第2話

「エレナ様……! ああ! 良かった。お会いしたかったの」


 マノンは顔を綻ばせる。気づけば壊れたネックレスを強く握っていた。


 なぜそんな顔をできるのだろうか? 同じ人を好きなんだよね……? それとも、私はライバルにすら見られていないのかしら。もしかしたら、ライナス様に婚約破棄の旨を聞いているのかもしれない。


「……ごきげんよう」

「今日、お茶会にいらしていると聞いて会いにきましたの。もうお茶会は終わってしまったのかしら?」

「いえ、まだ途中です。私は先に帰ろうかと思いまして」


 私が悪役令嬢になったわけは分からないままだけど、このままいても埒があかないのは明白だし。逃げるが勝ちなんて言葉がこの世にあるくらいだから、きっと悪いことではない。


 それにしても会うごとに親しげに話しかける人だな。距離感が掴めなくてとても怖い。


「まぁ……誤解は解けました?」

「いえ。そう簡単には難しそうなので、ゆっくり解いていこうと思います」


 マノンは残念そうに眉尻を下げる。


「でしたら、新しいお友達を紹介させていただけませんか?」

「新しい友達……ですか?」

「ええ、近くでいつもパーティをしているんです。この前のお詫びに招待させてくださいませ」


 マノンが優しげに笑った。なぜ、彼女は私にこんなにも親身になってくれるのだろうか。私だったら好きな人の婚約者に優しくするなんてできないかも……。ライナス様はそんなところに惹かれたのかもしれない。これが私にはない、強さなのかも。


「ありがとうございます。今度ぜひ」

「あら、今度なんて言わないで、これから行きましょう? みんなエレナ様を歓迎してくれるわ」

「でも……。突然押しかけたらご迷惑でしょう?」


 それに、夕刻にはライナス様が来るのだ。私はきちんと彼の言葉を聞かなければならない。


「そんなことないわ。きっとみんな喜びます。ね?」


 あまりにも押しが強くて、思わず頷いてしまった。こういう時断れない私はとても弱いと思う。


「では……少しだけ……」


 ご挨拶だけして帰ろう。それなら夕刻には間に合う筈だ。それに、少しだけ、マノンの強さの秘訣を知りたいと思った。一緒にいるのは辛いけど、ライナス様がこの人を好きになった理由が知れるんじゃないか。


 マノンの唇がゆっくら弧を描く。


「さあ、こちらに来て」


 彼女の後をついていくと、ちょうど屋敷の裏側だった。こんなところでパーティをやっているの? 怪しくない? さすがに引きこもりの私だってこれがどんなに怪しいか分かるよ。


 例えばマノンが人身売買に加担していたりしたら……? さすがにそれは小説の読みすぎかな。なんといっても彼女は侯爵家に縁のある人なわけだし。


 裏口には馬車が一台止まっているだけ。多分、使用人が大きな買い物をするときに使うような帆馬車だ。馬車の側ではあまり清楚とは言えない御者が暇を潰していた。


 まさか……これに乗るの?


「どこに行くのでしょうか? 屋敷から離れるなら侍女に伝えたいのですが……」

「大丈夫。すぐそこなんですよ。でも、歩くのは大変ですから、ね?」

「それなら、我が家の馬車を用意しましょうか?」

「それだと目立ってしまいますわ」

「目立ってはいけないのかしら?」

「ええ、これからご案内するのは、選ばし者しか参加できないパーティですから」


 マノンが満面の笑みを浮かべた。


 怪しい……。選ばれし者で私が選ばれた時点で怪しいよ。ただの引きこもりだよ? しかも絶賛婚約破棄寸前のギリギリ状態だよ? 明日から枕を濡らすだけの生活が始まるような私が選ばれし者?


 それは……ないない。ぜーったいないって。さすがに胡散臭いよね。たしかに侯爵家の縁の者とはいえ……。


 あれ? 秘密のパーティってもしかして、お兄様とライナス様が探してた蛇の巣のことだったりするのかな? 蛇……はナンシーの家のことだとして、巣は屋敷かなって思ったけど、屋敷だったら探す必要ないもの。例えば今行こうとしている場所が巣だったりするのだろうか。


 もしかしたら、ライナス様はこの巣を探すためにマノンに近づいた……なんて考えは都合が良すぎるよね。


 でも、もしも彼が探しているのが今から案内される場所なら、最後に少しは役に立てるだろうか。


「エレナ様? どうなされたのですか?」

「あ、ごめんなさい。帰りが遅くなると家の者が心配するなと悩んでいたのです。でも、少しだけなら……」

「まぁ! 嬉しいです。さあ、こちらに乗って」


 初めて乗る帆馬車に四苦八苦する。しかも、ライナス様から貰ったドレスが汚れてしまった。ケリーにお願いしてできるだけ綺麗にしてもらおう。


 マノンは、ボロボロの麻布でできたマントを頭から被ると御者の隣に腰を下ろす。


 どれくらい走るかわからないよね……。すぐ近くとは言っていたけど、本当かどうかも怪しい。危なさそうなら走って逃げよう。そうなると、逃げて戻ってくるときに何か目印が欲しいな。


 あ……。


 私は手の中にあるサファイアを凝視した。


「それでは参りますわね」


 マノンの声と共に馬車はゆっくりと出発した。


 ええい……! ライナス様、ごめんなさい!


 私はサファイアの一粒を外に放り投げる。きっと、帰る時道しるべになってくれる筈だ。帰りながら拾おう。手の中から減っていくサファイアに何度も謝罪の言葉を唱えながら、私はそっと放り投げる。


 目的地に着いた頃には手元にサファイアは殆ど残っていなかった。

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