第4話

「それでね。ナンシー様は大丈夫だったのよ。でも、他の人はなーんか微妙な顔をして私から逃げるの」

「まぁ。それは何だか不思議ですわね」


 お母様の代わりに行った夜会の数日後、私はようやくケリーと一緒にお茶会をする。今日は風が強いからという理由でサロンに美味しいクッキーやケーキと紅茶を用意した。


 体調を崩したお母様はどうやら流行りの風邪だったようで、今はお部屋で休養を取っている。


 私は夜会であったことを事細かくケリーに話した。やっぱりおかしいと思うの。挨拶をしただけで逃げられるなんて。それに、未だお茶会の誘いは来ていない。


「何か嫌われるようなこと、しちゃったかな」


 お茶会で大失敗をした記憶はなかったんだけど、何か無作法をした可能性だって有り得る。


「きっと、何か事情があるのでしょう。少し様子をみてはいかがでしょうか? それに明日はキャロル様とメリア様とお会いになるのですから。それとなく聞いてみてはいかがでしょうか?」

「そうね、二人なら知っているかも」


 明日は私の屋敷で三人で会う約束をしている。その時に聞くという案に私は同意した。ここで悩んでもあまり意味は無いしね。ちょっと不安ではあるけれど、二人に話を聞くまでは落ち着いていよう。


「最近のお嬢様は随分と積極的になられたと奥様は喜んでおいでですよ」

「そうかな?」

「はい。お茶会に積極的に参加されるようになりましたし。やはり、社交は必要不可欠ですから」

「ありがとう。まだあの『悪役令嬢』って言われた王太子妃には程遠いけどね」


 私は肩を竦める。今はまだ、策もなく手あたり次第お茶会に出ているような状態だ。彼の理想の女性像とは程遠い気がしている。『かっこいい』探しは難攻していた。思えば、『かっこいい』って曖昧な定義なのだ。


 ケリーが困ったように眉尻を下げる。この表情も定番となってしまった。彼女が何かを言おうと口を開けた時だった。それを阻止するように部屋の扉が大きく開かれる。


「なーにが程遠いって?」


 扉を開いた人物に私もケリーも大きく目を見開く。嫌味な程にスラリと長い足。栗色の髪の毛は私と変わらない。少し垂れた目を細めて彼は笑った。


「お兄様っ?!」


 思わず立ち上がると、膝がテーブルに当たってティーカップの中の紅茶が慌ただしく揺らめく。


 何度目を瞬かせても目の前にいるのはお兄様だった。扉の近くに立ったまま壁に上半身を預けた兄の顔は、少しだけ疲れているように見える。私は無遠慮に近づくと、足元からゆっくりと見上げる。


「本当にお兄様……?」


 確か、お兄様は隣国に遊び――遊学中の身。お父様がそろそろ帰って来ると言っていたけど、まだ数日しか経っていない。さすがに準備とかあるだろうし、馬車で返ってくるとなると時間がかかる。


 もしかして……偽物?


 背伸びをしてお兄様の頬を引っ張る。皮膚が伸びただけで剥がれはしなかった。


 では、本物?


「エレナ。私に化けられるような長い足を持つ男がそう簡単に見つかると思うかい?」

「……ええ、そうね。そんな自信満々に足の長さを自慢する人が世界に二人といる訳がないわ」


 同じ母親から生まれてきたとは思えないほど、お兄様は長身でそして足が長い。


「妹よ。まず言うことがあるだろう?」


 言うこと……?


 私は首を傾げた。


「お前の大好きなお兄様が半年ぶりに帰って来たんだよ?」


 あ、そっか。帰ってきたお兄様に言うことといえば……!


「お兄様! お土産は何かしら?」


 期待を込めた目で見上げると、お兄様は突然床に崩れ落ちた。


「それが疲れて帰ってきた兄に言うことかな? 労いの一つもあって良いとは思わないか?」

「半年でお勉強が嫌になって逃げてきたんでしょう? 労いなんて必要ないと思うわ」


 崩れ落ちたお兄様を追って、私はしゃがむ。私と同じで癖のある髪が揺れた。


「あのなぁ……。良いか、エレナ。疲れて帰ってきたら、まずは『おかえりなさい』だ。それを言ってくれないとエレナの大好きなお兄様は、エレナへのお土産を間違えて他の人にあげてしまうかもしれない」

「それは困るわ! おかえりなさい。お兄様」

「……素直で宜しい」

 お兄様は私の頭を乱暴に撫でると、立ち上がった。私の手を引いて、一緒に席へと腰を下ろす。ケリーは慌てて席を立ったけれど、お兄様が「私が邪魔をしたんだから気にせずそのままで」と言ったことにより、私達の向いに変わらず座っていた。


「勿論、ケリーにも土産があるから楽しみにしていて」

「私のことなど……」

「そう言うと思ったから、家のみんなに用意した。それなら受け取ってくれるだろ?」

「それでしたら……」


 ケリーは申し訳ないと言うが如く眉尻を下げた。いつもお兄様はケリーにお土産を用意しては「特別扱いは駄目だから」という理由で断れられてしまうのだ。いつの間にか、家の使用人達にお土産を用意することで無理に手渡すようになった。


 お兄様の用意するお土産って女性が喜ぶようなものばかりだから、侍女達は今頃大はしゃぎだろうなぁ。


「で、『悪役令嬢』とか話をしていなかったか?」

「もしかして、お兄様盗み聞きしてたのっ?!」

「違う違う。たまたまだって。悪役令嬢がなんたら~って聞こえたからさ。『悪役令嬢』といえばあのお隣の王太子妃のことだろ?」


 お兄様は肩を抱くと、私の顔を覗き込んだ。察しの良い彼には絶対にバレてはいけないのだ。一つ知られるとあっという間に全部バレてしまう。


 何度、お兄様に大切な秘密がバレてしまったことか。お兄様とライナス様は仲が良いから、あれよあれよという間に伝わってしまう。それは絶対にまずい!


「お嬢様は先日、劇を見に行かれたのです。その『悪役令嬢』様を大層お気にめしたのでございます」


 何と言っていいか分からず、お兄様を見つめているだけの私の代わりにケリーが答えた。私だったら変なことを言って根ほり葉ほり聞かれてしまう所だっだ。彼女に感謝しつつ、何度も頷くことで同意を示した。


「ああ、あれね」


 お兄様は納得顔で頷く。まるで見たかのようだ。今までこの国にいなかったくせに。知ったかぶっちゃって。


「お兄様は見たことがないでしょ」

「……まあね。でも、現地で噂だけは聞いているからね。エレナはああいう話が好きなのかな? 随分趣味が変わったなぁ。前は甘々の口から砂糖が出てくるような恋愛小説ばかりだっただろ?」


 お兄様が私の蔵書を勝手に読んでいたのは知っていた。その内容を思い出したのか眉根に皺を寄せる。


 そんな顔をするなら読まなきゃいいのに。


「最近は色々読むようになったの。大人になったんだから!」


 キャロルに借りたりとか、借りたりとか、借りたりとかしている。昨日だって、ドロドロの宮廷ものを……。実際には今まで読んでいた本の方がお気に入りだということは秘密にしておこうと思う。


「はいはい。大人ね。こんな落ち着きのない大人がいたらたまんないな」

「お兄様、うるさい。お母様にご挨拶した?」

「今は寝てるって聞いたから、可愛い妹に挨拶しようと思ったんだよ」


 お兄様が乱暴に私の頭を撫でる。お父様ともライナス様とも違う手つきだ。撫でられる人のことを気にしない無遠慮な手。嫌いではないけど、出かける前にやられると悲惨なことになる。


「そういえば、最近はライナスに迷惑かけてないか?」

「全然。だって私、もう大人だもん」

「大人は自分のこと大人っていわないけどな。仲良くやってるなら、問題ないさ」


 兄らしいことを言うなと思っていると、何度か頭をポンポンと叩く。そして、テーブルに置かれたクッキーをひょいと口に入れると、何事もなかったかのように部屋を出て行ってしまった。


「嵐のようでございましたね」


 ケリーは眉尻を下げて笑った。


「本当。びっくりしたぁ……さっきはありがとう。助かったわ」

「お役に立てて光栄です。さあ、お話しの続きを致しましょうか」

「ええ、そうね。……なんの話しだったっけ? お兄様のせいで全部忘れちゃった」


 文句を言う相手はもうこの部屋にはいない。代わりに、クッキーを口に入れて力いっぱい噛み砕いたのだ。



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