第7話

 どうやら私は、あの憧れの『悪役令嬢』になれたらしい。


 でもね、神様。そうじゃないの。そういう意味じゃないのよ。きっと勘違いしちゃったのね。私は強くてかっこいい女性になりたかったわけであって、悪役になりたかったわけではないの。


 今、見ただろうか。ちょっとよそ見をしていた子が私にぶつかったのだ。その子は私を見た途端、怯えたの。まるでそれは狼を前にした子羊のよう。あまりにもあからさまだったからか、あの女の子に優しいお兄様がやや引き気味だった。


 普段なら、「大丈夫? うちの妹が怪力でごめんね」くらいの言葉をかけるんだけど、それすらも忘れて私を見るんだもの。


 私は何も知らないし、何もしていないよ!


「エレナ、どこのお茶会で暴れたんだ? 暴れるのは家だけにしろとあれほど言っておいたのに……」

「暴れてないよ! あと、私をいつも暴れてるみたいに言わないで!」


 お兄様は大袈裟にこめかみを押さえる。まるで私がいつも家で大暴れしているみたいだ。誤解されちゃうじゃない。


 家でだっておとなしいもん。時々走ってお母様に叱られるけど、それくらいだと思う。


 それにしても、今の怯え方は異常だ。ぶつかったのに、謝罪の一言もないのはこの際置いておいても、私に怯える要素なんてあるかしら?


 うっすらとガラスにうつった自身を凝視する。別に、怖い顔をしているとは思えないし、背だってさっきの子の方が若干高かったように思う。


「次は一人で睨めっこか?」

「ねえ、お兄様。私、怖い?」

「ああ、怖いよ。怒らせたら三日は口を聞いてくれないからね」


 冗談めかして言うのは、気を使っているのだろうか。それとも本当にそう思っているのか。前者だと思いたいけど、後者だと確信している。


 そんなこと言うと三日くらい口聞いてあげないんだから。でも、今はそんなこと言ってられない。


「そうじゃなくて、ぶつかっただけで食べられちゃいそうなくらい怖い?」

「ああ、さっきの子羊ちゃんね」


 お兄様は納得顔で頷いた。どうやら、彼にも怯えた子羊に見えたらしい。彼は私のことをじっくりと凝視する。品定めするような視線はあまり好きではないけど、仕方ない。


「エレナ。残念だが、お前に恐怖を覚えるような要素はどこにもない。諦めなさい」

「あのね、別に怖がって貰いたいわけじゃないのよ」


 真面目な顔で言っているけど、答えがちょっとずれている。もしかして、この前の「悪役令嬢に憧れている」って話を真に受けているのだろうか。神様もお兄様もとんだ勘違いをしている。


 お兄様はあまり気にする様子もなく、「エレナの顔を見て怖がる人がこの世に存在すると思わなかったよ」と笑った。彼にしてみれば他人事だけど、こっちは自分に降りかかっているのだ。「そうね~あはは~」って笑えないよ。


 これは本気で原因を突き止めないと、本当に悪役令嬢みたいになっちゃうかも。でも、これを解決できたら、ライナス様も少しは私のこと女性として見てくれるだろうか。


 そうだ。これはチャンスだと言っても良いのではないだろうか。あの王太子妃のように解決すれば、私のことを見る目が変わるのでは?


『惚れ直したよ。エレナ』とか言って、甘い眼差して私を見下ろしてくれるだろうか。あれ? まだ惚れて貰ったことは無いから「惚れ直した」は間違いかな。


 もしも、一人で上手く解決することができたら、小説みたいにあんな展開やこんな展開もあるかもしれない……?


 そういえば、今日ライナス様が来るってお兄様が言っていた。


「そうだ、お兄様。ライナス様が来るって本当っ?」

「……お前は本当に唐突だなぁ。今日は公爵の代理だとか言ってたかな?」

「そうなんだ。一人で参加することもあるのね」


 ちょっとだけ、誘って貰えなかったことが寂しいと思ってしまった。彼の隣に当たり前に立つことはまだできないらしい。


 まだ婚約者だし、毎回婚約者を同伴しなきゃいけないなんてルールはないから仕方ないんだけど。


「今日は遅れるから、誘わなかっただけじゃないか? 来たら聞いてみると良いよ」


 本当に? 本当は子供のお守りは面倒だなんて思っていない?


「エレナ、笑顔笑顔」


 今、全然笑えていなかったようだ。お兄様はそれを指摘したかったのだろう。私は無理矢理両手で頬を押し上げた。笑顔、笑顔。ライナス様に会う時は笑顔で会いたいもの。


「今日、エレナを連れて来ることは秘密にしているからね。あっと驚かそう」


 お兄様は相変わらず他人事で楽しそうに笑っている。こういう時の彼は何と言うか子供っぽい。本当にライナス様より年上なのだろうか。


 どちらかというとライナス様の方がずっと落ち着いて見えると思う。


 それから、お兄様に連れられて会場内を歩いた。声を掛けてくる人はお兄様目当てで、私は添え物みたいなものだ。みんな、彼の帰国を祝っていた。ただ勉強が嫌になって帰ってきただけなのにね。


 興味があるのは隣国のことのようだ。最近王太子妃の噂で持ちきりだったから、わからなくもない。お兄様は隣国で見たきたことを楽し気に話す。彼の話は上手で、みんな真剣に聞いていた。同じ兄妹なのにどうしてこうも違うのか。彼の話術の一割でも貰えていれば、こんなことにはならなかったと思うのだ。


「と、いうわけで、隣国はまだ忙しない感じだったかな。……ん? ああ、ライナスが来たようだ」


 お兄様が言うやいなや、会場の扉が開かれた。一斉に視線がそこに向く。私も、久しぶりにライナス様の顔を見ることができるとあって、不安な気持ち半分、期待半分だ。


 でも、そんな期待も不安も全部塗り替えるような光景が目の前に広がった。


「まぁ……ライナス様のお隣のお嬢様、誰かしら? 見ない顔だわ」

「あら、婚約者ってあんな顔だった?」


 近くにいた二人の女性の声が私の耳を通る。その言葉の意味を理解することはできなかった。


 もしも、この世に神様がいるならとっても意地悪だ。私は別に「悪役」になりたかったわけではない。「悪役令嬢」のようになりたい。そんな願いを間違って叶えるほど暇なのに、私の恋路の邪魔をする。


 ライナス様の隣で歩く女性が見せつけるように、彼にしなだれかかった。


 私はどうして良いか分からなくて、必死に胸元のネックレスを握りしめるしかない。

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