第8話 魔術学園ゼスティア

 初めてその建物を見た時、自分の目を疑った。

 それが学園、いや、人の建造物だとはとても思えなかったからだ。

 『魔術学園ゼスティア』、そう呼ばれている建物の大きさは周囲の建造物とは一線を画していた。ただひたすらに大きく、存在感を主張し、目にするもの全て圧倒する。

 異世界の学園といえど姿形は元の世界とはあまり変わらないであろうと考えていた、少し前までの自分の想定の甘さを恥じざるおえない。

 全体像は学園というより城だった。縦にも横にも大きく、元の世界でもこれに勝る城は存在しないだろう。城にありがちな円錐の屋根も無数に存在していて、数えるのにも一苦労しそうだ。

 町の中央にそびえ立つそれの周りには巨大な円形の谷ができており、その奥底は深淵と呼ぶにふさわしいほどの暗闇で包まれている。


「えぇ……」


「ドージ、口開いてるよ」


 師匠に言われて、自分が呆気にとられていたことに気付いた。

 正気に戻り、周囲を見渡すといつの間にか人混みができている。その大半は年齢の差もないほどの少年少女だ、俺と同じ入学受験者と見て間違いないだろう。


「しかし多いですね。何人いるんでしょう」


「えーと、確か五百人ちょっとだと聞いている」


 五百人以上!

 募集が三年に一度ということなので多いのはわかっていたが、実際の数を聞くと物怖じしてしまう。


「で、だいたいそこから二百人前後まで人数が絞られる」


 そしてそこから三百人が落とされるのか。

 もし自分がその三百人の中に入ってしまったらどうしようとか、落ちた人はどうなるんだろうとか、ついつい後ろ向きなことを考えてしまう。


「イェーリ」


「なんですか師匠」


 こちらに向かってにっこりとした笑みを向ける師匠。

 激励の言葉でも言ってくれるのかと思いきや——


「今日の夜は祝賀会だ。料理の食材はもう買ったからな」


「無駄にプレッシャーかけるのやめてもらえます!?」


 なんでそんなこと今言うかな。本当に失敗したらどうするんだ。

 師匠は俺の背中を強めに叩くと高らかに笑った。


「ははっ。君はそれでいいんだよ。試験なんて楽勝楽勝。ついでに友達探しでもするといい」


「大声で言わないでください!もう行きますから!」


 人目をはばからず大声で言うものだから、周囲に注目されている。

 あれが師匠なりの激励なのは分かるが大勢の前でやるのはやめてほしい。

 緊張の代わりに羞恥が襲ってきたため、速やかに試験会場である学園に移動する。

 学園の内部を歩いていくと、必然的に内装に目が向く。西洋の城によく似ていた作りで、どこか気品を感じさせた。

 谷に架けられた橋を渡って学園の内部に入っていくと中庭と思われる所に出る。

 色とりどりの花が咲き乱れる綺麗な庭だったが、眺める時間は残念ながらなかった。

 直ぐに試験官らしき人物が現れ、受験者はいくつかのグループに分けられてそれぞれ違う場所に誘導されていく。

 異常に長い廊下を歩き、いくつもの階段を上り下りした先に待っていたのは一つの教室だった。


「受験者はこの教室の席に座れ」


 今まで学園とは思えないものばかり目にしてきたから教室もそうなのではないかと思っていたが、そんなことはなかった。

 教室の後ろの壁には細長い窓ガラスが嵌められており、そこから差し込んだ日光が教室を照らしている。席は教壇に向かって斜め扇状に並んでおり、その様相はいつか見た大学の講義室のようだ。

 受験者は試験官の言われた通りに席についていく。二分と経たずに全員が席に着き終え、教室に静寂が訪れる。

 しかし、辺りを見回してみると受験者の多くは困惑の表情を浮かべており、この状況に戸惑っている様子だった。

 無理もない。試験は実戦で競うものと聞いていたはずなのに、こうして一つの教室に座らされている。これではまるでペーパーテストを行う前のようではないか。


「では、これから入学試験を始める。だがその前に受験者諸君にやってもらうことがある」


 試験官が高らかな声で呼びかけた。

 困惑していた受験者たちもその声を聞き姿勢を正す。


「それは…………」


 試験官はとてもゆっくりとした口調で話す。

 その様子がまるでこちらを焦らしているようでもどかしく、早くしてくれと言いそうになる。



「それは……寝ることだ」


「「「「「「……ん?」」」」」」


 何を言っているんだ?

 全員の頭の中で疑問符が浮かんだ。

 そしてその疑問の答えは考える前にやってきた。


 あれ——?


 視界が右に傾く。

 最初は疑問のあまり、無意識に首を傾げているものかと思った。

 だが、違う。


 れ?——あれっ?


 首を直そうとしたら、今度は左に傾いてしまう。

 それを直そうとしたら右に。さらに直そうとしたら左に。今度は右に。今度は左に。右に。左に。右。左。右。左。


 もう……めんどくさ——


 何回やっても直らない。もう嫌になって机の上に突っ伏した。

 楽な姿勢になったから、ずっとこうしていたい。


 ああ……しけん。


 今は入学試験だ。こんな姿見られたら、どんな罰則をもらうか分からない。

 でも、無理だ。身体が凄く暖かくて、とてもいい気分なのだ。


 やっぱいいや


 ねちゃ——お——



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※ 



「瞳時、起きなさい」


 すぐ近くで女の人の声が聞こえる。とても聞き覚えのあって、でも懐かしく優しい声。

 しかし、そんな優しい声では俺の眠りは妨げられない。ぬるま湯にぬるま湯を混ぜても何も変わらないのだ。


「あんたは本当に。もう……」


 声のボルテージから後どれくらい惰眠を貪れるかを頭の中で計算する。その結果、あと十分は惰眠を貪れると結論づけて布団に包まる。

 しかしその日は違った。


「……う…うぅん……」


「ほら、弁当の準備の途中なんだから早くしなさい」


「あ……うぅ……無理」


「っ!あんたはねぇ——」


 !?

 ああ、まずい。天災よりも恐ろしいあの人のが来る。

 計算ではあと二十分はしないとあれは起きないはずだったのに。

 

「さっさと起きてりゃぁぁいいのぉぉぉぉ!!!!」


「うぎゃああああ」


 とっさにベッドから退避しようとしたが時すでに遅し。その人物は嵐の如き勢いで俺の布団を剥ぎ取り、雷の如き激しさで俺の背中をバシバシと叩いた。


「イダダダダ。ぎゃ、虐待いいいいいいいいい!!」


「問答無用。起きないあんたが悪いわ!!」


 ここまで来たらもう眠るどころの話ではない。

 尻に火がついたネズミのように、俺は布団の整頓、制服の着替え、学校鞄の教科書詰め、そして朝食を瞬く間に済ませていく。

 これが俺の母親、家入桐絵いえいりきりえという人物だ。愛と怒りの感情が目に見えるほどわかりやすい人で、俺が反抗期にグレなかったのはこの人のおかげといっても過言ではない。

 朝食を済ませた後は髪を整えるべく洗面台に向かう。

 髪型はいつもと変わらない。硬めの黒髪を後ろに流すように水で濡らしていっで、少し伸びた襟足を黒いゴムで幾重にも結ぶ。友達から武士のようだと言われ、それ以来ずっとお気に入りの髪型だ。


「朝が早いね瞳時。そういえば今日はテストだったかな」


 準備を済ませ、玄関で靴紐を結んでいた俺にひっそりとした声が届いた。


「あっそうか今日テストか!だから母さんが早く起こしに来たのか」


「そうだよ。まあ、時間ギリギリまで寝ていた瞳時の気持ちは僕もわかるけどね」


 声の主——家入時道いえいりときみちは常に冷静に佇む植物のような人だ。父の言葉は声量は低く、喋り方も独特なのに不思議と頭の中に入ってくる。

 そんな父が怒るところを俺は見たことがない。いや、正確にいえば口喧嘩などで怒る数歩手前までは見たことがある。その時の父が大層恐ろしいのだ。声量も喋り方も一切変わらないはずなのに、雰囲気だけが重苦しくなっていく。その雰囲気を感じ取ると冷静にならずにはいられなくなり謝るまでが口喧嘩のワンセットとなっていた。


「どうだいテスト。できそう?」


「わかんない。武光や英志と勉強はしたけど」


 テストはいつも可もなく不可もなくだ。中間あたりをうろちょしていて、たまにすごい点数を取ったかと思ったら他の教科がダメダメだったなんてことがざらにある。


「じゃあ、父さん。行ってきます」


「最後に一つだけいいかい」


「何?」




 ——わかった——



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※


 瞼の蓋がゆっくりと開いていく。

 夢を見た。その内容は覚えてないけれど、誰かに大切なものをもらった気がするのだ。異世界で生きていくのに必要なものを。

 俺はそれを与えてくれた誰かに感謝を抱きつつ、上体を起こしてあたりを見回す。


「人がいない。誰も」


 教室には六十人近い受験者がいたはずなのに眠りから目覚めるといなくなっていた。だだっ広い教室に一人っきり。他の受験者はすでに移動していて俺は寝過ごした可能性が頭の中に浮かぶが、教室のもう一つの異常を見る限りそうではなさそうだ。


「何コレ。教室が……バグってる?」


 ゲームのような物言いだがその表現が最も適切だった。

 先程まではなんてことない普通の教室だったものが混沌カオスと化している。

 まず、天井のど真ん中から階段が突き破っていた。そのインパクトだけでも十分なのに、床にドアが付いていたり、最初の出入口が消滅していたり、真正面の黒板に巨大な穴が開いていたりとやりたい放題だ。

 この状況が入学試験によるものなのかそれともイレギュラーによるものなのか疑問だったが、それは頭の中に響いた声がすぐに答えてくれた。


 ——受験者諸君。まずは落ち着いてほしい、これは試験の一環だ——


 頭の中に声が響くが今更不思議には思わない。

 黄色の魔術には離れた相手に自分の思考を伝える通信手段としての魔術が複数存在する。俺も簡単なものなら覚えているが、今使われているのはそれよりずっと複雑で高度な術式だろう。


 ——私はこの学園の理事長、セントラル・R・クラインシュタイン——


 厳かな物言い、そして今にも枯れそうな声音から老齢の人物であること察せられる。

 そこからは理事長により長々しい挨拶が続いた。どこの世界でも学校の校長や理事長の話が長いのはお決まりだな。


 ——では、これより魔術学園ゼスティアの入学試験を執り行う——

 

 長ったらしい前座を終え、ようやく本題に入る。


 ——試験内容は学園中に散らばる特別な扉を発見してに外に出ること——


 ——即ち、この学園からの脱出だ——


 理事長の言葉と共に頭の中に扉のイメージが流れ込んでくる。面が青色で外側に金色が縁取られた両開きの扉。

 試験内容はこれを探し出して学園の外に出ること。おそらく、それ以外にこの学園から出る方法はないのだろう。

 そして、これが実力を競う試験である以上、ただの脱出ゲームというわけでもあるまい。


 ——扉は校内に200枚存在するが、一枚につき一人しか通ることができない——


 ——だからこそ、君達受験者には限りあるものを巡って力を示してもらう——


 なるほど、確かに実力を測るにはもってこいの試験だ。

 実戦というのは腕っ節の強さはもちろんのことだが戦わないという選択も重要になってくる。いかに強い受験者と戦わずに、扉を見つけて学園を脱出するか。魔力にだって限りがある、いかに優れた魔術師であろうと魔力をなくせばただの人だ。


 ——学園には君達の力を測る様々な仕掛けを施している——


 ——運だけではこの学園の門を叩くことは許されない——


 ——魔術師としての力を見せよ!!——


 最後の言葉には老人の言葉とは思えないほどの力強さと迫力を含んでいた。

 鼓動が早くなり、手汗が滲む。


 ——試験時間は日没まで、君達の健闘を祈る——


 そう締めくくり話は終わった。

 始まったのだ、入学試験が。


 ゆっくり一歩踏み出す。

 また一歩。

 だんだんとリズムを上げていき、気付いたら駆け出していた。


「やってやろうっての!」


 見せてやる魔術師ドージの力を!


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