第14話 扉が——
暗い——。
それがすぐに自分が目を閉じているからだと理解し、音と煙の衝撃から退避させていた意識を少しずつ起こす。
耳を澄ますと風が吹く音が微かに聞こえるだけで、他の音は一切なく静寂に満ちている。一応、脅威は去ったと考えていいだろう。
次に自分の手足の存在を確認する。それぞれの指先を握り込むと、指同士が触れ合う感覚があり一安心した。
大丈夫、俺の四肢はしっかりと付いている。
「他のやつ、大丈夫か。返事をしてくれ」
慎重に立ち上がり、周囲の様子を見渡す。
廊下のあちこちに瓦礫が散乱し、床がほとんど見えなくなっている。足元に注意して歩かないと転んでしまうだろう。
煙は収まったものの空気中にはチリと埃が漂っていて、視界に少しばかりの支障をきたしている。
どうにか瓦礫の間を進んでいくと他の受験者達の無事が確認できた。しかし、全員——部屋から脱出する際に意識があった者も含めて気絶していた。
幸い、脈と呼吸はあったので瓦礫の無いところへ移動すれば大丈夫だろう。
一先ず、瓦礫がどこまで続いているのかを確認しようとした時、大きな瓦礫が唐突に持ち上がり、その下から無道が現れた。
「無道!無事だったか!」
「当たり前だ。……立てるのは俺とドージだけか」
その後、二人で受験生達を安全な場所に運んだ。瓦礫のせいで慎重に運ばなければならずおまけに人数が多いので、体力と時間を浪費してしまった。
こんなことをしていて、試験は大丈夫だろうか、という思考が一瞬過ぎり、すぐさまその考えを振り払う。
ここで見捨てたら、自分が自分でなくなってしまうという確信があった。元の世界に帰るために最大限努力する。しかし、それが他者を蔑ろにするものであってはいけないのだ。
もし、この世界の人間を一人殺せば元の世界に帰れるとしても、それを実行した時、今まで積み上げてきた家入瞳時という人間は死ぬ。そして二度と戻らない。
胸を張って家族のもとに帰らなければいけない。これは俺が心に課したルールだった。
疲れているからこんな思考をしてしまうのだろう。全員を運び終えたら少し休息を取るべきだ。
「疲れているのだろうドージ」
「えっなんで」
「表情が強張っている。無理して隠そうとしてる証拠だ」
そうやって、したり顔で話す無道には疲れた様子はほとんどない。魔術を使わずに人間二人を抱えて涼しげな顔をしている。
全員を運び終え、近くの教室で少しばかりの休息を取る。その間、俺達はたわいの無い雑談で盛り上がっていた。
「その体格と武術、強いんだな無道は」
「それだけさ。魔術の撃ち合いはからっきしダメなんだ。遠くからポンポン撃たれたらもう投了しかねぇ」
冗談まじりに無道が笑う。その笑顔が元の世界の親友のものと非常によく似ていて、なんとも言えない感慨を覚えた。それと同時に脳内に溢れ出す家族や親友との思い出がひどく懐かしく思える。
元の世界の記憶は思い出す度に、俺の心に大きな力とわずかばかりの痛みを残していく。
「まだ二ヶ月も経ってないのになぁ……」
「ん、何か言ったか?」
出すべきではない思いが小さな呟きとなって出ていく。まだ、師匠と考えた偽の素性を誰かに話したわけではないが、些細な発言でもこの世界の常識と矛盾していたら怪しまれることは十分にある。
万全とはいかないが体は十分に回復したし、これ以上は時間の猶予がない。
窓の外の太陽の位置から考えて今は午後三時ごろだろう。この世界でも同じかどうかは分からないが、元の世界では、四月の日没は大体午後六時過ぎ頃。そうすると、タイムリミットまであと三時間ほどしか残っていない。。
「俺はもう行くよ。日没まで時間はあまり残されていないっぽいからな」
「そうか。ドージ、絶対合格しろよ。折角友達になったのに同じ学園に通えないのは楽しくないからな!」
「そっちこそ」
教室から勢いよく飛び出し、廊下を駆け抜けていく。
メレスザードのことは気がかりだがあの魔術を見る限り、奴の実力はかなりのものだ。今の俺が勝つのは非常に難しいだろう。
彼と接触せずに扉まで辿り着けることを祈るしかない。
そういえば、いつの間に俺友達認定されてたな——まあいいか。
※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※
「ドージ、君ならすぐ脱出すると思っていたが、何をしているんだ……」
魔術によって空中に映し出された学園内の映像を見ながら、シェスタ・クロニクルは悶々としていた。
才能があるとはいえ、たった一ヶ月の修行で家入瞳時は自分の予想を遥かに超える成長を見せた。全体で見ればまだまだだが、それでも学園の試験程度なら楽勝だと考えていたのだが——。
「その言葉、これで十回目ですよ。少しは落ちつてください隊長」
初めは笑顔で宥めていたメーレム・レイゼルももはや呆れ顔だ。
しかし、彼女もここまで時間が掛かるとは思っておらず、わずかな不安が生まれていた。
「プレッシャーをかけ過ぎたのではないですか。例の件とか、真実を知らせるべきだったのでは?」
「例の件?ああ、あれか。
シェスタには嘘——というより意図的に隠していた真実があった。
この世界には魔術学園が六つ存在する。そして、ゼスティア以外の学園には入学試験が存在せず、十五歳以上から十七歳以下の人間であれば誰でも入ることができる。
彼以外の多くはゼスティアに不合格だったとしても他の学園に入る気でいる。それは家入自身にも可能なこと。
つまり、家入が入学試験に不合格になろうとも、彼の魔術師への道が完全に閉ざされるわけではないのだ。
「イェーリのやる気のためには必要だったんだよ。もし、それを教えたら心のどこかで、負けても大丈夫、って思うようになるだろう。競争の場でそういった気持ちは隙になる」
「それはそうですが、些か誇張が過ぎたのでは……」
「そうか?彼の目的のためにはゼスティアに入学するのがいちばんの近道であることは事実だ」
誇張なものか、シェスタは心の中でそう思っていた。
ゼスティアは他の五つの学園とは明確な差がある。AやA+といった高い『Class』を持つ魔術師の大部分はゼスティアから輩出されているのだ。それは入学試験による選別もあるが、何より、他のどの学園よりも
彼が世界転移魔術を追うならば必ず関わってくるであろう存在——『魔晶』。
この学園は三十年続く人間と魔晶の因縁が始まり、そして終わる場所。
ゼスティアに入るということは大いなる運命に飛び込むことと同義だ。
「いや、もう始まっているのかな……彼にとっての運命が」
だとしたら、これほど早く運命と対峙することになったことを悲しむべきか喜ぶべきか。
シェスタは手で口を覆い、表情を隠した。覆った口元を誰にも——自分にも分からぬように。
※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※
速く走れば、目に写る光景は次々と変わっていく。一秒とたたずに変わる光景、その全てを把握するのはとても難しいだろう。しかし、その中にわずかでも可能性があるのならば、俺はそれを為す。
走りながら調査をしていた。どこかに扉に繋がる痕跡のようなものが存在するはずだ。シュシュルが違和感を覚えて扉に繋がる支柱を見つけたように。
しかし、一々立ち止まってゆっくり調べている時間はない。だからこそ、走りながら探知系の魔術によって体の感覚を極限まで高め、わずかな違和感でも見逃さないようにする。
はっきり言って気の遠くなるような作業だった。いつ終わるかも分からないのに、体力と神経は着実に削れていく。しかし、止めてしまったら、それこそ体力と神経を無駄にしただけになってしまう。
心の中に修行僧を住まわせ、折れそうな心を繋ぎ止めながら必死に走り続けた。
窓、教室、階段。あらゆる景色が映っては過ぎていく。
今、どれくらい経っている?五分か十分かそれとも一時間か。いや、考えるな。機械的に動け、でないと心が死ぬ。
窓を飛び越え、教室を通り、階段を登る。
穴を潜り、扉を開け、また階段を登る。
障害物を抜け、精神を保ち、またまた階段を——をっ!?
「待ったっ!止まれっ!ストップ!」
咄嗟に両足を前に突き出しブレーキを掛ける。
バクバクする心臓を落ち着かせながら、おぼつかない足取りでその場所へ歩く。
違和感を感じた。肌にホコリが触れるような微かな違和感だが、感じたのだ。
そこは階段の折り返しにある何の変哲もない、他と変わらないような壁だった。
違和感を覚えたものの、その変わりばえのなさに自分の感覚を疑う。もしかしたら、違和感は俺の疲労が生み出した都合の良い嘘なのでは、と。
壁を押してみたり、魔術をぶつけてみたりするが反応がない。やはり勘違いかと諦めかけたとき、足下の方に紋章のようなものがあるのを発見した。
それが何とまあ小さいこと。印鑑ほどの大きさしかないため、遠くから見たら壁のシミにしか見えない。足元にあることも相まって、探知系魔術をかけていなければ絶対に気がつかなかっただろう。
紋章は魔術を使う時に現れるものと同じだった。
恐る恐る、指を当てて魔力を通すと紋章が光り、扉が上へと持ち上がる。中から現れたのは下へと続く階段だった。どうやら、隠し部屋へと続いているらしい。
「み、見つけた……」
間違いない、この先に扉がある。
先ほどとは違った意味で心臓がバクバクする。早く確信を得たいという気持ちが抑えられなくなり、歩みのテンポが早くなっていく。
薄暗い階段を降り、廊下を抜けた先にあったのは巨大な聖堂だった。
埃に塗れ、所々劣化しているところはあるがとても立派な聖堂だ。精緻なデザインから溢れ出る神々しさは、元の世界であったら世界遺産に登録されても不思議ではないほどに。
「しかし、何だってこんなところに。気になる」
この聖堂には何か特別な意味が込められている気がしてならない。
元の世界でも学校によっては礼拝堂のような場所が存在したが、この聖堂はそれと一緒くたにするには規模が違いすぎる。
この場所の意味が気になって仕方なかったが、ろくな知識も持たない俺がこれ以上考えたところで何かがわかるわけでもない。
入学した後にまた来ればいいと自分に言い聞かせ、聖堂の奥へと進んでいった。
コツコツという単調な足音が響く中、
「あっ——」
二つの面でコバルトブルーが染められ、金色の外縁とドアノブがそれにアクセントを加えた両開きの扉。見間違うはずもない、学園の外に繋がる扉だ。
本来は祭壇があるはずの中央奥に設置されていたそれに一歩、また一歩、少しずつ歩み寄って行く。
ああ、ようやく試験が終わる。すごい大変だったな。
こっちに来てからのことを思い出すと涙が出そうだ。
殺されかけたり、苦しい修行に励んだり、他の受験者に追われたり。
でも、ようやく嬉しいことがあった。こんなに嬉しいのは県大会で優勝した以来だ。
父さん、母さん、武光、英志、今はまだ踏み出したばかりだけど、絶対そっちに帰るから。
だから今はただ、俺を褒めて——
「逃しはしない。ここで貴様は死ぬんだ、異世界人」
「『ブルー・ノーブライズ・アイスエイジ』」
魔術の詠唱を聞いた瞬間、俺は即座に扉へと手を伸ばした。その術を知っているわけではなかった。ただ本能が急げと警告していたのだ。
だが、しかし、遅かった。
ドアノブに手を掛ける前に扉の前に分厚い氷の壁が出現し、扉を開くことはできなくなった。
驚いた。恐怖した。絶望した。
目の前で未来への扉が閉じる、音がした——。
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