第三章
第1話
招待状がピタリと止んだ。びっくりするくらい突然で、不安になったことは言うまでもない。
「少しゆっくりすることができて良かったではありませんか」
そんな風に言ってくれるのはケリーだけだ。
「でも、もっと沢山色々見てみたいのに……」
「お嬢様は勉強熱心でいらっしゃいますね」
「なんかね、『かっこいい』が見えてきそうなの。見えないことには始まらないじゃない?」
「まぁ。そういう時こそ休息が必要なのではありませんか?」
「そうかな……」
「そうですとも。ゆっくりお休みくださいませ」
元来、引きこもり気味だった私にとって、予定のない日というのは当たり前の日常だった筈なのに、何も予定がないと言われてそわそわする日がこようとは思いもよらなかった。
今では予定がないとか、悪いことをしている気分になる。
「そんなにお暇なのが嫌ですか?」
「ううん、なんかもどかしさを感じるというか……」
「では、私とお茶会をしてくださいませ。お嬢様が外に出るようになられて、美味しいクッキーを食べる機会を失ってしまいましたの」
そういえば、私がお茶会に出るようになって、ケリーとゆっくり話をする時間はぐんっと減った。私にしてみればお茶をする機会が増えて、お腹タプタプだしもう良いかな。って思えるくらいだけど、ケリーは私と一緒じゃないとケーキも紅茶も楽しめない。
「ごめんね、ケリー……私、気づかなかった」
思わず抱きしめてしまう。大人の女性としてはどうなの? と言われそうだけど、こういう時は子供っぽいとか大人っぽいとか考えることの方が馬鹿らしいと思うのだ。
それに今はケリーと二人きりだし、叱る人もいないのだから大丈夫。こんなことお母様の前でやったらどうなることか……。
「いえ、私はお嬢様が外に出られるようになって嬉しいのです。けれど、今まで独占しておりましたから、少し寂しい気持ちもございます。ですから、こういうお暇な時だけ私とお茶会をして欲しいなと我儘を申してしまいました」
「全然! 我儘じゃないわ! とっても嬉しい。沢山お話ししよう。ケリーとお喋りするの好きだもの」
「ありがとうがとうございます」
久しぶりに美味しい紅茶を飲むことができそう。最近口にしたものは味のわからないものばかりだった気がする。「これはどこどこ産の紅茶で〜」と説明を受けるけど、どれもこれも美味しいとは感じなかった。
その後始まる噂話と紅茶やお菓子は、あまり相性が良くないと思う。もっと楽しい話して美味しいお菓子を食べて幸せになりたい。
どこでお茶会をしようかな。部屋ではなんか味気ない。今日は天気が良いから庭に出ても良いかもしれない。今の時期は花が沢山咲いていて楽しい気分になれるから。
サロンも今の時間は気持ちがいいかも。悩んでしまう。
「ねえ、ケリー屋敷の中を散歩しながらお茶をする場所を決めましょう!」
「はい。一番良い場所でお茶を頂きましょうか」
サロンでお父様とお母様の姿を見かけたのは、
ケリーと一緒に部屋を出て、屋敷の中をぐるりと廻っているときだった。
「無理はいけないよ」
「いいえ、このくらい大丈夫よ」
あまり良くない雰囲気だったので、そっと忍び足で近づいて遠くから覗いてしまう。たしか、今日はどこかの夜会に二人でお出掛けすると聞いている。
誰かの誕生日のお祝いだったかしら?
それが本当なら、そろそろ準備を始めないと遅れてしまうのではないかしら。
「今日行かないのはさすがにまずいでしょう?」
「大したことはない。私が一人で行こう」
話ぶりからすると、やっぱり二人は夜会の予定らしい。お母様の体調が悪いみたいだ。ただ、無理をして行こうとしているのも分かった。
具合が悪いのに、無理して行かなければならないほどの場所なのだろうか。お父様一人では駄目なの?
お母様には休んで欲しい。無理をして倒れてしまっては元も子もないもの。どうしても二人でいかなければならないというのなら、代わりに私が行ってはいけないだろうか? 私ではお母様の代わりにならないかな?
ちらりとケリーを見ると、微笑んだまま頷いた。多分私の考えていることが分かったのだと思う。
私はケリーの元から離れると、二人のところへと駆けた。
「お父様、お母様。私が代わりでは駄目?」
「エレナ? 今日は出かけてなかったのね」
「うん、お母様。大丈夫? とても顔色が悪いわ。無理は駄目だと思う」
「エレナの言う通りだ。君は眠っていなさい。……そうだね。夜会はエレナに出てもらおう」
「でも……」
「お母様、私ももう子供じゃないのよ。大丈夫」
お母様の代わりにしては頼りないけど、面子を保つくらいはできる筈だ。
お父様と私の説得の甲斐あって、お母様は渋々頷いてくれた。侍女の話によると、眠るまで随分と渋っていたらしい。
ケリーとはまた別日にお茶会をする約束をした。私の気持ちを汲んでくれた彼女に感謝しかない。二人でお茶をするときにはうんと美味しいお菓子を用意してもらおうと思う。
今のところ招待状もないし、明日でも明後日でも毎日でもできるのだし。
お父様と二人で馬車に揺れる。
「エレナをエスコートするのは久しぶりだね」
「お父様ったら、あまり夜会に連れて行ってくれないもの」
「エレナにはライナス君がいるからね。あまり連れまわすと彼が可哀想だ」
最近夜会といえばライナス様とばかりだった。まさかお父様が彼に気を使っていたとは知らなかったわ。
「今日はどうして無理にでも行かなければならないの?」
「大人には色々あるんだよ」
「大人の事情?」
「そんなところかな」
「じゃあ、私は大人しくしていれば良いの?」
「ああ、エレナは美味しい物でも食べていれば良いよ」
「そっか。それなら私にもできるわ」
難しい役割があると大変だもの。ただ参加して美味しい物を食べているくらいなら大丈夫。
「そういえば、そろそろケイトが帰ってくる」
「えっ?! お兄様ったらお勉強が嫌になったの?」
お兄様が隣国に遊学に行ったのは半年前のことだ。たしか、隣国の王太子が御成婚した辺りだった気がする。
半年で帰ってくるなんて、本当に遊びに行っただけじゃない。
「そうかもしれないねぇ」
お父様は気にした様子もなく楽しそうに笑っていた。
「これで寂しくないね?」
「お兄様がいると屋敷の中が騒がしくなるのよ。今くらいがちょうど良いと思うわ」
「素直じゃないね。半年前は凄く寂しそうにしていたじゃないか」
「あれは、いつもうるさかったのが突然静かになって落ち着かなかっただけだもん」
お兄様がいない落ち着いた我が家は悪くない。彼一人いると本当に屋敷が騒がしいのだ。
本人がというよりは、主に女の子達が。お兄様の何がいいのかわからないけど、侍女達には人気だ。彼がいた頃を思い出して大きなため息を漏らす。またあの日々が始まるのかぁ……。
「素直じゃないね。さて、そろそろ到着だ。エレナ、笑顔、笑顔」
お父様の予言通り、馬車は減速してゆっくり止まった。
私は両手で頬を押し上げて笑顔を作る。
お父様は満足そうに笑うと、私の頭をポンポンと撫でた。
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