閑話

閑話

 時は少しばかり遡る。


 それは、エレナがキャロルの屋敷に招待された日のことだ。仲の良いキャロルとメリアのお茶会ということもあって、ケリーはノーベンの屋敷にいることとなった。


 エレナの「ゆっくり休むこと」という命により、部屋にいるわけだが妙に落ち着かず、ケリーは忙しなく部屋の掃除を始めた。本当ならエレナがいない間にお茶会用に着ていくドレスの整理などしたいところなのだが、エレナはそれをよしとしない。


 ケリーはいつも忙しいから、こういう時はゆっくりして欲しいというのはエレナの言葉だ。


 実のところ、エレナの侍女は他にいて、細々としたことは全部彼女達に任せていた。実質ケリーは話し相手のようなもの。


 両親が他界し、男爵家の娘だと大きな声で言えなくなった今では、侍女としての仕事を全うしたいと思っている分、この宙ぶらりんな立ち位置に悩んでいた。


 床を磨き終えた頃、控えめに扉が叩かれた。


「ケリー、ちょっといい?」

「ええ、どうぞ」


 顔を出した少女は侍女仲間の一人だった。まだ入って一年に満たない彼女は仕事熱心で好感が持てる。


「あのね、お客様よ」

「私に?」

「うーん……ケリーにというか……」

「では、お嬢様に?」

「ええ、そうとも言うかな」


 何ともはっきりしない言い方にケリーは首を傾げた。エレナに用があり、事前に連絡なく訪れることのできる人物など一人しかいない。


「子爵様がお見えなのかしら?」

「そう、なの……お嬢様は今お出かけだと伝えたら、ケリーに話があるって」

「私に? 分かったわ」


 ケリーは頭につけていた三角巾を取る。そして自身の姿を見直した。


「着替えてすぐに行くわ。子爵様はどこか……応接間にお通ししておいて。紅茶は飲まないだろうけど、一番良いものを」

「ええ、分かった」


 少女は一つ頷くとパタパタと廊下を駆けていった。ケリーの口からは小さなため息が漏れる。









「お待たせ致しました、子爵様。エレナお嬢様は本日夕刻まで外出の予定でございます」


 急いで着替えを終えた後、ケリーはライナスの待つ応接間に現れた。彼はいつもよりも不機嫌な顔をしている。


 エレナがいないだけでこうも違うとはとケリーは思った。


「ああ、それは先程別の侍女から聞きました。君に少し聞きたいことがありましてね。よかったら掛けて頂けますか?」

「いえ、こちらで失礼致します。私は一介の侍女ですので」


 ケリーはライナスの正面に立ったまま、にこりと笑った。僅かに彼の眉が動く。


「聞きたいこととはどのようなことでございましょうか? 私にお答えできる内容でしたらよろしいのですが……」

「至極簡単な質問です」


 ライナスはテーブルに用意されたティーカップをその長い指で撫でる。エレナがいたのならば、それだけで興奮するだろうなとケリーは呆然と思った。


「エレナは今何に翻弄されているのですか? 今彼女が何をしようとしているのか教えてください」


 真っ直ぐに見据えられたサファイアの目は、エレナの言う通り美しい色をしていた。しかし、どこか探るような視線に頬を染めるような代物ではないと感じる。


 エレナの言う「優しい瞳」は彼女のみが知るのやもしれない。


「さあ……なんのことだか。分かりかねます」


 ケリーは目を細めて笑うと首を傾げた。


「とぼけないでください。エレナが相談するとしたら、あなたしか考えられない」

「私は一介の侍女でございます。そのような深刻なご相談を受けるような間柄ではございません」

「あなたのことはエレナからよく聞いています。姉のようだと。一番近くにいるのはあなたでしょう? なぜ、彼女は苦手な茶会へ行くことを決意したのですか?」


 鋭い視線は、優しさの一つも含んでいなかった。普段、ライナスと二人きりになることはない。いつもエレナに向けられた視線を外側から見るくらいであった。


 突き刺さるような視線を受けて、ケリーは足を踏みしめる。ここでたじろいでしまえば、相手の思うツボだ。


「さあ……なんのことやら。お嬢様も大人になられたのでしょう?」

「君は何かを隠していますね。エレナは何に悩んでいるのですか?」

「子爵様。全て私にお答えできる質問では無いようですわ。申し訳ございません」


 ケリーは静かに頭を下げた。


「頭を上げてください。私達で情報を共有することはできませんか?」


 ライナスの静かな言葉にケリーは頭を上げた。そして、眉尻を下げる。


「それは難しいお願いですわ」

「なぜ? 私達が情報を共有できれば、エレナの悩みを解消してあげられるかもしれません」

「私はお嬢様を裏切るつもりはございません。もしも何か知っていたとしても、私がお嬢様からお聞きした全てを口にすることはございません。例え、婚約者である子爵様であっても」

「話せばエレナにとっていい方向にいく内容であってもですか?」

「あら、そんなに気になるのでしたら、直接お嬢様にお聞きになればよろしいではありませんか。あなたがお聞きになれば、答えてくださいますわ。子爵様、どうかお嬢様から信頼のおける侍女を奪わないでくださいませ」


 深々と頭を下げたのは、これ以上何でも見えてしまいそうな瞳から逃れるためだった。それでもジリジリと感じる視線にケリーは眉根を僅かに寄せた。


「……分かりました。エレナの姉のように慕う侍女が信頼のおける人間だと分かっただけでも収穫です」


 ライナスは静かにそう言うと、これ以上用事もないと言うかの如く立ち上がった。そして、テーブルの上に木箱を置く。


「今日は帰ります。エレナに贈り物を用意してあるので、渡しておいてください」

「かしこまりました。お嬢様にお渡し致します。それにしても、子爵様とお嬢様ほどの仲でしたら、気兼ねなく聴けるものかと思っておりましたが、違うものでございますのね」


 まだ分からないことは沢山あるようだと感心していると、ライナスは肩を竦めた。


「近くにいればいるほど、嫌われるのが怖くなるものです」

「まぁ……。婚約者ですのに?」

「婚約など、なんの効力もありません。よくて周りの男を牽制する程度です。人の心はあんなものでは縛れませんから。では、お願いします」


 ライナスは背を向けると、早歩きで応接間を出ていってしまった。ケリーは静かに扉の向こうに消えていく背を見送る。扉の向こう側では、慌てた侍女の声が聞こえた。


 がらんとした応接間に一人残されたケリーは、エレナのためにと渡された木箱を手に取る。大きさからしてネックレスか何かだと想像できた。


 きっと蓋を開けた時のエレナはとても幸せそうに笑うだろう。しかし、ケリーから渡されるよりもライナスから直接貰った方がもっと顔を綻ばせると思うのだ。


 何より、ライナスが訪れた時に居なかったことに落胆してしまうかもしれない。その姿を想像してため息を吐いた。


「いくじなし」


 ケリーの呟いた言葉は誰にも拾われることなく、応接間の絨毯にとけていった。

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