第4話

 お父様、お母様。私、エレナ・ノーベンは絶体絶命の危機を迎えております。


 降ろされた場所は、随分鬱蒼とした森の中だった。どこが屋敷の近くなの。道も悪かったせいか、お尻が痛い。心なしか胃も痛いし。


 目の前には赤煉瓦でできた屋敷。蔦が巻きついていて、なんというか……怪しさ満載なのだ。


 魔女が住んでいるって言われても納得できるよ。


 小さな屋敷は二階建て。窓は所々割れていたり、ヒビが入っていたり。二階の正面にあるバルコニーの手すりも大分ガタがきているように見える。


 パーティをするにはちょっと……。


 これで「うふふ、パーティ楽しみ」とか言って、入っていける人がいたら、頭の中はお花畑だと思う。それとも私はお花畑があるように見えるのだろうか。


 それはそれで嫌だなぁ……。ここまで付いてきた時点でお花畑確定な気はするけど。


「さあ、こちらです」


 マノンはにこやかにこの怪しさ満載の屋敷を指した。堂々たるものだけど、そんな笑顔に騙されないよ!


「マノンさん、私……今日はここで帰ろうと思います。お客様が来る予定なの」

「あら、挨拶だけならそんなに時間は取らせませんわ」


 マノンがにじり寄る。あまりの恐怖に私は後ずさった。


 五歩程度後ずさったところで、ポンッと背中に何かが当たる。慌てて、振り向くと薄汚れた布地が目の前に広がる。


 ゆっくりと顔を上げると、御者が私を見下ろしていた。


 声にならない悲鳴が喉を通る。同時に肩が跳ね上がった。


「ご案内します」


 御者は無表情のまま、私を見下ろす。


「い、いいえ、今日は大丈夫です」


 私が頭を振ると、御者の眉根が寄った。それだけで怖いんですけど……!


 慌てて逃げれば、次はマノンとぶつかってしまった。


「怖がらなくても大丈夫ですよ」


 マノンの唇が弧を描く。まるで、魔女みたいだなと思った瞬間だ。


 身体に衝撃がはしった――







 楽しそうな笑い声が聞こえる。会場を彩るヴァイオリンの音色はないけど、いつも夜会で耳にするような談笑の声だ。


 あれ? 私、夜会に来てるんだったっけ? 違う……お茶会だ。ああ、そっか。ナンシーの家のお茶会に行って、それから……それから……。


 ゆっくりと瞼をあげる。そこは薄暗くて、なんだかもやがかかったような部屋だった。


 今は夜? 明かりは所々にあるランプのみ。それに、なんだかひんやりしているし、ジメッとしている感じもする。あまり、気持ちの良い感じではない。


 頭も痛いし、気分は最悪だ。


「お姫様がお目覚めのようだ」


 ねっとりとした男の声が降ってきた。何度か頭を振って意識を現実に戻していく。見上げれば、見たこともない男が口角を上げて立っていた。


 なんでこの人、仮面なんてつけているんだろう? これは夢?


 私はどうやら大きな長椅子で眠っていたらしい。ごわごわとした感触を確かめる。随分と使い古した椅子のようだ。それに、なんだか埃っぽい。


 薄暗い中、目が慣れてきた。目を凝らしながらぐるりと辺りを見回すと、人の姿が確認できる。


 一、二、三……。沢山いる。みんなどこがトロンとした表情だ。どこかで見たことがある顔の人ばかり。


 みんなどこが恍惚とした表情で笑いあっている。例えばこれが、もっと華やかな場所ならば、晩餐会とも夜会とも言えたかもしれない。


 変な夢。不気味な夢だ。こんな夢を見るほど私は何に疲れているのだろうか。


「エレナ様、おはようございます」


 聞き覚えのある声に肩が震える。ゆっくりと振り返ると、そこにはやはり仮面をつけた人が立っていた。次は女性。


「マノン……さん?」


 答えない代わりに唇が弧を描く。肯定の意だろうか。ああ、段々と思い出してきた。私は彼女と馬車に乗って……。ここは、あの怪しい屋敷の中?


 蛇の巣――?


「パーティへようこそ。ここはね、嫌なことを忘れられる素敵な場所ですの」

「私、どうして眠ったのでしょう?」

「まあ、覚えていらっしゃらないのね。突然倒れられたんですよ」

「嘘……」


 この頭の痛みは倒れた時のもの? 倒れるほど体調悪かったかな。悪くなかったと思うんだけど。


「私、帰ります。倒れたってことは随分時間が過ぎてますよね? 今日は約束が……」


 約束はしてないけど、ライナス様が来る日なのだ。早く帰らないと。


「折角ですもの、少しくらいゆっくりしていってください」


 マノンは私の隣に腰掛ける。全然話しが通じない。私がなんと言ってもダメみたいだ。「帰る」では伝わらないなら、無理に逃げるしかないのかも。まずは出口を見つけないと……。闇雲に走っても捕まってしまいそう。


「頭、痛そうですね?」

「ええ……なんだか目が覚めてからずっと……」

「だったらちょうど良いものがありますわ」


 マノンの視線を受けて、仮面をつけた男は、運んできたトレイを私の前のテーブルに置いた。


 ティーカップと小さなお皿。皿の上には紙がしかれ、その上に黒い粉が小指ほどの量乗っている。


 ……薬かな?


「これを飲めば痛みも治ります。我が家の秘伝の薬です」


 ……怪しい。怪しいよ。すっごく怪しい。「はい、そうですか」なんて飲めるほど、 私も馬鹿じゃないんだから。よく分からない物は口にしちゃダメってお母様にもお父様にもよく言われているのよ。


「えっと……。薬は帰ればありますので、大丈夫です」

「遠慮なさらないで。痛いのでしょう?」


 マノンは皿を手に取ると、私の目の前に突き出した。


 この得体の知れない薬を飲むの? さすがに無理。本当に良いものだとしても、それはダメだと本能がそう言っている。


「なんだか、痛みがとれて来たような気がします。だから、大丈夫です」


 なるべく顔に痛みを出さないように笑顔を見せる。なんだか、さっきから彼女の笑顔が怖いと感じるのだ。こういう時の感って案外あてになる。だから、どうにか穏便に逃げたい。


「帰るまでに何かあっては大変です。さあ、遠慮なさらず」


 マノンはグイグイと薬を私の口元に押し付けようとする。


 無理……! 絶対いや……!


 私は力任せにマノンを押しのけた。火事場の馬鹿力だったのか、私の力が強いのかはわからないが、彼女は薬を持ったまま後ろに倒れていった。薬が宙に舞う。


「ああ! 勿体ない!」


 見知らぬ男が床に這い蹲り、散らばる薬をかき集めた。そして、その床を舐め始めたのだ。


 すると、他の者も同じように薬に群がっていく。


 なんなのこれ……。絶対変……!


 注意が床に注がれている今しかない!


 私は慌てて立ち上がると、見つけた扉に向かって一目散に駆けたのだ。


「待ちなさいっ!」


 マノンの声が響く。「待て」と言われて待つ人がどこにいるのか。とにかく逃げなくては……! ここは駄目。あれは絶対薬なんかじゃない。


 扉を開くと上に続く階段が目に入った。他を探している暇もない。私はスカートを捲り上げながら、階段を駆け上がった。


 息が上がる。もっと運動しておくんだった。最近は乗馬もしていない。このままでは追いつかれてしまう。


 どうにかこうにか階段を登りきるとまた扉があった。考える暇もなく開けはなつと、光が差し込んだ。


 眩しさに耐えながら目を開ければ、広いホールが目の前に広がる。さっきの場所は地下だったんだ……!

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