第12話
「お嬢様、本当にこちらのドレスでよろしいのですか?」
「うん、こっちが良いの」
「しかし、そちらの方が……」
「ううん、こっちの気分だから。ね?」
最初にケリーが用意したドレスはすぐにベッドに放り投げた。だって、ライナス様が贈ってくれたものたったから。お気に入りのドレスだと、彼女も知っているし、これから会う相手がライナス様だと知っているからだろう。
これから婚約破棄されるのに、贈ってもらったドレスを着て行くなんてできない。もしも私がずっと強かったら、「手切れ金がわりに貰っておくわね」くらい言えたかもしれないけどね。
ケリーが用意した装飾品も全部断った。全部ライナス様の贈り物なんだもん。
私は二つのネックレスを睨む。サファイアがキラキラ光って眩しい。この二つは彼から預かった大切な物だ。これはちゃんとお返ししないといけない。
もう、一生サファイアを手に取ることはないだろうな。彼の優しい瞳を思い出すから。
「ケリー、これは箱に入れて」
「お付けにならないのですか?」
「うん。……今日は、お父様に買ってもらったルビーがあったでしょ? あれにしようかな」
「お気に入りでしたのに?」
「サファイアってちょっと大人っぽいイメージがあるでしょ? ちょっと背伸びしてるなって思ってたの。だから、ね?」
私は無理にルビーのネックレスを手に取ると、自らつけた。
「お似合いだと思いますのに」
ケリーが眉尻を下げる。それでも私は、ライナス様から貰った物を何一つ身につけずに部屋を出た。ケリーが一緒に行くと言うのを制して一人で来たのは、彼女が側にいるとすぐに逃げ出してしまうような気がしたからだ。
最後の力を振り絞って応接間の前にたどり着く。扉の前で右往左往したのは言うまでもない。
やっぱり、今度にしようかな。もう、この際、手紙とかでも良いんじゃないかしら。手紙だとして、なんて書いたら良いの? 「どうぞ婚約破棄してください」とか? さすがにそれは無理そうだ。絶対みんなに怒られるもん。
そっか、婚約破棄って私だけの問題じゃないよね。私、ノーベン家に迷惑かけちゃうんだ。今夜謝らないと。
この扉を開けてしまったら、もう後には引けないのだ。考えること数分。いや、もしかしたら十数分……ううん、数十分は過ぎたかもしれない。
意を決した私は、勢いよく扉を開ける……ではなく、そっとほんの少しの隙間を開けた。扉が音を鳴らす直前で手を止める。これにはコツがいるのよ。お父様の執務室と同じなの。
中の様子を見て、それからよ。お兄様とライナス様の話しが中途半端だったりしたら、迷惑掛かっちゃうかもしれない。
私は息を殺して、中の様子を確かめた。
「――今日は……難しそうですね」
ライナス様のため息が響く。
もしかして、既にあまりよろしくないタイミングかもしれない?
「悪いね、ライナス。無理に連れて来ることもできるんだけどさ」
「いえ……。エレナの部屋の前で……扉越しにでも話せませんか?」
私、このままだと扉越しに婚約破棄されちゃうの? 顔を見なくて良いなら、その方が良いかな……。
だけど、お兄様がすかさず制す。
「顔を見てきちんと話した方がお互いの為だと思うけどね」
「そう……ですね」
どうしよう。とっても部屋に入りにくい雰囲気だ。重々しいという言葉がよく似合う。ライナス様は優しいから、これから振る私のことを気にかけてくれているのだろうか。彼が冷徹な男で、手紙一つで婚約破棄をするような人だったら良かったのに。そうしたら、貰った物全部送り返して、何もなかったことにするのにな。
そんな人じゃないから好きになったんだけど、今はそれが辛い。
胸がチクリと痛む。
やっぱり今日は無理かも。お父様、お母様。うじうじ虫になっても良いですか?
一人感傷に浸っている間も、二人の会話は続いた。
「こんなことなら、全てケイトさんに任せれば良かったです」
「まぁね」
何の話だろう? 婚約のことと何か関係があるのかな。
「まさか、蛇の巣穴を探していたら別の蛇に噛まれるとは思ってもみませんでした」
「当分、蛇の巣穴探索は私に任せて、ライナスはちゃんとエレナと話すと良いよ」
蛇の巣穴? 二人は蛇退治でもしているのかしら? なんで? 市井では蛇の被害が出ているのかな? にしたって、二人が対応するような話ではないと思う。
それより、ライナス様は蛇に噛まれたって言っていたわ。怪我してるように見えなかったけど、大丈夫なのかしら。
ううん、気にする必要ないじゃない。もう婚約者じゃなくなるんだから。彼の怪我なんて、知らないで良いのよ。
「今日はそろそろ帰ります。また明日、夕刻頃にお邪魔してもよろしいですか?」
「勿論。どうにかエレナを出しておくよ」
二人が立ち上がる音が耳に入って思考を戻された。まずいわ。このままじゃ話を聞いていたのがバレちゃう!
二人は立ち話しをしているようで、歩く音は聞こえなかった。その間に、そっと扉を締めて、一目散に自室を目指す。
逃げるように部屋に入ると、驚いた顔のケリーと目があった。
「おかえりなさいませ。いかがでした?」
ああ……! 結局、何もできなかった……!
息が上がる。肩で息をしていると、ケリーが優しく撫でてくれた。
「えっと……もう帰っちゃったみたい」
「まぁ……。それは残念でしたね」
「そうね」
少しだけ長く、彼の婚約者でいられる。それが嬉しい。明日来るって言ってたから、明日までの運命だけど。
そんなこと言ったら、ケリーの眉が下がっちゃうから言わない。彼女まで悲しくなる必要はないのだから。
「そう言えば、お茶会のお誘い来てるんだっけ」
テーブルに置かれた招待状を取ると、すぐさま裏を見た。ナンシーのお家からの招待状だ。マノンが昨日ナンシーにお願いしてくれるって言ってたっけ。この紋章には憶えがある。蛇のデザインだと前に聞いたことがあった。
……あれ? 蛇?
蛇って、もしかしてこの蛇のことだろうか。あの野山にいる蛇のことを二人が話しているよりもしっくりくる。
巣ってことはナンシーの屋敷? でも、侯爵家の屋敷は誰でも知っているよね。屋敷の話ではないのかも。
私は急いで手紙を開いた。勿論『蛇の巣』の答えが載っているわけもなく、手紙は良くある招待状だ。
「まあ、明日。急でございますね。さすがに準備が難しいのでお断りいたしましょうか?」
「明日かぁ……」
お茶会はお昼頃から行われる。ライナス様は明日の夕刻来るって言ってたから、時間的にはちょうど良いかもしれない。
つまり、彼の婚約者でいられる最後の日なわけだよね。明日が終わったら、公爵家から婚約破棄された可哀想な女として語り継がれて外も歩けなくなるだろうか。
どうせ捨てられるなら、明日くらい悪役令嬢ごっこしてもいいかな。蛇の巣もきになるし。その後当分部屋でうじうじ虫になるの。頑張ったご褒美は必要だもの。
「ねぇ、ケリー。明日行くわ」
「まぁ……大丈夫ですか?」
「うん。それと、明日はあっちのドレスを着るから準備しておいて欲しいの」
私に似合うと言ってくれた贈り物のドレス。
「わかりました。ネックレスはどちらになさいますか?」
「こっちの最近頂いた方にする。ケリー、明日はうんっとお洒落をしたいの。手伝ってね」
「勿論でございます。楽しみですね」
ケリーがにこりと笑った。
ライナス様。もう、あなたの隣には並べないけど、明日だけは婚約者の顔をして歩くことを許してください。
私は小さなサファイアが無数に輝くネックレスを撫でた。
三章 完
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