第12話 イレギュラー

 絶体絶命。まさにその言葉が似合う状況に俺は居た。


 事の始まりは追跡者との会敵。

 最初は人数が少なかったので、複雑な構造のこの学園なら魔術を使わず簡単に撒けると思っていた。

 しかし、予想に反して逃亡ルート周辺の構造は異様に簡素だったのだ。そのせいでいつまで経っても追手は撒けず、だんだんと人数が増えてきて、ついにこの広大な空間で挟み撃ちにされてしまった。

 ただ単に不幸が重なったのか、それとも相手が計画的に動いていたからなのか、今となってはどちらでもいい。


 何に使うのかも知れない大きな空間に、俺をという一人の獲物を取り囲むようにして無数の追跡者たちが不敵な笑みを浮かべながら力尽きるのを今か今かと待っている。

 全身から滝のような汗が流れ、酷使された筋肉はいつ限界を迎えてもおかしくない状態だ。

 倒しても倒しても際限なく敵が湧いてくる。異世界といったら他を寄せ付けぬチートじみた力で敵を蹂躙するものが多いのだが、この魔術世界はそんな都合良くはいかないらしい。

 いや、魔術を知らなかった俺が1ヶ月の修行で一般の魔術師と戦えるようになったのは十分凄いことなのだろうが、それでも、倒れそうな今の状況を見るとこの世界の神様はもう少しサービスしてくれてもいいんじゃないのかと考えずには居られない。

 

「この世界の神様にあったら文句を言ってやりてぇ」


 異世界に来なくとも俺は幸せだった。

 優しい家族と気の良い親友に恵まれ、楽しい中学生活を終え、自らの誕生日パーティーに向かおうとした矢先に異世界転移。

 そして、転移した魔術世界では一人の異世界人が戦争を起こしたことにより平和だった世界は一変し、平和は薄氷のものと化した。

 今までは脅威も少なく、群れない存在だったボイドに巣食う『魔晶』という化物が徒党を組み、明確に人類を滅ぼさんとするの敵となったのだ。

 そのせいで今までは尊敬される存在であったはずの異世界人は恐怖の象徴へと成り果てたてしまった。

 だからこそ、異世界転移直後に俺は殺されかけ、イェーリ・ドージという偽名を名乗るはめになったのだ。

 なんとハードな世界だろう。しかし、それでも俺はこの世界を生き抜くしかない。いつかボイドに存在する世界転移の魔術を見つけ元の世界に帰るために。


「そこをどけ、そしてこの騒動を起こした黒幕の名前を教えろっ!言わないなら力尽くで……」


 追跡者達は俺の言葉に何かを返すわけでもなく、ただ皮肉を含んだ笑みを浮かべるだけ。


 ああ、そうだよ分かってるよ、力尽くが無理なことは俺自身が一番。


 なんとか強がりを吐いているが体力は限界に近かった。休憩を挟めば回復するだろうがそんな暇を敵が与えてくれるはずもない。

 脳がこの状況を切り抜けるためにフル回転しているが出てくる策は軒並み現実的ではない。

 一番可能性がありそうなのは、眩い光で相手の視界を奪う『イエロー・パライズ』を使って隙を作り、扉の前の相手だけ蹴散らして脱出しようという策だ。

 しかし、これには致命的な問題がある。

 この世界の魔術は使用する際に一定の声量で名前を呼ばなければならない。この行為は相手に自分の使用する魔術を知られる可能性が高く、どんな効果なのかを相手が知っていれば避けられる可能性が高いのだ。

 ただ、師匠によると魔術は詠唱から即発動するので知っていても対応が難しいらしく、回避や反撃に活かせるのは実戦慣れした魔術師だけだそうだ。

 しかし、『イエロー・パライズ』だと少し勝手が異なる。

 これは発動すると掌から眩い光が放たれ、その光を見たものの目に鋭い痛みを与えて数分間視界を麻痺させるというもの。


 そう、相手が光を見なければ意味がない。


 仮に大人数の中でこの魔術を使おうとすれば、詠唱の段階で気付き、対策を取るものが絶対に現れる。この試験が始まった段階で俺が使用する初歩魔術は全部相手が知っているものだと思っている。

 一夜漬けならぬ1月漬けで習った俺とは違い、彼らは何年も魔術を習ってきたのだ、こんな初歩魔術を知らないはずがない。

 それに対策はただ目を瞑るという赤子でも即座にできる行為をするだけでいい。知っていれば、詠唱を聞いた段階で目を閉じておしまいだ。後は、出口に向かう俺を足止めすれば数分で術を受けた奴も回復する。そうなれば今度こそ詰みだ。


 だが、それでもやる。確率は諦めるための数字ではなく、追うための数字だ。


「って、昔読んだ漫画に書いてあったなぁ〜懐かしい」

 

 そんな独り言を吐いて体の力を抜く。

 そして、即座に相手に向き直って体を構えた。

 一連の動きを頭の中で反芻、予想外の事態にも対処できるように心掛ける。

 緊張のボルテージが高まっていき、それが頂点へと達した瞬間——叫んだ。


「お前ら!これを見ろ!」


 大声が空間に響き渡り、追跡者達から笑みが消え、怪しんだり驚いたりとそれぞれの反応を見せる。

 右腕を天高く掲げ、高らかに呪文を詠唱する。

 、俺は失敗の恐怖でいっぱいだった。

 、それをぶち壊すイレギュラーが現れた。


「イエロー・パラ——」


「やっぱ自分は曲げられねぇよなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 !?なんだぁ!


 詠唱の途中で上から誰とも知れぬ大声が響き、その後、爆音と共に天井が崩落した。

 そこから先の三十秒間、俺は思考を放棄して口をあんぐりと開けた間抜けづらでこの混乱が収まるのをただ見ていた。それしかできない、いや、誰であろうとこの状況でそれ以外の選択肢などない。


 ただ

 自分の真上からゆっくりと瓦礫が降っていく様は

 とても綺麗だった。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



「けほっけほっげほっ」


 瓦礫の崩落によって周囲に土煙が発生して視界が遮られ、息がむせる。

 どうやら、映画のワンシーンのような激動の三十秒間は終わり、まともな思考が戻ってきた。

 周囲には瓦礫が散乱し、所々から呻き声が聞こえる。おそらく、瓦礫を避けられなかった追跡者達だろう。

 即座に、この状況なら逃げられるのではないかという思考が浮かぶ。

 天井の崩落は彼らにとっても予想外のはずだ。誰が起こしたのかはわからないが、混乱に乗ずればこの場を脱出できるはず。


「やめとけ、やめとけ。向こうも混乱はしてるが、出入り口だけはキッチリ守ってやがる。よほど、あんたを逃したくないらしい」


「っ誰だっ!」


 土煙で姿は誰にも見られていないだろうと思って油断していた。

 すぐに声の方に体を構えるが、その男は手で俺を制すると有無を言わさず、話し始めた。


「すまんが質問は受け付けない。だが俺からは質問するから心して聞いてくれ。まず、俺はあんたの味方をしようと思う。なぜ、味方をするか?それは俺が自分の昔からの心情を曲げられないからだ。大人数が一人をつけ狙い、攻撃する光景が不自然だと思ったからだ。受験者同士の闘争なら仕方ないと思うがこれは明らかに違う。俺はあいつらの横暴を許せない。だからあんたの味方をしようと思っているが一つ問題があってな。奴らはあんたのことを罪人と呼ぶかそれは本当か?もし本当なら俺はあんたの味方をすることはできない。俺は善人の味方だ、悪人を助けるつもりはない。正直に答えてくれ、あんたは罪人なのか?」


 ……なんだこいつ、ツッコミどころ多すぎるだろ。


 まず、目を引くのが格好の奇抜さだ。

 身長は百八十センチを超えているだろう。

 そしてそれに負けないぐらい髪が長い。オールバックでまとめられた銀髪は正面から見てもボリュームが凄まじく、襟足は背中全体を覆い尽くしている。少し広めのおでこには用途不明のゴーグルが付けられており奇抜さを助長している。

 服は俺と同じ受験者の服を着ていたが、袖と裾の部分が大きく捲られて半袖半ズボンのようになっていた。

 奇抜さの次に気がついたのが彼の肉体だ。服の上からでもわかるほど、胴にしっかりと筋肉がついている。間違いなく腹筋は割れているであろう。

 そして、それ以上に露出した手足からは彼の肉体の尋常でないことを示している。胴から伸びた長い手足には無駄な筋肉がついておらず、美麗な彫刻のように整っていた。

 色々と聞きたいことはあるが今は彼の質問に答え、この場を切り抜けることに協力してもらわなければならない。

 返答次第ではこの男が敵に回る可能性はあるが、それはあまり考えたくなかった。


「さあ、答えろ。あんたは罪人なのか?」


「違う。俺は罪に問われるようなことは絶対にしていない。それなのに、あいつらが罪人呼ばわりして襲ってくるから、こうして戦っている」


 正直に相手の瞳をしっかりと見据えながら、俺が思うありのままを話す。

 もっと説得するように話したり、情に訴えかけるようにした方が効果的ではないかと一瞬思った。しかし、そんなことをしてもこの男には意味がないだろうし、何より自分自身が許さなかった。

 瞳を通して男が俺という人間を計っている感じがする。

 自分を覗き込まれるような感覚に目を背けてしまいたくなったが、それでも負けじと奴の瞳を見続けた。

 目を合わせていたほんの十秒程度だったが、頬や首筋には冷や汗が流れている。


「……うん、気に入った。あんたの味方をする。やっぱそれだけじゃ嫌だな……俺、あんたの友達になる」


「ああ、ありがとう。……友達?」


 信じてもらえたのはありがたいけど友達は早くない?、一目惚れか!?


 まさか本当に目を合わせただけで目の前の人間の素質を見抜いたのだろうか。

 確かにこの世界で友達は一人でも多い方がいいだろう。話を聞く限り悪い奴ではなさそうだが。

 しかし、まだ彼のことについて全然知らない。判断を下すにはやはり早すぎる。


「友達になるならもう少しお前のことを教えて欲しい。例えば、名前とか」


「あっそうか。友達になるのに名前を知らないなんておかしな話だったなっ!」


 男は腹を抱えて無邪気に笑った後、またこちらの瞳を見据えながら名乗った。


「俺の名前は無道拳一むどうけんいち。珍しい名前だから一発で覚えられると思うぜ。ついであんたの名前も教えてくれ」


「ドージ。イェーリ・ドージだ。よろしく」


「よろしくドージ。握手をしたいが、それはこの状況を切り抜けた後の方がふさわしいな」


 そう言うと彼は深呼吸と共に敵の方に向き直り、戦闘態勢に入った。


 ——ん。あれは——


 右足を前に左足を後ろに。

 腰の位置を落とし、重心を下に。

 右の拳は握り締め、顔の高さに。左の拳は半開き、胸元に添えるように。

 そして、それらが一つの構えを形作る。

 無道と名乗った男の構えは魔術師のそれではなく、まるで武術家のようだった。


「俺を知りたいなら、戦いを見るのが一番手っ取り早い」


 土煙が収まり、追跡者達が再び向かってくる。

 さっきまでの絶体絶命はどこへやら。新たな友達との出会いに、俺は少しワクワクしていた。

 

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