第17話 竜虎相搏つ その3

「ああああああああああああああああああああ!!!」


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 絶叫、そして響く鈍い音。俺の右ストレートがニーグの頬を打ち抜き、ニーグの蹴りが俺の腹を抉る。

 意識は霞み、いつ倒れてもおかしくない中、俺と奴はお互いの怒りと妄念をぶつけ合っていた。


「お前達異世界人さえいなければっ!父は家族を……奪われずにっ!すんだのにぃっ!!」


「俺はっ!異世界になど来たくはなかったぁ!幸せは元の世界にあった!はずっ!なのに!!」


 ここにあるのは話し合いではなかった。

 ただお互いに抱えてきた感情を吐き出し、ぶつけるだけの喚き合いだ。


 この異世界に対する不安と理不尽は誰にも言えなかった。

 きっとこの内に抱えたそれを出してしまったら、この世界を愚弄することになってしまう。それは、事情を知って助けてくれている師匠やその仲間の人達を傷つけることになるだろうから。

 だから、この想いは俺の胸の内に永久に秘めておくものだとばかり考えていた。元の世界に帰るその時まで、ずっと持ち続けていくのだろうと。


 だが、その気持ちは俺が思う以上に大きく、抱えておくには俺の精神は未熟すぎた。


 異世界転移というのは客観的に見るのと、自分が体験するのとでは全く違ったのだ。

 それまでとはことわりの違う全く見知らぬ土地に飛ばされ、文化も歴史も違う人々と生きていかなければならないという事実は大きな壁として立ちはだかった。

 そして、両親や親友と離れ離れになり、転移早々に殺されかけるという経験は俺にトラウマにも似た恐怖を植え付けた。

 それでも自分を保っていられたのは、この一ヶ月、修行のことだけ考えてきたのもあるが、なにより、事情を理解して助けてくれた人がいてくれたおかげだろう。

 しかし、ニーグが試験で散々俺の邪魔をし、あまつさえ憎悪をぶつけてきたことにより堪忍袋の尾が切れた。

 もう、全てを叫ばなければ収まらず、思いの丈を濁流のように吐き出していく。


「お前ら親子はぁ!よってたかって!俺を……殺そうとする!!」


「異世界が、悪なのがいけなのだ!勝手にこっちの世界にやってきて!英雄だ賢人だのともてはやされている!そんなのは……元の世界でやってろよぉ!!」


「俺だって好きでこっちに来たわけじゃねぇんだよっ!!」


 拳が交わされ、体のあちこちが腫れ上がり、酷いところには紫色の痣ができている。お互いの顔は痣と腫れで見るに絶えない有様だ。

 もう、俺もニーグも魔術を使えるだけの力が残っていない。息をぜえぜえと切らしながら、おぼろげな視界でとらえた相手目掛けて、気力を振り絞った無駄に大ぶりな攻撃を叩き込む。

 執念によって立ち続ける。俺の苦しみはこんなものじゃないのだと、そう証明するために。


「帰れるものなら帰ってるさっ!でもそれができないから!異世界人はこの世界で生きていくしかない……。放っておけよ……家族と別れる悲しみを……知っているなら……」


「っできるかぁ!お前らを……生かしておけば……また、戦争を起こす。そうでなくとも……可能性の……ある……異世界人は全て……」


 体力すらも尽きかけて、話す言葉が途切れ途切れになる。

 声を出そうと力む度に傷口が開きそうになるし、大声に絶えられなくなった喉は空気が出入りをするだけで痛みを発する。

 だけど、体の具合は最悪なのに不思議と心は気分が良かった。

 それが、心の奥底に溜まった泥のような感情を吐き出しているからだということに俺は気付いていた。

 ニーグは俺を殺そうとした忌まわしい相手だが、同時に俺が家入瞳時として感情を吐露できる唯一の相手なのだ。

 俺はあいつが嫌いであいつも俺が嫌いだ。嫌いだからこそ、全力でぶん殴ることができる。嫌いだからこそ、言葉をオブラートに包む必要がない。


 嫌いだからこそ、負けたくない。


「殺す!ブッ——『ブラック・バレット』ォォォォォォ!!!」


「っ!まだ力を——」


 信じられない。ニーグはあれほど疲弊しながらまだ魔術を使おうとしている。異世界人への執念か、あるいは魔術師としての矜持か。限界を超えた最後の一撃。

 奴が限界を超えるというのなら、こちらもその一撃に答えなければならない。


「——っが!『レッド・」


 体中から残った魔力をかき集める。痩せ細った幹から樹液を絞り上げるように強引に。

 痛みも苦しみ際限なく伝わってくる。喉から血が飛び出し、命が軋む。

 それでも、確固たる意志が理性の制御も本能の警告をも突破し、全てをかけた一撃を放った。


「インパルス 』ゥゥゥゥゥゥ!!!」


 ニーグの魔力が背後に黒いリボルバーを形作り、同じく黒い弾丸がそこから正面目掛けて無差別に乱射される。

 避ける体力など残っていない。ただ真っ直ぐに奴の懐目掛けて走る。

 そして、俺が魔術を当てるのと凶弾に撃たれるのはほぼ同時だった。


 轟音が響き、火花が散る。奴の腹に当てた掌から赤い衝撃インパルス が弾け、瞬きのうちに体をふっ飛ばした。

 そして、その一撃の裏で人知れず、奴の弾丸が俺の肩と脇腹に小さな穴を開けていた。


「……かはっ……イェーリ……イェーリ・ドージ……」


 倒され、譫言のように俺の名前を呟くニーグ・メレスザードの前に立ち、俺は高らかに宣言した。


「そうだ、この世界での俺の名前はイェーリ・ドージだ。お前はその名前の男がこの世界で何をするのかを黙って見ていろ!もし、その男が間違ったことをしたらその時は——」



「命でもなんでも差し出してやる!」



 そう、これは制約だ。俺が自分自身を見失わないための、命を賭けた制約。

 俺は必ず世界転移の魔術を見つけて元の世界に帰る。しかし、その方法が誰かを傷つけるものであってはならない。それはこの世界の人々を思ってのこともあったが何より自分のためであった。

 仮に後ろめたいような方法で元の世界に帰っても俺は両親に顔向けできない。それでは意味がないのだ。


 だからこそ俺は歪まない。この制約を守り、この世界を生き抜いて見せる。

 

 ニーグが気絶したことによって扉の前の魔術が解除されて氷が溶けていく。

 視界は明滅を繰り返し、平衡感覚を失った体は左右に揺れる。体力はほとんど尽き、傷と疲労で鉛のように重たい体をどうにか支えながら扉へと歩を進ませた。

 紆余曲折あった入学試験もこれで終わるのだ。

 多数の受験者に追跡されたり、自分より格上の相手と戦うといったイレギュラーもあったが、そのおかげでこの世界における自分の力がどういうものかはよく理解できた。

 才能があるからといっていきなり無双ができるほどこの世界は優しくない。

 修行を積んで強くなったとしても、それより上の連中はいくらでもいるのだろう。

 まだ、入学試験の段階でこのレベルなのだから世界転移魔術への道のりは非常に険しいものになるのは間違いない。


「だけど……今だけは……この……勝利を……かみしめ……て——」


 取っ手に手を掛け、扉を開く。

 眩い光が体全体を包み。


 そして、俺の意識はそこで途切れた。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「——ジ——・ドージ。イェーリ・ドージ君。大丈夫ですか?」


「……んぁ。あぁ……」


 目を覚ますと見知らぬ天井があった。

 そしてすぐに、扉を開けた直後に限界を迎えて気絶したのだと理解し、横たわったまま周りを見渡す。

 パッと見た感じの印象は元世界の病院と非常によく似ていた。

 ベッドを含めたあらゆる器具の色は清潔感のある白で埋め尽くされており、元の世界の医療器具に似た装置——おそらくは医療用の魔導具——が傍に置かれている。 


「そういえばあなたは?そしてここは、病院ですか?」」


 白衣を着た綺麗な女性が俺の顔を覗き込んでいた。

 

「あっ、言い忘れていましたね。私は回復魔術を専門とする魔術師、セレーネ・アフィールです。そしてここは魔術学園ゼスティアの保健室ですよ」


「えっゼスティアの……保健室?まさか」


 一瞬、頭の中で最悪の可能性が浮かんだ。

 もしかして、俺は試験に合格してないのではないか。扉を開けて学園を脱出したのは全て幻想で、現実は扉にたどり着く前に意識を失って不合格になったのでは。今、ゼスティアの医務室にいるということはそういうことなのではないだろうか。

 頭から腕にかけての血の気が急速に引いていき、表情が引きつっていく。

 その変化から俺の心情を察したのか、セレーネさんは慌てて首を振った。


「大丈夫ですよ!イェーリ君は試験に合格しています!脱出した時の君の体がボロボロだったので、治療のために一番近いこの保健室に運んだだけです。決して不合格ではありません、安心してください!」


「よっ……よかったぁ」


 ほっと胸を撫で下ろし、体に血が戻ってくる。

 そして、今になってようやく自分の体に痛みや疲れがないことに気がついた。

 魔術によって体に受けた傷はまだ少し残ってはいるが、体を動かしても痛みを感じることはない。それどころか体の調子はすこぶる良く、すぐにでも立ち上がって動き回れるほどだ。

 

「これはあなたが回復魔術を?」


「いえ、私ではなく——」


「僕だよ、ドージ」


 セレーネさんが視線を向けた先にいたのは俺の師匠——シェスタ・クロニクルだった。

 早足で近づいてきた師匠は、俺が何かを言う前に両手を広げて俺を抱きしめた。


「…………」


「……あまり心配させるな……。僕の弟子なら、もっと早く合格してくれ……」


「ごめんなさいね……不出来な弟子で……」


 師匠の声音が、抱擁の力強さが、どれだけ俺を案じてくれていたのかを感じさせ、少しだけ目元に涙が浮かんだ。

 

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