第14話

 慌てた私は彼女の口を両手で塞いだ。その時、メリアは目を見開き微動だにしていなかったと思う。


 私の手の中で何か言いたげに声をあげる。これ以上大きな声を出されては堪らないと、必死に口を塞いだ。


 絶対外に聞こえちゃった……。侍女の情報網って侮れない。明日にも私は「八年も婚約者でいながら口付け一つして貰えない女」として良い笑い者かもしれないのだ。


「エレナ、そろそろ手を離してあげて。窒息してしまうわ」


 メリアの落ち着いた一言のお陰で、私はどうにか手を離すことができた。キャロルは何度か咳き込みながら、息を整えている。


「ごめん……」

「私こそごめん。秘密って言ってるのに大きな声出して。びっくりしちゃったんでしょ。うちのには全員箝口令をしくから安心して」


 キャロルが力強く手を握る。今更失敗に文句を言っても仕方ない。だって、もう過ぎてしまったことなんだもの。


「うん……」


 人の口に戸は立てられない。彼女の言葉を鵜呑みにできるほど、私は単純にはできていなかった。


「大丈夫よ、エレナ。この話は私たちと今外にいる耳の大きな使用人しか知らないんでしょう?」


 メリアがにこやかに笑う。


「うん。ケリーにも言ってないから……」

「なら、もしこの話が外に漏れたら、今日いる誰かの口が軽かったことになるわ。下手したら職を無くしたり、友達を無くしたりするような馬鹿なこと、誰もしないわよ。ね、キャロル?」


 メリアの笑みは一見優しいけれど、笑っているようには見えなかった。声色もどこか冷たい。彼女の言葉に合わせて、キャロルが壊れた人形のように何度も頷いた。


「大丈夫。うちだって口の軽い侍女がいたら評判が落ちるわ。安心して。約束。絶対誰にも言わないし、言わせないから」

「うん。そうだね。私、ちょっと神経質になっていたかも」


 駄目ね。キャロルを責めようとしていた。今の私には「大丈夫」と笑う余裕すらないのね。


「仕方ないわ。好きな人のことになったら少しくらい神経質になるわよ」

「エレナ、本当にごめんね。絶対に誰にも言わないし、言わせない。それにいくらでも力を貸すわ」

「あら、私もよ。乗りかかった船ですものね」

「キャロル……メリア……!」


 私は思わず抱きついた。ずっと不安だったのだ。なんとなく、こんなことケリーにも相談できなかった。


 子供みたいに泣いちゃ駄目って分かっているのに、涙がこみ上げる。メリアが優しく頭を撫でてくれて、キャロルが肩を抱いてくれた。結局、私の嬉し涙は溢れてしまった。


 それから私が落ち着くまで、紅茶を勧められたり、口の中にクッキーを押し込まれたり。気づけば長椅子に三人並んで座っていた。


 椅子は他にも沢山あるのに、ぴったりとくっついて。


「それにしても、あの子爵様がまだエレナに手の一つも出してないなんて意外ね」

「まさかこんなに奥手だなんてびっくり!」

「あら、子爵様もキャロルには言われたくないと思うわ」


 メリアがコロコロと笑う。私を挟んで二人はライナス様の話で盛り上がっていた。


「ライナス様は別に奥手ではないのよ」


 ティーカップを持ちながら、私は思わず口を挟んだ。だって、本当にライナス様は奥手ではないのだ。もしも奥手だったら、こんなに悩んでいないもの。


「あら? どうして? 口付け一つしてくれないのでしょう?」


 メリアが不思議そうに首を傾げる。


「だってね、ライナス様は『可愛い』とか『好き』とか沢山言ってくれるもの。奥手の人ってそういう言葉も言えないのでしょう?」


 そう、今まで読んだ恋愛小説の中には奥手の男性も沢山出てきた。彼らは決まって口下手で、甘さの含んだ言葉なんて発することができないでいる。なんなら、ヒロインを前にして顔を見ることすらできないことだってあるのだ。


 その点、ライナス様はいつも私の顔を覗き込むし、頭だって撫でてくれるし、愛情表現も多い方だ。……今のところ、妹相手の愛情くらいしか貰ってはいないのだけれど。


「な・る・ほ・どねぇ〜。それで社交?」

「うん……。少しでも大人になれば、一人の女性として見てもらえるようになるかもって……」


 本当は理想の女性になるためのものなんだけど。その話はやっぱり言えない。


「そんなことしなくても、時期がくれば彼だって小説みたいにしてくれると思うわ」


 メリアが慰めるように言ってくれるけど、それでは駄目なの。待ってるだけじゃ駄目だったわかっちゃったんだもん。


「まぁ、私はその話を抜きにしてもエレナが色んな所に顔を出すのは良いことだと思うよ?」

「キャロル……」

「だって、公爵夫人が引きこもりじゃあねぇ〜」

「別に引きこもりになるつもりはなかったんだよ」


 気づいたら引きこもり気味だっただけ。夜会には最低限行っているし、引きこもりと言われるほどではないと思う。


「これから沢山お茶会に出るのかしら?」

「うん、そのつもり。沢山出て慣れないと」

「良いことだと思うわ。社交界って怖いところだもの。公爵夫人になる前に少しは慣れておくことに越したことはないわよ」


 お母様も私がお茶会に参加することに賛成していたし、二人が言うように今のうちに慣れておいた方が良いのも頷ける。今まではライナス様やお父様が守ってくれていたけど、それがかなわない時って出てくるもの。自分の力で戦えるようにならなきゃ。


 ライナス様の理想の女性になるってことはきっと、公爵夫人に相応しい人になるということのような気もするのだ。


「うん、頑張る」

「頑張って。応援しているわ」

「エレナ、蛇女になんか負けちゃダメよ!」

「蛇女?」

「ナンシーのことよ。この前のお茶会で会ったんでしょう? あの家の紋章が蛇を使ったデザインだから影でそう呼ばれているの」

「へぇ……知らなかった……。でも、なんだか酷いあだ名ね……」

「あら、どこもそんなものよ。私達だって影ではなんと言われているか分かったものじゃないわ」


 キャロルもメリアも酷いあだ名に関しては気にしていないらしい。女の人に蛇っていうのも酷いと思うの。


「私も変な呼ばれ方しているのかなぁ……」

「そうね。そう思っておいた方が知った時の衝撃が少ないわよ」

「そう言われるとそうかもって思っちゃう」


 できることなら、一生知りませんように。キャロルやメリアのあだ名も一生耳にしませんように。私は、祈るしかなかった。


 その後、ナンシーの話が続くことはなかった。


 二人には社交場で上手にあしらう方法を伝授され、少しだけ勇気が湧いてくる。


 帰りには参考になりそうだというキャロルお気に入りの恋愛小説をドッサリと持たされた。参考になると言われたけど、多分ただのおすすめなのだろう。


 それからは、嫌だ嫌だと思いつつもお茶会に顔を出すようになった。屋敷からでるようになったと噂を聞きつけて、更に招待状が増えたのには辟易したけど。


 沢山お茶会に参加して分かったことがある。多くの人がライナス様に興味があること。それと同じくらい殿下のことも気にしていること。


 私に声をかける人間は二つの種類に分かれていた。一つは公爵家や王家との繋がりが欲しい人。これは、既婚者に多い。直接ライナス様や殿下に声をかけられない人達が、私という存在を利用したいように感じた。


 もう一つはライナス様のことが好きな人。同じ年頃の女性、しかも侯爵家や伯爵家の人が多い。嘲笑を孕んだ目で見られているのは被害妄想かもしれないけど、敵視されていることは確かだ。彼女達は決まって私の持つライナス様の情報を欲しがる。好みや趣味、普段の会話まで。


 はじめは引きこもりの私との話題に困ってライナス様の話を持ち出しているのだと思ったけど、それは大きな勘違いだったようだ。


 数えるのも嫌になるほど、彼に興味を持っている人が多い。私の憧れであるブロンドの髪を持っているひともいれば、スラリとした美しい人もいた。


 私はないない尽くしだと思い知らされる。私にはあって彼女達に無いものなど何もないのでは? 最近はライナス様がそれに気づいてしまうのではないかと戦々恐々としている。


 そんなちょっと憂鬱でめまぐるしい日々を送っていた時のことだ。


 突然、ピタリと招待状が来なくなった。





 二章完

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