第16話 竜虎相搏つ その2

 私の父、アネス・デラ・メレスザードは家族を壊された。


 異世界人が起こした戦争によって父は死に、母は行方不明に、妹は精神を病んで今も病院で治療を受け続けているのだと、父は幼い私に語った。その時の口調があんまりにも淡淡としたものだったから、父は悲しみを乗り越えたものだと当時の私は勝手に思い込んでいたのだ。元より厳格な人だからたとえ悲しみを抱えていたとしてもそれを表に出すことは絶対にないだろう、と。


 それが大いなる間違いだと気づいたのは私が十二になった時だった。

 その日は雪の降るとても寒い日だったことを覚えている。初めて父の父——つまり私の祖父にあたる人の墓参りに同行した。

 積もる雪に足跡を残しながら祖父の墓前に立った時、私には特に感慨深く思うようなことは何もなかった。生まれた時には祖父母は既にいなかったから、私にはどうしても家族というより他人に近い人という印象が拭えなかった。

 自分がどんな顔をすればいいのか分からなかったから、幼い私は父と同じ顔をしようと判断した。

 そうしてちらりと父の横顔を盗み見て、愕然とした。


 そんな——


 どんな時も厳しい顔付きだった父の顔。襲いかかる魔晶を打ち倒し、それを人々に賛美されてなお頬一つ緩めることのない鉄面皮が。


 そんな、この世の誰よりも悲しそうな表情をするのか——

 

 その横顔は私が異世界人を憎むには十分すぎる理由だった。

 父は奪われたのだ。感情を、家族を、幸せを。

 そして、異世界人の災いと父の悲しみは今も続いている。

 

 ならば私は全ての異世界人を殺そう。それが老若男女誰であろうとも。


 そうすればきっと、父の悲しみも少しは晴れるだろうから。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「イェーリ……ドージ。ふんっ、誰が覚えるものか。これから死ぬものの名前など」


「はっ、そういうのは殺してから言ってもらおうか」


 売り言葉に買い言葉。お互いに闘争心のエンジンは全開になっていた。

 今の状況は五分五分、いや、俺が若干不利といったところか。

 俺は体の至る所に裂傷を負っている。傷自体は浅いので血は止まっているが痛みはまだ残っているので動きが少し鈍くなっている。

 しかし、それはニーグも同じこと。奴の負傷は木剣で背中に与えた一撃だけだが、隙だらけの背中に直撃したので与えたダメージは大きいだろう。

 ダメージに関しては俺が勝っている、問題は残りの魔力量だ。

 合間に休憩を挟んで回復しているものの、俺は何回も戦闘しているので魔力を半分ほど消費してしまっている。対して、奴は戦闘はおそらくこれが今日初めて。何発か巨大な魔術を撃っているがそれでも奴の魔力は七割以上は残っているはずだ。そして、元々の魔力量は俺より奴のほうが明らかに多い。

 つまり、奴は自分が受けたダメージ以上のアドバンテージを有しているということだ。

 

「っ!隙ありぃ」


「『ブルー・アクアリプル』」


 やや強引に切り込んだ木剣の一撃も青色の防御魔術で捌かれてしまう。

 ニーグは憎悪をこちらに向けているものの動きはあくまで冷静だ。ペースを奪おうとするこちらの強引な切り込みに対しても、的確に対処してくる。


「隙?隙とはどこにあるんだ」


 嘲笑を込めた余裕のある口調で俺を煽ってくる。

 奴も理解しているのだ、このまま長期戦になれば俺の魔力が先に尽きることを。自分から仕掛ける必要はない、相手の攻撃を捌き続ければ勝利は自ずと寄ってくるのだ、と。

 この状況を覆すには奴の予測を超えた一手が必要だ。

 だが、身体能力の限界は既に知られてしまっている。差がわずかしかないため、これで裏をかくのは難しい。

 魔術に関してはまだ使っていないものがいくつかあるが、おそらく無駄だろう。魔術に関して俺より圧倒的に優れているニーグが初歩魔術を知らないわけがない。詠唱を始めた段階で対策されて返り討ちに遭うのがオチだ。


 詠唱——声に出す……声か


 策がないわけではなかった。奴との戦闘が始まった時点でそれは頭の中にうっすらと浮かんでいた。


「ふっ『ブラウン・シェイプブレイク』」


「ぐぅぅぅぅぅ」


 ニーグの掌に現れた巨大な石の塊が弾け、破片が弾丸となって飛来する。聖堂内の椅子の影に隠れ攻撃を凌ぎつつ、俺は手首の脈に指を当てて体内に意識を集中させた。

 

 激しい運動によってドクドクと高くなっている脈の鼓動。

 そして血液の激流が身体中を駆け巡る感覚。

 さらに奥へ。

 奥へ。

 そして感じる。魔力が体をめぐる感覚。

 これに頭の中の魔術のイメージを直接注ぎ込む。

 掌の魔力が赤色になり、尚も変化を続けさせて——そしてっ。


「熱っ……。失敗だ」


 魔術が失敗し、手に残った赤の魔力が熱を帯びてしまった。


 そう、これは策というにはあまりにも不完全な代物。

 俺の『魔力操作』の才能を活かした、奴を倒せるかもしれない唯一の力。


 名を『色彩操作』という。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「——であるからして、実戦ではいかに相手より早く魔術を発動するかが課題になるわけだが、ここで君に教えておきたいのが『色彩変化』という技術だ」

 

 修行を始めて少し経った頃、師匠である——シェスタ・クロニクルが初級魔術を教えるついでに見せてくれたことがある。


「色彩操作?なんですかソレ?」


「ん〜分かりやすく言えば魔術を詠唱なしで出すテクニックみたいなものかな」


「えっでも師匠も部下の人もみんな詠唱して魔術を発動させてましたよね」


 そんな便利なテクニックがあれば魔術師はこぞって使うに決まっている。しかし、今までの見た魔術師の中で詠唱せずに魔術を発動したものなど一人も……待てよ。


「そういえば、俺を襲ってきたメレスザードって人が最初に赤の魔術を詠唱なしで撃ってました」


「それが色彩変化だ。これを実戦で使えるレベルの魔術師は少ない。それほどまでに難しい技術なんだ」


 珍しく真剣な表情で語る師匠は、木陰からフィギュアの箱ほどの大きさの長方形の木材と魔力の色と同じ六色のペンキを用意した。


「まず、魔術がどのように発動しているのかについて解説しよう。この木材を魔力とする。魔術発動の手順は覚えているね」


「体内の魔力に刺激を与えて色を変化させるんですよね」


「そうだ。魔術とは刺激の具合によって細かく変化する魔力そのものだからな。最初に必要なのが使用する魔術のイメージを浮かべつつ、魔力操作によって体内の魔力に刺激を与えて大まかにその色と形に変化させること。こんな風にな」


 言い終わると師匠はのみで木材を削り始めた。

 待つこと数分。かなり荒削りだが、赤のペンキが塗られた鳥のような彫刻が出来上がる。


「ここまでがだ。これではまだ半分しか完成していない。細かい変化は詠唱でつける」


「そう言えば、どうして詠唱で魔力が変化するんですか。刺激が必要なのに」


 ある意味メタ的な質問だなと言葉に出していて感じた。

 それが世界の法則のようなものならそれで納得するが、他の理由なら知っておくべきだ。


「声を出す時に喉を振動させるだろう。その振動が刺激を与えて荒削りの魔力をさらに細かく変化してくれるんだ。そうして、詠唱を経て完成した魔術がこれだ」


 まるで料理番組の省略のように完成した彫刻を木陰から取り出す師匠。確かに、粗い部分は一つもなく精緻な彫りの完成度は荒削りのものとは比較にならない。

 なるほど、体内の魔力操作だけでは不十分だから、詠唱によって細かい調整を経て術式を形にしているのか。


「そして、『色彩操作』はこの術式発動までの一連の流れを体内の魔力操作のみで行う」


「えっ!?それは詠唱が担っている細かい魔力の変化も魔力操作で調整するということですよね。可能なんですかそんなこと」


 先程の彫刻の例で考えると、体内の魔力操作で形にできるのは本当に大雑把な部分までだ。完成品のような繊細な調整ができるとはとても思えない。


「慣れ、とでも言えばいいのかな。同じ動作を繰り返すうちに体が自然とその動きを覚えていくように、同じ魔術を使っていくうちに体内の魔力が変化していく感覚を理解できるようになるんだ」


「なるほど。しかし、魔力操作の才能があるといっても俺はまだ全然魔術使った回数は片手で数えるほどですよ」


「魔力操作の優れたものほど魔力の変化を覚えるのが早い。それに、上級魔術に比べれば初級魔術は魔力の変化を覚えやすい。それでも十分難しいが、習得すれば強力な武器になるのは間違いないだろう」


 入学試験に向けて、他の受験者より秀でたところはいくつか必要だと考えていた。近接戦闘だけでは不安だったが、この『色彩操作』があれば明確に一歩リードできる。


「入学試験までに教えるのは初級魔術に限る。そして、覚えた魔術を『色彩操作』で発動するための訓練を並行して行う。近接戦闘の訓練の時間も考えると習得できるかどうかは分からない。たとえ習得できなかったとしても、そのイメージは試験で必ず役に立つ。そのことをゆめゆめ忘れるなよ」


「はいっ——」



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



 そうだ、すっかり忘れていた。不出来な弟子でごめんなさいね師匠。


 思い出せ。数えるのが億劫になるほど繰り返した初級魔術を。


 その時感じた魔力の変化を。


「思い出せっ!!!」


 物陰から飛び出し、一直線にニーグのもとへ走る。

 奴からは魔術も唱えず策もなしに無謀に突っ込んできただけのように見えているのだろう。口元に嘲りの笑みが浮かんでいる。


「血迷ったか『グリーン・リッパーズフライ』!」


 天井を覆い尽くすほどの風の刃が襲ってきても集中は切らさない。意識を向けるべきは外より内であり、皮膚が裂け血が噴き出そうともこの一撃は止まらない。

 使用する魔術は一番初めに覚えた『レッド・フレアシュート』。

 

 一瞬だけ目を閉じ、意識は魔力の中へ溶かしていく。

 魔力と同化し、頭の中にイメージを浮かべる。

 手に抱えたエネルギーを木材のように慎重に削り取って、整えて。

 ただ一つの粗もなく完璧に仕上がった、そう感じた時、目を開く。

 そして、開いた瞳に映ったのは掌に収束する真っ赤な火球。


 成功だ——。


「はあっ!!」


 手に持った火球を全力投球。

 ピッチャー顔負けの速度を持ったその球は一直線にニーグの元へ向かう。

 奴はそれが自分に当たる直前でようやく魔術が撃たれたことに気づき、困惑と驚愕の混じった表情を浮かべた。


「なにぃっ——あっ——」


 火球がニーグに直撃し燃え上がる。

 時間的に身体強化の魔術は溶けているだろうから、仮に腕で防御したとしても致命的なダメージを負うことは間違い無いだろう。

 しかし、相手は俺より格上。油断は禁物だ。

 ダメ押しの一撃を加えるために再び距離を詰める。奴が炎から出てきた瞬間、拳を腹に叩き込んで確実に倒す。

 俺の強化魔術も解けているが掛け直している時間はなかった。


「とどめだ」


 奴の目の前に立ち、拳を構える。

 油断も、侮りも、無かった。


 しかし、それでも相手が予想を超えてくるということを知らなかったのは、俺の経験不足か。


「ぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!」


「えっ」


 拳を放つ直前、炎の中から右腕が急に伸びてきて俺の胸ぐらを持ち上げた。

 今度は俺が困惑と驚愕に包まれる。魔術が直撃したにも関わらず、逆に反撃をしてくるなど信じられなかったのだ。

 炎が止み、ニーグの姿が明らかになる。

 火球を防御したらしい左腕は火傷を負っていてだらんと垂れ下がっている。そして、火球による火傷は顔の左頬にも及んでいた。

 普通ならば痛みで動けないような傷のはずだ。しかし、異世界人への憎悪が痛みを超えて奴を突き動かしているのだ。

 

「ァァァ『ブラウン——


 腕が離され、持ち上げられていた体が宙に浮く。

 右手が開かれ腹部に当てられる。


 プッシャア・バッカー』ァァァァァ!!!」


 腹部がプレス機で圧縮されるような感覚が生じ、同時に視界が凄まじい速さで後に下がっていく。

 そして、ゲロを撒き散らしながら背後の壁に激突し、視界の端で何が起こったのかを確認した。

 唱えられた魔術によって奴の腕から伸びた巨大な石の柱が、俺の腹に直撃して背後に飛ばしたのだ。理解すればただの魔術攻撃だが、それによって生じた俺の痛みはとても理解できるものではなかった。


「はっ……あ……はっはっ……あ……」


 息ができない。ただ息を吐くことしかできず、吸おうとすると何かがつっかえている感覚が邪魔をする。

 お腹が痛い。表面に受けた衝撃が内部に伝播していくように痛みが広がっていく。


「あっ……たっ……たて……立てっ」


 敵をまだ倒していない以上、痛みで蹲っているわけにはいかなかった。

 震える手足を無理矢理動かし、どうにか立ち上がる。

 ニーグももはや限界らしく、それでも執念で戦おうとしていた。


「殺す、絶対に殺す、いせ……異世界人は全員、私がぁ!」


「だからぁ……異世界人と呼ぶのぉ……やめろと言っているだろうがぁ!!」


 感情が人の肉体の限界を超えるという説を俺は今だけ信じた。怒りを押さえつけていては奴に勝つことはできない。

 この異世界に来てから受けた理不尽。その全てを怒りに変えて奴にぶつける。


 どうあっても俺はこの世界で生きていくのだと、そう宣言するために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る