釈をする。

 慌てて会釈を返し、手前の席に座って自習を始めた。

 初めこそ彼女の存在が気になったものの、少し経つと雑念は消えて目の前の教科書に集中できた。


 学ぶべき量は多いが、興味があることばかりなのが幸いだな。


 読み進めて学ぶものは、主に魔術の知識、世界の歴史、各地の魔術文明の三つだ。内容こそ難しいが、元の世界との相違点を探すことや魔術の見識を深めることは異なる世界にいた俺にとってゲームの攻略本を読むような楽しさがあり、疲れこそすれど勉強が苦になることはなかった。

 そうして世界の歴史を読み解くうちに分かったことが一つある。

 それは、魔術世界は元の世界の文明に似通っていることが多いことだ。

 こちらの世界には魔術があるのでアプローチこそ違うが、二つの世界は同じ結論に至っている文化や法則が存在する。例えば絵画の手法一つとっても、発案者こそ違うが似たような技術が生み出されいた。


 これは大きな発見だ!元の世界に帰るための手がかりになる!


 そう喜んだのも束の間、ある問題に直面した。

 歴史の記述に複数の穴があり、さらに昔の歴史がほとんどない。元の世界に関係するかも知れない記述がすっぽりと抜けているのだ。


「このっ!痒いところに手が届かない感じが……もどかしい!」


「フフッ……」


 この場のもう一人の声が聞こえたところで、自分が静かにするべき資料庫で大声を上げてしまったことに気づく。


「すみません。大声を出してしまって……」


「別にいいよ、私と君以外に人いないし。それよりさ、やっぱりここら辺の歴史書肝心なこと書いてないよね」


 異世界人でなくとも、この記述の抜けた歴史書には違和感を覚えるらしい。

 大声を出したお詫びも兼ねて、入り口近くに設置してあるポット型魔道具で湯を沸かしてココアを入れることにした。

 最初に、取手を握って魔力を流すと術式によって中の水が熱くなっていく。次に、沸騰した後は棚から様々な種類の粉末飲料の中からココアを取り出す。最後に、粉末を入れてお湯を注いだら、甘い香りのするココアの出来上がりだ。


「これ、よかったらどうぞ」


「ありがとう。それでね、先生にそのこと聞いてみたんだけど、その肝心なとこのが書かれた本は『Class』の高い人しか閲覧が許されていないんだって」


「へぇ、重要文書みたいな扱いなんですね」


 『Class』の高い魔術師しか見れないのは残念だがこれで確信した。抜けた部分には絶対にこの世界の核心に迫る内容が載っていると。

 優れた魔術師になればなるほどこの世界を知ることができる。元の世界とのつながりもきっと見えてくるだろう。

 それに、あまり落胆することはない。元より上の『Class』を目指すつもりでいた。今更その理由が一つ増えたところでモチベーションが上がるだけだ。

 その後は合間合間に彼女と話をしつつ自習をしていき、終わる頃にはほとんど日が沈んでいた。


「すっかり暗くなりましたね。それじゃあ俺はこっちなんで」


「うん。お疲れ様。また会いましょう、勉強熱心な人……」


 そう言って彼女は反対方向へ去って行った。

 自分の部屋に帰る途中も俺はあの不思議な女生徒のことを考えていた。それと同時に、彼女の名前を聞き忘れていたことを思い出す。


「そういえば俺の名前も言ってないし……。まぁ、いいか。彼女の言う通り、また会えるだろう」


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