あなたのための悪役令嬢計画！

第5話

　きっとあの正面にある扉に向かえばこの危ない屋敷から出られるだろう。そして、サファイアを拾いながら帰ることができるはず。

　既に体力は尽きかけているけど、やるしかない。出口に向かって足を踏み出した瞬間、その扉が開いた。

　ギィ……と重たい音が響く。そこから現れた人影に私は足を止めた。

「おや？　いかがなさいました？　迷われましたか？」

　外から差し込む光のせいで、顔はよくわからないけど、がっしりとした体型の男だった。「助けて」と言って助けてくれるような雰囲気はない。多分……あの怪しいパーティの仲間だろう。

　どうしよう。何て誤魔化せばいいの？

「いえ。その、暑くって……。外の空気を吸いたいなぁと……」

　手でパタパタとあおってみた。さすがに無理がありすぎたかも。

「そうですか。しかし、外は危ないですから。涼しい場所へご案内しましょう」

　男が笑ったような気がした。

　こうなると、出口は男がいるから無理。引き返すのはもってのほか。行けるところなんて……。

　左右を見渡して、可能性として残されている選択肢は二つ。一つは先の分からない扉に向かって走る。最悪行き止まりかも。裏口とかに続いていることを願うしかない。

　もう一つは二階に続く階段。二階に行ったらそれこそ逃げ場なんてないんじゃ……。

　だけど、二階への階段は随分と埃が溜まっていて、誰かが足を踏み入れている様子はない。

　男が一本足を踏み出した。同時に、地下からマノンの声が聞こえた。なんと言ってるか分からないけど、私のことを連れ戻しに来たんだ。

　私はとっさに二階へ続く階段を駆け上がる。この様子なら二階には誰もいない。どこか部屋に入って立て籠れば時間が稼げるはず。その間に次のことを考えよう。

　息が苦しくて、足を止めたくなる。でも、今諦めてしまったら……。そう考えただけで、次の足が出る。

　階段を登りきって一番近くの扉に手をかけた。

　開かない……！

　次の部屋も、その次の部屋も扉はがっちりとしまっていた。

　お願い……開いて！

　私の願いを聞届けるように、奥の部屋の扉だけは、ドアノブに確かな感触を感じた。

　飛び込むように入れば、がらんとした大きな部屋が広がる。窓の外はバルコニーになっている。窓ガラスは割れていて、荒れ放題だ。床には枯葉やまだ若い葉が入り混じっていた。

「エレナ様ったら、どうされたの？　気でもおかしくなってしまったのかしら？」

　マノンの声が響く。

　おかしくなったのは彼女の方だと思う。

　それにしたってあの地下のパーティはなんだったの？　本当に夢じゃないんだよね？　なんでついて来てしまったんだろう？　私の馬鹿……！　言っても遅いんだけど。

　内開きの扉の前に、ガラクタを集めた。女一人で持てる物は何でも運んだ。テーブルだった物、椅子だった物、よく分からない銅像の一部。

　時間稼ぎはできるはず！

　ドンドンドンッ

　激しく扉が叩かれる。今にも壊れそうなくらい揺れた。

　怖いってばぁ〜。意味もなく体を小さく丸める。隠れられそうな場所はない。もう、絶体絶命だ。

「エレナ様？　こちらにいらっしゃるのでしょう？」

　居ません！　気のせいです！

　声色とは裏腹に扉が強く叩かれる。こんなの、お兄様のする怖い話より怖いよ。こんな時はどうすれば良いの？　とりあえず落ち着かないと。

　きっと、今頃、お茶会が終わって私がいないことにケリーが気づいている筈。そしたら、屋敷にも連絡が行く。めざといお兄様のことだ、サファイアを見つけてくれているかもしれない。

　絶対大丈夫。

　時間稼ぎ……時間稼ぎをしよう。と、言っても、扉の前に置けそうな物は置ききったし。

　何か手を止める方法ないかな。

　怖い。けど、やるしかないんだ。

　私はゆっくり息を吸い込んだ。

「マノンさん……」

　か細い声が私の口から出てきた。絞り出したにしては小さくて、蚊の鳴くような声だ。けど、マノンはその声を拾ったようで、扉を叩く手を止めた。

「やはりこちらでしたのね？」

「え、ええ……。ごめんなさい。さっきは驚いてしまって。一人になりたかったの」

「そうでしたの。でも、ここは危ないわ。床が古くなっておりますの。ですから出てきてください」

　だから、人がいた形跡がなかったのかしら。窓も壊れてるし、吹きさらしじゃパーティはできないもんね。

「……そうみたい。びっくしてしまって、今立てないの。少し落ち着いたら――」

「まあ！　でしたら、今から助けに行きますわね！」

　グイグイと扉を押される。そんな嘘じゃ駄目だ。もっと時間を引き延ばさないと。

「あ、あの！　聞きたいことがあるのですが……」

「……何でしょう？」

「先ほどの薬って何だったのですか？　その……皆さん必死でしたから……」

　必死なんてものじゃない。ほんの少しの薬に対して蟻のように群がっていた。思い出しただけで鳥肌が立ちそう。

「あれは我が家の秘伝の薬ですわ」

「秘伝……。あそこ……ええと、パーティにいらした皆さんはあの薬を？」

「ええ、皆様、何かしら悩みを抱えていらっしゃったので、薬で治療したのです」

　ますます怪しい。悩みを治療とはどういうことだろうか。頭痛に対して渡した薬なのに、それ以外にも使用法があるというの？

「なぜ、こんなところでパーティをするのですか？」

「それは、あの薬のことを知られてしまっては大変だからです」

　やはり、危ない薬なんだろう。

「ほら、奇跡を起こす薬の存在が広まると、みんなそれを求めて押し寄せてくるでしょう？　全ての人に施せるほどは持っておりませんもの」

「そ、そんな貴重な薬だったんですね。なら、頭が痛い程度の私は遠慮します。私の頭痛は時が経てば治る程度のものですし……」

「まぁ、遠慮なさらず。さあ、今扉を開けて差し上ますからね。お前達」

　突然、大きな音が響いた。扉を壊そうとしているのだ。

　どうしよう……！

　後ろを振り返ったけど、視界に入ったのはバルコニーだけ。それでも、少しでも扉から離れようと、バルコニーへと進んだ。

　床が抜けないように、そっと歩くしかない。失敗だったかも。あの時一階の扉を進んでいれば逃げられたかもしれない。

　後悔しても仕方ないし、もう一つの選択肢が正解とも限らないのに、そんなことばかりぐるぐると考えていた。

　扉に何か当たる度に、建物が小刻みに揺れる。その度に天井から何かがパラパラと降っていた。

　このまま捕まっちゃうのかな。あの人達みたいになっちゃうのはいやだ。

　お願い、助けて。

　いつもの癖で、右手が胸元に伸びる。ぎゅっと空気を掴んで滑り落ちた。

　そうだ……。ネックレス壊れちゃったんだ。

「ライナス様……」

　ポツリと口から溢れたのは弱音でも何でもない。大好きな人の名前だった。