第5話 生死の狭間に魔力を識る

 案内された場所は大きな湖だった。日差しを受けて水面がキラキラと輝いている。どうやら綺麗な水のようだ。


「危険って言うから過酷な環境を想像してました」


「まあね。今から君には湖に入ってもらう。上半身だけ脱いでくれ」


 彼の言われた通りに服を脱いでいく。

 今のところ、どんな方法で魔力を目覚めさせるのか全く見当がつかない。


「これを持って湖の中央まで泳いで行ってくれ」


「これは?」


 渡されたのは、よく海に浮かんでいるブイのような道具だった。


「それは魔力を感知する道具だ。よく、魔力検査のために使われている。それを使って君の魔力を目覚めさせるんだ」


「分かりました。じゃあ行ってきます」


 午前の運動で体はほぐれていたので、すぐに湖に入っていく。

 ズボンに水が入ってきて動きにくいが、泳ぐのは苦手ではないので少しずつ進んで行き、湖の中央へと辿り着く。


「で、これからどうすんですかー」


「その道具を浮かべて20秒ほど水の中に潜ってくれー。その後訓練スタートだー」


 湖の中央まで距離があるのでお互いに声量を上げて会話をする。

 言われた通りに道具を浮かべ、潜水を開始した。

 森の中の湖だから魚がいくらかいると思っていたが、見渡す限りでは動く生物は見当たらなかった。

 しかし、依然として訓練の内容が見えてこない。

 湖の奥深く潜るのかと思ったが底は浅いし、特別目に付くようなものも無く、普通の湖といった感じだ。


 もうそろそろ20秒経ったな——


 水面に浮上しようとした時、異常が起きた。

 水面の中が暗くなっていき、水が冷たくなっていく。

 耳に歪な音が響き、水面に目を向けた時、その異常の正体を知った。


 水面が!凍っている!


 冬に起こる凍結現象のように、水面が白く凍りついていた。

 辺り一面を見渡すが例外はない。

 張っている氷は辞書のように厚く、叩いてもびくともしなかった。

 

 ——落ち着け、これが訓練だ——


 半ばパニックを起こしている俺の頭の中にシェスタの声が響く。

 これも魔術の一種なのだろうが、今はそんなことどうでもいい。


 ——君が運んできた道具があるだろう。ひとまずそこへ——


 シェスタの言葉で少しばかり平静を取り戻した俺は持ってきたブイのもとへ向かった。

 ブイも同じように凍り付いてはいたが、水中に下半分が露出している。

 そこに付いていた取っ手を掴み、次の指示を待った。


 ——ここからが訓練だ。その取っ手が君の魔力を感知すれば、氷が割れる仕組みになっている。以上だ、頑張ってくれ——


 ………………????

 え、それだけ?魔力を目覚めさせるコツとかは?


 ——ない。あるとすればそれは諦めないことだ。それでは健闘を祈る——


 そう告げて彼からの言葉は途絶えた。

 凍結から十秒ほど経ち、周囲の水も一層冷え始め、体が寒くなってくる。

 息を保つのが少しずつ辛くなっていく。

 魔力を目覚めさせるために思いつく限りの手段を実行した。

 頭の中で魔力を必死にイメージしてみる。

 体を力んでみる。

 レッド・フレアシュート!と頭の中で叫んでみる。

 その他諸々の方法を試したが、ブイはうんともすんとも言わなかった。

 潜水から一分が経過。

 ついに息が限界を迎え、苦しみから逃れようと必死に身をよじらせる。


 がああああああ、息が息があばああああ——


 ついに口を開いてしまい、残った息が口から漏れていく。

 しかし、口を開いたところで水中に空気があるわけもなく、苦しみが消えるわけでもない。

 体も冷え切り、意識も薄れ始め、俺は命が失われようとしているのだと直感した。



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



 場所は変わり湖のほとり。

 シェスタとメーレムが凍った湖を沈黙と共に見守っていた。

 しかしその沈黙は今の状況では長くは続かない。


「隊長、やはりこの訓練は初日にやるべきではなかったのでは……」


 メーレムは居ても立っても居られないという雰囲気でここに自分がいなければ助けにいっているのではないか、とシェスタは感じた。

 確かにこの方法は危険だ。

 対象者を肉体的な苦しみや命の危険に晒すことで無理矢理魔力を目覚めさせる裏技のような方法。

 

「何度も言うなメーレム。彼には時間がない。才能があったとしても一ヶ月で戦えるレベルまで魔術師を育てるのは厳しい。たとえそれが茨の道であろうと突き進まなければならない」


 その事自体は、彼が何度も苦悩したことだった。

 しかし今は一分一秒でも惜しいのだ。

 魔術学園の入学試験は。年齢は満15歳から17歳まで。

 この機を逃したら家入瞳時は学園に入学できなくなる。

 そうなれば彼の目標から大きく遠退く。


「そうだ。決して逃すわけにはいかない」


 幸い、彼には肉体的素養があった。聞けば元の世界で運動をしてたのだという。

 ならばどうにかなる。

 魔術で足りない分を格闘術で補ってやればいいのだ。

 試験で求められるのは実力。

 魔術が不足だろうが実戦で戦えれば問題ない。

 覚える魔術が初歩のものでもうまく扱ったり、魔術をおとりにして近接戦で攻めたりと。やりようはいくらでもある。

 一ヶ月あれば、中堅レベルの魔術師になれるだろう。


「そろそろだな」


 凍結から一分が経つ。

 ここで決まる。彼が魔力を目覚めるかどうかが——



 ※※※※ ※※※※※※※※ ※※※※



 あった……かい。


 手足の感覚がなくなっていくなかで、それだけがはっきりと知覚できた。

 意識を体の中に向ける。

 何かが俺の中で動いていた。血液のように忙しなく、細胞のように小さい何か。

 それが体の中心から溢れ出し、体の隅々まで浸透していく。

 今までに感じたことのない感覚だ。

 力がみなぎる、という言葉が相応しい。閉じかけていた感覚が目を覚まし、消えかけた意識が立ち上がる。


 これが魔力……。


 目に見えずとも感じる。

 ただひたすらに透明な力。透明故に何にでもなり得るもの。すべての生物が持ち得る根源。


 視界にブイの取っ手を捉えた。

 かろうじて右手だけは掴んでいる。

 取っ手を見据えながら頭の中で念じる。

 そうすると体の中の魔力がゆっくりと移動していく。

 腕から手へ。手から指先へ。指先から取っ手へ——。

 魔力が取っ手に到達した瞬間、周囲の氷に亀裂が入る。

 その様は皮肉にも、異世界への空間が割れる様に酷似していた。

 氷は瞬きの間に粉々になった。それと同時に空気を求めて海面に浮上する。


「ゲホゲホッ、はっはっははーふー」


 口の中の水を吐き出しながら、約一分ぶりの呼吸を堪能する。


「いえいりー!!」


 シェスタが服を着たままこちらに泳いでくるのが見えた。

 大袈裟だなぁとぼんやり思いつつもそれが心底嬉しかった。


「成功したんだな!魔力を!」


「ええ、ちょっと不思議な感じです」


 どうにか笑顔を浮かべるが、体は疲れ切っていた。

 魔力はまだ体の中に感じるけれど、先ほどよりは落ち着いているようだ。

 シェスタに背負って貰って湖から上がった後は、焚き火に当たりながら体を休めていた。


「おめでとうございます。家入君」


「ありがとうございます。メーレムさん」


 メーレムがいれてくれたお茶を受け取りつつ、感謝の言葉を述べる。


「いやー本当によかった。内心では冷や冷やしっぱなしだったよ。死んでは元も子もないからな」


「まあ、魔力は目覚めましたし。結果よければすべて良しです」


 シェスタはお茶を飲みながら学園の入学試験について話してくれた。

 入学試験は三年に一度ということ。試験内容は毎年変わること。試験が学園で行われること。そしてその内容はどのような形であれ、実戦で競うものであると。

 試験を合格するには一ヶ月で戦える実力を身につけなければならない。

 たった一ヶ月そこらで魔術のまの字も知らない俺を魔術師にするのだから、シェスタが危険な方法を取ったのも頷ける。


「さて、次は実際に魔術を使ってみる。メーレム、魔力変化の説明を頼む」


「はい。では家入君、こちらを見てください」


 メーレムが丸まった紙を広げる。

 そこには魔力の流れが手の図式と共に描かれていた。


「色彩魔術は魔力に刺激を与え、特定の色に変化させる術式です」


「透明な魔力に色がつくんですか」


「はい。魔力は非常に変化のしやすい物質で与える刺激によって六色に変化します」


 確か、赤、青、緑、茶、黄、黒の六色だ。

 自分の中に流れる透明な力が色鮮やかに変化するのか。


「変化って身体中の魔力をですか」


「いいえ。そのような術式も存在しますが基本的には必要な分の魔力を腕に集中させます」


 図の流れでは腕の部分までは均等の長さの管がある。それが掌の部分の球の形に続いている。


「この球の部分が使用する魔力です。術式に必要な分だけ球の大きさを調節します。きちんと調節できなければ術式が失敗するので注意してください」


「焦ったりすると失敗しやすよーこれは」


 魔力の扱いはデリケートのようだ。下手な使用は身を滅ぼすということか。


「次は術式です。術式を術名を口に出して呼ぶことで魔力を変化させ、それを形にします。」


「術名ってあのレッドとかグリーンとかの」


「はい、術名は使用する魔術の色と形にする術式で構成されています。レッド・フレアシュート、ならレッドは赤、フレアシュートが火球を形作る術式の二つで出来ています」


「術式のいくつかは上位のものがあって、そういうのは元の名前が一部変化してたり、他の単語がくっついたりするだけだから覚えやすいよー」


 真面目なのか、それともメーレムだけに任せておくのは退屈なのか、シェスタが寝転がりながら補足をしてくれいる。


「では実際にやってみます。使用する魔術は赤の初歩魔術、レッド・フレアシュート。見たことあるものなのでイメージしやすいでしょう」


「頭の中で魔術のイメージを浮かべた方が成功しやすい。体感だけどね」


 言われた通りに魔術のイメージを浮かべつつ、プロセスをこなしていく。

 腕を前に突き出し、手近な木に狙いをつける。

 体の中の魔力を掌へと集中させ、野球ボールほどの大きさになった。

 頭の中でシェスタが使ったときの光景を思い出しつつ——


「『レッド・フレアシュート』!!」


 掌に紋様が現れ、そこから火球が発射された。

 鮮やかな赤色のそれは一直線に飛んでいき、見事に木の真ん中を捉える。


「やった!」


 初めての魔術の成功に歓喜の声を上げる。

 ラノベを読んで夢想するだけだと思っていた。

 今でも信じられないのだ。

 自分がファンタジーに出てくる魔術を実際に使ってみせたなんて。


「嬉しい……」


 喜びを噛み締めていると、シェスタが俺の頭を撫でてくれた。


「喜ぶのは構わないけど、これからもっといろんな魔術を使えるようになるんだぞ。その度に喜んだらキリがない」


「いろんな魔術!楽しみです」


 この世界に来てから、初めて心から笑った。辛いことばかりだった異世界での初めての喜び。


「明日から身体訓練と魔術訓練を並行して行なっていく。一ヶ月後の試験に向けて、バシバシ鍛えるから覚悟しておけよ。それと、これから俺のことは師匠と呼ぶように!」


「はい!師匠」


 彼の顔から察するに師匠と呼ばせたいだけのような気がしたが、俺も師匠の方が呼びやすくて助かるので何も言わないでおく。

 日が暮れ始め、辺りがオレンジ色に染まり始める。


 こうして、波乱の異世界生活二日目が終わった。

 

 

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