第2話 殺す者、救う者
逃げる、ひたすら逃げる。
人が逃げる時、それは逃げる以外の方法ではどうしよもない時だ。
何が起きているのか全くわからない。汗と鼻水でぐちゃぐちゃな姿になっているがそんなことを気にしていられない。とにかく全力で走って脅威から逃げなければ。
「なんでっ、どうしていきなり!」
火の玉のようなものが俺のすぐ横をすり抜けていく。
とっさに振り向きたくなる衝動に駆られるが我慢する。振り向いたからといって脅威が消え去ってくれるわけではない。再び恐怖を感じるだけだ。
さっきまで歩いてきた道を引き返し、その先にある森の中へと入る。
入り組んだ道を進むことによって、彼の視界から逃れることに成功したのだろうか、火の玉がこなくなった。
すぐ近くの木のそばに座り込み、荒い息を落ち着かせる。
「考えろ考えろ、なんであの男は俺を殺そうとしたんだ」
人が人を殺すには必ず理由がある、それはどんな世界だろうと変わらないはずだ。異世界に来てからの自分の行動を振り返り、頭の中で可能性を模索する。
何か誤解をしている可能性、知らないうちにこの世界の法に触れるようなことをした可能性、いずれも納得し難い。この世界に来てからまだ半日も経ってないし、その間に目立った行動をしたわけでもない。彼とした会話も異世界人だということを明かしただけで、誤解されるようなことを言った覚えもない。
だとすると——
「異世界人だからなのか」
考えたくはなかったが、今、殺される理由あるとすれば、『異世界人であること』が関係しているのだろう。
しかし、だとしたらと別の疑問が出てくる。
「どうして異世界人というだけで殺されなくちゃならないんだ」
「それは、異世界人が災を引き起こす存在だからだ」
それを視認した時、恐怖で体が動かなくなった。いつの間にかあの男が目の前に立っていたのだ。
周囲の警戒は
すぐにその場から逃げるべきでなのに、立ち上がることもできないでいた。手足の動かし方すら忘れるほどに、思考は恐怖で支配されていた。
「どっ、どうして……」
「ん」
「どうして、俺は殺されるんですか……」
恐怖の中、どうにかその言葉を絞り出す。自分も死ぬかもしれない。しかし、何もわからないままなのは嫌だった。
彼は少し悩む素振りを見せた後、また悲しい表情を浮かべながら淡々と話し始めた。
「そうだな、何も知らない者を殺すのは無慈悲が過ぎるか。先程も言った通り、異世界人はこの魔術世界にとって災いを引き起こす者として恐れられる存在だからだ」
「災を起こす……?俺は……俺はまだ何もしてません」
「何かが起こってからでは遅いだろう」
「何も……災いになるようなことをするつもりはありません。本当です!」
「だから殺さないでくれ、と?おまえはいつ火がつくかもわからない爆弾を手元に置いておくのか」
「……それは」
「お前が死ぬ理由は理解しただろう。本当に理不尽で可哀想だとは思うが世界のためだ」
無慈悲な答えだった。頭の中は冷たい水が注がれたようにすうっと落ち着いていった。
彼が再び俺に掌を向ける。その距離は手と鼻が触れそうななほど近く、もう避けることはできそうにない。
強まっていく光を呆然と眺めながら、どうして、という疑問だけが頭の中で回っていた。
どうしてこうなったんだ。今日は誕生日のはずだったのに。
どうして俺はここにいるんだ。本当は家でおいしい食事を取り、プレゼントに驚き、家族や親友と喜びを分かち合っているはずなのに。
どうして死ぬんだ。いきなり異世界に飛ばされ、存在そのものが災と呼ばれ、理不尽に死を突きつけられる。望んで来たわけじゃないのに。
こんなの……こんなの……
「納得できるわけねええだろおおおお!!」
どれほど理不尽な目に合わされているのかを理解し、怒りのままに声を荒げる。今、俺は銃を突きつけられているのと同じだ。理解できない理由を押し付けられ、相手の都合によって殺される。こんなことを受け入れてはならない。たとえ死ぬとしても、こんな理不尽に屈することだけは心底ごめんだ。
刹那の時から目覚め、目の前の男に殴りかかろうとしたその先——
「そうだ、誰であろうとこんな理不尽を許すわけにはいかない!」
声がした。透き通っていて、力強い、そんな声が。
男は魔術を中断し、とっさに距離をとった。俺の目の前にさっきの声の人物が上から降りて来る。
誰かはわからない。しかし、絶体絶命だった俺の目に映るその背中は、救世主だと確信できた。
「遅くなってすまない。怪我はないかい」
「……あっはい大丈夫です」
若い男だった。20代くらいだろうか。髪は全体的に白く、先端部分が黒い、まるで紙に数滴の墨汁を垂らしたようだった。整ったデザインの服を着ていて、手には灰色のグローブをはめている。グローブの端にはあの男と同じプレートが付けられており——
『Class S』
そう刻まれていた。
「シェスタ……シェスタ・クロニクル。貴様ァ!何をしている!」
「それはこちらのセリフですメレスザードさん。あなた今、この少年を殺そうとしていましたね」
「そいつは異世界人!この世界にとっての災いだ、排除しなければならない!」
「それは違います!異世界人の全てが災いになりうるというのはあなたの偏見です。あなたも知っているでしょう異世界人はこの世界の魔術の発展に貢献してきたことを!」
「それも今や過去の話だ。若輩者の貴様とて30年前に起きた厄災を知らぬわけではあるまい。あの時より異世界人は畏怖の象徴となった。だからこそ殺さなければならない。その異世界人が力に目覚める前に!」
激しい言い合いだ。内容はわからないがシェスタとメレスザード名前の二人の主張が異なることだけは理解できた。
二人の顔、声、雰囲気、そのどれもが穏やかではなかった。
しかし、シェスタは腰に下げた剣らしき物の柄に手をかけつつ、なおもメレスザードと話を続ける。
「この少年は僕が責任を持って保護します。退いてくださいメレスザードさん。でないとこの剣を抜かねばなりません」
「貴様、その剣を抜くことがどういうことかわかって言ってるのだろうな」
「ええ、それは十分に。その覚悟の上でこの少年を保護すると言っています」
「っ!あの惨状を見たこともない貴様だからそんな言葉が言えるのだ……!」
いきなり強風が吹いた。メレスザードの周囲に風が集まっていく。それだけではない。彼の周囲の空間が歪んで見える。何か俺の知らない力のようなものが働いているのは明白だった。
「私の邪魔をするな!『グリーン・イレヴァレント・ファング』!!」
彼がそう唱えた瞬間、周囲の風の色が濃い緑色に変わり、獣の牙のような形となってこちらに襲いかかってきた。
その風の大きさたるや。人一人飲み込んでしまいそうなほどの大きな風だった。
「やばい、逃げなきゃ」
急いでその場から離れようとする俺をシェスタが手で制した。
「大丈夫、問題ないさ」
「でっでも」
こちらに笑みを向ける彼は何らかの対策をしているようには見えなかった。腰の剣を抜くわけではなく、メレスザードのように何かの呪文を唱えるわけでもない。
「時間だ——」
直撃寸前、巨大な風の塊が糸を
同時に周囲の木々に新たに六人の人物が姿を現す。
「大丈夫、彼らは僕の味方だ。同じ隊のメンバーだからね」
確かに、彼らはシェスタと同じ服を着ている。
「いかに貴方といえど僕達七人を相手取りながらこの少年を殺すのは不可能です。もう一度言います、退いてください」
「……クソ!そこまでして貴様はその異世界人を保護しようというのか!」
「無論です。クロニクル家当主として一切の責任は僕が持ちます。もしこの少年がこの世界に害すると判断した場合、僕が処罰します」
メレスザードは未だ不服そうな顔をしていたが、小さく鼻息を漏らすと身を
すると箒がふわりと浮き上がる。おそらくこれも魔術の一種なのだろう。
「引き揚げる。だが覚えておけ。私は決して異世界人を認めない」
そう言い残すとメレスザードは箒の上に立ち乗り、来た時と同じようにその場を去っていった。
終わったの……か?
俺を殺そうとするメレスザードという人物はいなくなった。
そしてシェスタ・クロニクルという俺の身柄を保護してくれる人物が現れた。
俺の生存は一先ず保障されたと言っていいだろう。
「あっ……あれ?なんだ……かねむ……く……」
緊張の糸が解けたからだろうか、頭の中に眠気が入り込み視界を暗くしていく。
空間の中で気絶した時と似ているがあの時とは違って不安はなかった。
あの時よりはずっと希望があるのだから。
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