第3話 かつて偉人だったから
微かに意識が目覚める。
それと同時に首から下の暖かさに快楽を感じた。
多分寝ているのだろう。
このままずっと寝ていたい。人間の三大欲求の一つを永遠に貪っていたい。
そういえば…なんでねてるん…だっけ?
たしかまじゅつ?せかいってところにきて。
いきなり殺されかけて。
知らない人に助けてもらって。
それで…それで…
「それで!!」
深海の淵にいた意識が急速に浮上する。
眠気は吹き飛び、暖かさの快楽も忘れ、俺は飛び起きた。
「ここは…」
周りを見渡す。その情報から察するに、ここはどこかの部屋らしい。
部屋にあるものの多くは木で作られており、その全てが俺の部屋にはないものだった。
決して、ここが自分の部屋であることを期待したわけではない。異世界に来たことも殺されかけたことも全てがタチの悪い夢であることを期待したわけではない。決して、だ。
しばらく部屋の中を物色していると、部屋の扉にノックの音が響き、次いで扉が開いた。
「やあ、体調はもう大丈夫そうだね」
「はい。…ええとあなたはシェスタさん…でしたっけ」
男が扉を開け、笑みを浮かべて入ってきた。俺を助けてくれたシェスタと呼ばれていた人物だ。
「シェスタ、シェスタ・クロニクルだ。初めまして異世界からきた少年。名前を聞いてもいいかな」
「俺は
シェスタ・クロニクル。命の恩人であるその名前を心に刻み、俺は感謝の意を告げる。
それからシェスタにこの世界について聞かせてもらおうとしたのだが、その前に腹が鳴り、何ともいえない雰囲気になってしまった。
「……すみません……」
「ふふっ…いいよ。あれから五時間も眠ってたからね。食事を持ってきた。聞きたいことや話したいことは食事を取ってからにしよう」
部屋に設置された窓を見てみると、外はもう真っ暗になっていた。
シェスタが持ってきてくれたパンとスープ、そして魚のソテーを平らげ、腹が落ち着いたところで改めて彼に感謝する。
「ありがとうございます。命を助けていただいただけでなく、食事まで」
「気にすることはない。この世界に慣れるまではここに住めばいい」
それはこの世界を全く知らない俺に取って願った叶ったりだったが、有り難いという気持ちより申し訳なさが先に来る。
「いいんですか、そんな食だけでなく住むところも。俺、あなたにあげられるようなものないですよ」
「遠慮する必要ない。これは監視の意味も含まれているからね。僕としては君にはここにいてもらった方が助かるんだよ」
「そうですか……。なら」
「それに、これは僕個人がしたいからしていることでもあるからね」
どうして、彼がそこまで異世界人に懇意にしているのか気になったが、今この場で問うことではないような気がしたので、その疑問は頭に片隅に追いやっておく。
「さて、まずは世界のことから話そう。魔術、体内の中にある魔力という力を使って引き起こされる特殊な現象。この魔術の有無が君の世界との決定的な違いだろう。君の世界では魔術ではなく、化学というものが文明の主体となっていると聞く」
「確かに俺がいた世界には魔術なんてありませんでしたけど、こっちの世界を知っているんですか?」
彼はまるでこちらの世界について、ある程度知っているかのような口振りだった。
「会ったことがあるのさ、君と同じ異世界から来た人に。君のよう異世界から来る人間は何人もいるからね」
「それって俺みたいな年の人ですか?」
この世界に来てからなぜ、異世界に来たのが自分なのか疑問に思っていた。
あの空間が現れたのは単なる事故なのか、それとも俺を狙ったものなのか。
誰かが故意に俺を狙ったのなら、そいつに文句の一つや二つ言ってやりたい気分だ。
「いや、異世界から来る人間の性別や年齢はバラバラだ。しかし数少ない共通点がある。その一つとして、全員が突如として謎の空間に吸い込まれてこの世界に来ているらしい」
「謎の空間……。それってこの世界の魔術に関係あったりします?」
もしあの異世界転移が魔術によるものなら、魔術世界の人物が故意にこちらの世界の人間を呼び寄せている可能性が高くなる。
「それはまだ分からない。他の世界に移動する魔術というものは
「うーん、誰かの仕業かと思っていたんですがー」
「その可能性は低いね。仮にそんな魔術があったとしても目的がわからない。異世界人が来る場所は毎回違うんだ。近くに呼び出すことができないのになぜ呼ぶ。最悪、呼び出した異世界人が殺されることもあり得る。術者本人にメリットがない」
「っ!そうです……ね」
彼の言葉を聞いて、殺されそうになったときのことを思い出す。
メレスザードという人物が告げた、この世界で異世界人が災いを引き起こしたという事実。
その詳細を知るのは怖かったが、この世界で生きていくならいずれ知らなければならないことだ。
俺は覚悟を決めて彼に問うことにした。
「あの!この世界で異世界人が災いを起こしたことについて知りたいです。俺が殺されそうになった理由でもあるから……」
「……そうだね。君は知らなくてはならない。例えそれが辛い現実だったとしても」
彼の表情が険しくなった。それほどまでに重い話なのだろう。
「元々、異世界人は慕われる存在だった。魔術の才能があったんだよ、異世界人には」
「才能……」
メレスザードが言っていた、力が目覚めるとは才能のことだったのか。
「さっき話した異世界人の共通点だ。異世界人は皆、魔術に関する才能を持っているらしくてね。彼らはその才能を魔術世界の発展のために役立ててくれていた。新たな魔術、魔導具、知識、今の魔術世界は異世界人あってこそのものと言っても過言ではないよ」
ここまでの彼の話だと異世界人が畏怖されるような要素は見当たらない。むしろ賞賛されるような事では無いだろうか。
「異世界人との仲はとてもよかった。異世界から来たとしても同じ人間だからね。異世界人の来訪はむしろ歓迎される事だった。30年前のあの事件が起きるまでは」
「あの事件?」
それまでの異世界人への評価を覆すような出来事。
ゴクリ、と唾を飲み込む。知らぬ間に姿勢を前のめりにして彼の話に聞き入っていた。
「事件名はリバース・ワールド。異世界人が戦争を起こした事件だ」
「戦争——。異世界人が」
「その戦争によって多くの死傷者が出た。戦争によって世界は変わり、その影響は今も残り続けている」
口を開き絶句する。
才能や知識を生かし、人々から讃えられ、敬われる、
戦争など起こす理由が見当たらない。
なぜ、どうして、わからない。
頭の中の疑問が口から溢れ出てしまいそうでとっさに口を抑えた。
「すみません。少し落ち着く時間をください」
「急がなくていい。僕もこの話を初めて聞いた時は、受け入れるのに時間がかかったから」
大きく深呼吸し、自分を落ち着かせる。
戦争なんて起こしたら災いと呼ばれても仕方がない。
積み上げるのは大変だがそれを崩すのは簡単。
それまでの異世界人への印象も戦争など起こせば一瞬で地に落ちる。
仮に災いを起こしたのがその異世界人だけだとしても、その後から来た異世界人への疑惑を消すことができないだろう。
その疑惑が俺を殺そうとした理由なのだ。
「わかりましたよ。どうして俺が殺されそうになったのか」
「すまない。多くの人々は善良な異世界人もいると理解していても、どうしても恐怖の方が先に来てしまう。僕も今日のような出来事をなくすために努力しているが……難しくてな」
彼は自分の不甲斐なさを悔いるようにうなだれた。
「元気を出してください。あなたが救ってくれたから俺はここにいます。あなたが助けてくれなければ、俺は今頃死んでいたのですから。異世界人である俺を恐れず、住む場所や食事を与えてくれたあなたには感謝しかありません」
「そうか……。励ましてくれてありがとう」
彼は顔を上げ、手を鳴らすと再び笑顔に戻ってくれた。
「さて、この話はここまでにしておいて、もう一つ、君にしなければならない話がある。君のこれからについてだ」
「俺のこれから……」
「率直に言おう、元の世界に帰りたいか?」
「っ!!!」
俺は一体今日で何回驚けばいいのだろう。戦争の話以上の衝撃が襲ってきた。
しかし落ち着け俺。確か彼の言葉では——
「でも、他の世界に移動する魔術は見つかってないって……」
「
心臓の音がはっきり聞こえる。それほどまでに興奮していた。
「一つ。今、この国が研究している世界移動に関する魔術だ。我々は異世界人が来るときの魔術反応を解析し、それを実際に使用可能にしようと試みている。完成すれば二つの世界を行き来することができるだろう」
「国がそんな研究を——」
ファンジーの魔術世界において、異世界から人間を召喚する魔術はあるが行き来することができるものは少なかった。まさか、この世界の魔術がそこまで進んでいようとは。
「二つ。この世界の地下『ボイド』に潜り、失われた魔術を探す」
「地下、ですか」
「ああ、この世界全体に広がる地下世界、それが『ボイド』だ」
『ボイド』と呼ばれる広大な地下世界。そこに存在する失われた魔術を探す。冒険のようなイメージが頭の中に浮かんだ。
「失われたって、もしかして戦争のせいで」
「そうだ。元々、世界転移に関する魔術の研究は古くから行われていた。しかし戦争によって研究の記録と歴史の一部が行方不明となった。今ある研究は残った記録から始めたものだ」
異世界人の協力によって魔術世界は大きく発展している。戦争が起きる以前もそうだった。
「つまり、今の研究より昔の研究の方が進んでいた……」
「その通り。世界転移の魔術が完成していた可能性もある。そうでなくとも、記録を見つけることが出来れば、今の研究を進歩させることができる」
「なるほど、でも仮にその魔術を見つけたとしても俺みたいな人に使わせてくれるんでしょうか」
元の世界の新薬のようなものだ。仮に革新的な薬が開発されたとしてもそれが一般人の手に渡るまでは長い時間がかかるものだ。
いつまでに魔術が完成するかもわからない。完成する頃には俺が老人になっているかもしれないのだ。
「確かに君の言う通りだ。君が世界転移魔術を手にするまでには多くの障害があるだろう。だが心配するな、解決方法はある。それは君が魔術師になることだ」
「魔術師——」
初めに空飛ぶ箒を見た瞬間からこうなることは心のどこかで予感していた。
ただ、それが思った以上に早かった。
「君、歳は」
「確か今日で15歳です」
「なら条件はクリアだ。魔術学園の入学試験が受けられる」
「魔術学園!?」
魔術を学ぶ学校なのだろう。しかし、数奇なものだ。こっちの世界でも学校に入ることになるとは。
「国の研究、そしてボイドの探索、どちらも『Class』が高いものにしか認められていない」
そう言って彼はグローブのところにあるプレートを見せた。
そしてそこに刻まれた『Class S』というを文字も。
「『Class』とは、あらゆる魔術につけられるランクだ。上からS、A +、A、A −、B +、B、B−、C +、C、C -、Dの順に存在し、高いランクほど優れた魔術を持つ」
「この世界の魔術師の位階のようなものですね。でも、それと学園に何の関係が?」
驚くのにも慣れたので顔には出さなかったが、説明された通りだと、目の前にいるのはトップクラスの魔術師ということになる。
俺を襲った魔術師は『Class A +』だった。
この人は一人で戦っても勝てたのではないだろうか。
「魔術師の『Class』のほとんどは学園で決まる。学園で魔術を学び、実力を認められれば、教師が『Class』を上げる。そうやって魔術を磨いていって上位のランクになれば、国の魔術研究に関わることやボイドの探索に向かうことができるようになる」
「つまり、元の世界に帰るためには魔術学園に入ることが必須だと」
「そうだ」
元の世界に帰るためには避けて通れない道。
「簡単ではないんでしょう」
「ああ、まず入学試験に受からなければならない。例え、入れたとしてもトップクラスの魔術師になれるとは限らない。伸び悩み、道を断念する魔術師も大勢いる」
「……」
「世界転移魔術ができるまで待ち続けるというのも一つの手だ。それほどまでに学園は危険だ、命を落とす可能性もある。よく考えた上で答えを出してくれ」
恐怖、疑惑、興奮、様々な感情が心の中で渦巻いている。
常に動き、変質し、心をかき乱す感情。
その中で唯一、不動としてあり、心に安らぎを与える感情。
それは——
「俺は、家族の元に、友達のもとに帰りたいです。みんな、いきなりいなくなって心配してると思うから」
家族への、友達への思い。
「帰るためなら、辛いことも苦しいも乗り越えます。だから俺は——」
「魔術師になります」
ここに誓う。必ず元の世界帰ると。
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