第7話
今日は私の人生の中で最悪な日だと思う。この先、これより酷い日があるだろうか? だって、お気に入りのドレスはボロボロで、もう修復不可能なほどだし、大切なネックレスもない。
いつもよりも時間をかけてしてもらった化粧は……多分、取れちゃってる。
手のひらは傷だらけだし、よくよく見たら足も傷だらけ。貴族の娘としていただけない。
しかも、その治療をライナス様にして貰っている。
本当、最悪の日だ。
彼の前ではいつも綺麗でいたかったのに。
「エレナ、痛くない?」
「いっ……痛くないよ。大丈夫」
「痛々しい怪我だ。痕になるといけないから、医師にしっかり診てもらおう」
「うん。ありがとう」
手早く包帯を巻く姿はさながらお医者様で、もう一度診てもらう必要なんてないんじゃない? というほどだ。手のひらにも、足にも包帯が巻かれる。
足を触られるのはなんだか恥ずかしいけど、ライナス様は気にした様子も見せていないし、ここで恥ずかしがるわけにはいかなかった。
穴があったら入りたい。そして、中でそのまま引きこもりたい。
「……怖かったろう?」
「ちょっとだけ。でも、ライナス様が来てくれたから……」
来てくれなかったら、私はきっとあのパーティの仲間入りを果たしていただろう。思い出してふるりと震えた。それがライナス様にも伝わってしまったのか、彼は何も言わずに私の包帯が巻かれた手を握る。
「ごめんなさい。服、汚しちゃった」
上等な服は、私のせいで汚れてしまっている。洗えばなんとかなるだろうか。洗濯のことはよくわからないから私では判断が難しい。
「服は代えがきくから気にしなくていい」
ライナス様の手が私の頭を撫でる。この手で撫でられると、安心しちゃう。例えそれが妹のような存在だという証明だとしても。
「辛いとは思うけど、何があったか話せる?」
「大丈夫だよ。でも、何から話せば良いんだろう……」
「どうしてここに来たかは覚えている?」
「あ、それはね……」
私は少しずつ思い出しながら今日あったことを話した。お茶会に来たこと、途中で席を立ったこと。そして、マノンに会ったこと――。
「つまり、マノンという女性に誘われたということだね?」
「うん。そうだよ」
ライナス様はなぜマノンのことをそんな他人行儀な呼び方で呼ぶんだろう。赤の他人みたいではないか。
もしかして、こんなことになってしまって困惑しているのかも。そりゃあそうよね。恋仲の相手があんな……。こんな時、どんな言葉をかけたら良いんだろう。
違う話にしよう。私の経験値じゃ、わからないもの。
「あのね、ごめんなさい。その時に貰ったネックレス……」
胸元を触ってもありもしないのに、癖で握りそうになった。彼は彷徨う私の手を握ると、ゆっくり首を横に振る。
「またネックレスを贈る口実ができただけだ」
「でも……大切な物でしょう?」
「エレナより大切な物なんてない」
ずるいよ。そうやって優しい言葉を貰うと勘違いしちゃうよ。分かっているの。ただ妹のように大切にしてくれているんだってこと。
「……そうだ。話の続き。気づいたら、屋敷の地下にいてね。人がいっぱいいたわ」
「どのくらいいたか覚えている?」
「うーん……薄暗かったし、正確な数はわからないけど、十人以上はいたと思う。見たことある顔もいたよ。一緒に挨拶した時に会ったのかも」
「そうか……」
ライナス様は何かを考えるように黙り込んだ。
「それでね。その時にとても頭が痛くて。そしたら、マノンさんが薬を勧めてくれたの」
「それを飲んだのかっ?!」
「う、ううん」
私が首を振ると、ライナス様はあからさまに安堵していた。あの薬の効能のよく知っているようだ。もしかして、マノンから聞いていたのかもしれない。
「……なんか怪しいし、怖かったから断ったよ。その時に床にこぼしちゃって……。そしたら、みんながそこに群がったの。ほんの少し。小指程度の量だよ? なのに、みんなその薬を求めるみたいに床を舐めたの」
あの光景が一番恐ろしかった。思い出しただけで鳥肌が出る。
「怖くなって逃げたら、入り口に人がいて。それで二階に行ったの。あのバルコニーがある部屋だけ鍵が開いていて……」
全部自業自得なんだけど、こんなことになるなんて思いもよらなかった。
あの時ライナス様が来てくれていなかったらどうなっていたのだろう? 私も床を舐めていたかもしれない?
「でも、よくここが分かったね?」
「それはケリーにお礼を言ってあげるといい。彼女が真っ先に知らせてくれたからここに来れたんだ」
そう言うと、ライナス様は私の手に一粒のサファイアを握らせてくれた。そっか、これに気づいてくれたんだ。
「ケリー……そっか……。ケリーにも心配かけちゃった。それに、みんなに迷惑かけちゃったんだね」
ケリーが知らせてくれたということは、屋敷にもすでに連絡はいっているだはずだよね。きっと、みんな心配している。
「エレナのおかげでこの場所を早く特定することができた。ずっと探していたんだ。ここの特定が遅くなれば遅くなるほど被害は大きくなっていた筈だ」
「本当? 少しは役に立ったのかな?」
「でも、もうこんな危ない真似はしないで。心臓がいくつあっても足りない」
ライナス様は顔をくしゃりと歪めると、私を抱き寄せた。力強い腕に潰されそうだと思ったけど、今ならそれも有りかな、なんて思えてくる。
彼は小さく震えていた。
強く抱きしめられたことで、身体に何かがぶつかった。
なんだろう?
視線をやれば、いつもは持っていない剣を付けている。こういうのを持っているのって、騎士様とかだと思っていたけど、もしかして戦うつもりだったのだろうか?
「これが気になる?」
「うん。初めて見た」
それにしても豪華な装飾の剣なのだ。戦う気などこれっぽちもないような。
「これはジークのだよ」
「ジーク……ジークって殿下のっ?!」
「そう、抜くことのない持つためだけの剣」
「つまり……?」
「この剣があれば、ある程度の権限を持つことができるということだね」
ライナス様は少し悪そうに笑った。
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