第3話

 知らせが入ったのは、エレナになんと言えば良いかと考えあぐねいていた頃だ。


 夜会の翌日――昨日の昼間、時間を作ってエレナの元を訪れたが彼女は顔を見せてはくれなかった。今日は顔を見せてくれるだろうかと、不安にため息を漏らすこと数回。


 先日の夜会の一件をジークフリートに相談したのは、度重なるため息に好奇心を持った彼が「何があった」とうるさかったからだった。


「お前はとことん運がない奴だな」


 人の不幸を笑う姿に、ライナスが眉をひそめたのはいうまでもない。


「しかし、おかげでマノンとかいう女が噂を広めたことも分かったんだろう? 悪いことばかりではないと思うが」


 マノンの様子や会場の雰囲気を不審に感じたライナスは、夜会の一件があってすぐ、エレナになにが起こっているのかを調べた。


 マノンは同じ年頃の令嬢に、エレナのありもしない噂を広めていたのだ。


「知り合った女の婚約者を色仕掛けで唆しているんだったか……? お前の婚約者は見た目によらないらしいな」


 それが全て嘘だと分かっているのにも関わらず、ジークフリートは楽しそうに笑う。全くもって人ごとの一言に尽きる。


「エレナに色仕掛けなどできるわけがないでしょう」


 エレナは幼い頃から真っ直ぐで、駆け引きが苦手なのだ。それは、ライナスが心配になるほどに。色を使って誘うなどという行為ができる筈もない。そんなことを考えるような性格でもなかった。


「なんだ? お前も色仕掛けはされたことがないのか? 婚約者なんだ、一回や二回……いや、俺が悪かった。そんな顔をするな」

「友を一人減らしたいのでしたら、好きなだけ言ってくれて構いませんが……」

「悪いな。俺は数少ない友人は大切にするタイプの人間なんだ」


 ジークフリートは肩を竦める。


「だが、どうするんだ? その噂。その内本人の耳にも入るんじゃないのか?」

「そうですね。事実ではありませんし、放っておいても良さそうなものではありますが、エレナが悲しむ姿は見たくありません。何か策を考えてみるつもりです」

「過保護だな」


 今度はライナスが肩を竦める番だ。ライナス自身、過保護なのはよく分かっていた。それでも守らなくてならないような危うさをエレナは持っている。


「エレナが泣くのを見たくないだけです」

「それを過保護だと言うんだ。もう少しは彼女に任せてみたらどうだ?」


 ライナスが反論を返す前に、ジークフリートは眉をひそめ扉に視線を向けた。


「なんだ、やけに外が騒がしいな」


 たしかに、扉の向こう側からは大きな声が響く。なんと言っているかはわからないが、女性の高い声だ。


「見てきましょうか」


 扉を小さく開いただけで、大きな声が飛び込んできた。


「お待ちください! 確認して参りますので!」

「いいえ! その時間すら惜しいのです!」


 ライナスはその声に聞き覚えがあった。――ケリーだ。以前あった時は落ち着いた話し方をしていたが、今日はいつもとは随分と違う。ただならぬ様子だ。


 侍女はどうにかこうにか押さえ込んでいるようだが、それも長くは続かないだろう。


「待ちなさい。私が話を聞きましょう」


 声をかけると、あっさりと侍女は身を引いた。ケリーはライナスの姿を見つけると飛びつくように駆け寄る。


 落ち着くようにと声をかける前にケリーが叫んだ。


「助けてください! お嬢様がっ!」

「エレナに何かあったのですか?!」

「お嬢様が……何者かに連れて行かれたのです……追いかけようと思ったのですが、私一人では助けることは叶いません。どうか……」


 ケリーは肩を震わせると泣き崩れてしまった。未だ状況が飲み込めないライナスは、彼女の肩を支えながら眉根を寄せる。


 エレナの一大事であることは確かだが、情報が足りなさすぎた。


「二人とも落ち着け。お前達が慌てれば慌てるほど、エレナ嬢の状況は悪くなる。ライナス、まずは彼女をソファーに座らせてやれ」


 ジークフリートの一喝は、ライナスを正気にさせるには十分だった。ケリーも少しばかり落ち着いたようで、ソファーに座る頃には状況をしっかりと説明できるまでになっていた。


 ケリーが言うには、侯爵家のお茶会に参加したエレナは会の中盤で何者かに馬車で連れ去られたということだった。たまたま使用人控え室の窓から屋敷の裏が僅かに見えたらしい。そこで、エレナが馬車に乗せられるのが見えたのだと言う。


 慌てて追いかけたが、既に馬車の姿は小さくなっていた。代わりに道にはサファイアの粒が落ちていたのだという。


 ケリーはライナスの手に、サファイアを一粒置いた。


「お嬢様が道しるべにこれを置いたのだと思います」

「これは、私が以前贈った物ですね」

「はい。本日首元を飾っておりました」


 ケリーの眉尻が下がる。そして、悔しそうに唇を噛み締めた。その様子から、エレナを助けられなかったことへの悔しさが伝わる。


「良いですか、ケリー。まず屋敷に戻りなさい。そして、同じことをケイトさんにも伝えてください」

「わかりました……。他に! 他にできることはありませんか?」

「今はありません。あなたはこの部屋にまっすぐ向かって来たのでしょう。それだけでも十分です。安心しなさい。エレナは私が助けます」

「はい……よろしくお願いします」


 ケリーはしっかりと頭を下げると、すぐに部屋を出て行った。ケイトの元へと向かったのだろう。


 部屋の中に静寂が訪れる。


 ライナスは、今回エレナを連れて行ったのは、状況から考えて十中八九、南の悪魔をこの国に持ち込んだ関係者であると踏んでいた。


 ジークフリートも同じなのだろう。腕を組みなから、むずかしい顔をしている。


 急がなければ、エレナが危ない。


 ライナスは奥歯を噛みしめると、立ち上がった。


 ジークフリートは自身の席に戻り筆を持つ。こんな時にと眉を寄せるが、彼は変わらず真剣な表情でサラサラと短い文を書いていった。


「ライナス、の私兵を使うことを許そう」

「……感謝します」

「それと――私の代わりにこれを持っていけ」


 ジークフリートは席の近くに無造作に置かれた剣を手に取ると、ライナスの元へ放り投げる。それは王族が持つことを許される国宝物の剣だった。


「大将が丸腰では格好がつかないだろう?」


 ジークフリートがニヤリと笑う。その笑みはいつもと変わらない。ライナスのざわつく心臓を落ち着かせるのには十分だった。


「荒事は嫌いなのですが、今回はお借りします」

「ああ、荒事は私の方が得意だな。共に行けないことが残念だ」

「あなたがいると厄介ごとに面倒が増えるので、願われてもこちらからお断りしますよ」

「寂しいくせに?」

「その減らず口なら、残りの山は一人で処理できますね?」


 ライナスは机の上に山となっている書類に目をやった。


「おい! それとこれとは話が別だろう! ライナスッ!」


 ジークフリートの叫び声を背中に受けながら、ライナスは執務室を出た。そして、真っ直ぐにエレナの元へと走った。

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