第8話

 お父様、お母様。私は今、セルン家のお茶会に向かっております。

 

 この十六年、キャロルとメリアとのお茶会は別として、一人でお茶会に参加したのは初めてだ。正確に言えば、一度だけ参加したことはある。その日以来、私の足はお茶会から遠のいていた。

 

 送り出してくれたお母様なんて、今生の別れの如く泣いていた。なんなら私も泣いた。けど、お母様の涙と私の涙は真反対の意味を持つ。


 お母様の涙は「ようやく外に出る気になった」の意味を持っているのは明らかだった。私はただただ一人で行くのが怖いだけだ。

 

 セルン伯爵家は最近台頭してきた家らしい。

 

 我が家としては、仲良くしておいて損はないと家の者は言っていた。社交界にデビューしてから何度もお誘いは頂いていたのだけれど、「絶対無理!」と突っぱねていたのだ。それでも何度も招待状を送ってくれる稀有な家である。

 

 そんな私がこのお茶会に参加する理由――勿論、『かっこいい』探しと『強い』探し。馬車の中で足がガクガクと震えるけれど、付き添ってくれるケリーが優しく膝を撫でてくれる。

 

「大丈夫でございますよ。ご安心してくださいませ。いつも通りで問題ありませんから」

「粗相をしたらと思うと、不安で不安で……」

「マナーの授業ではいつも『素晴らしい』と言っていただいているではありませんか。セルン家に比べてノーベン家は歴史も長く格が上でございますから、きっと何かしでかしても見てみぬふりをしてくれるかと。だから大丈夫ですよ」

 

 ケリーはニコリと笑って酷いことを言う。

 

 何か失敗したら、影でコソコソ言われるんだわ……。お父様やお母様の顔を泥だらけにしてしまうかもしれない。そんなことになれば、お屋敷にもいずらくなってしまうのでは。

 

 ああ、今まで社交らしい社交をしていなかったツケがこんなところで回ってきたわ。緊張で心臓が止まってしまいそう。

 

「やっぱり帰りたい……」

 

 まだ馬車の中、戻るなら今しかないと感じる。

 

「何をおっしゃいますか。間もなく到着いたしますから」

「その前に帰ろう? やっぱりもう少し屋敷で練習を積んでからの方がいいと思うの!」

「私と何度練習なさったか覚えておりますか?」

「……二十三回」

 

 私は『かっこいい』を探すと決めた日から、二十三回ケリーとお茶会の練習を重ねた。社交と言えば、夜会に参加するのが一番なのだけれど、夜会はお父様やライナス様の付き添いが不可欠だ。二人共忙しい身で、あっちこっちと連れまわすこともできない。

 

 それならば、女性ならばお茶会があるじゃないかと、いつもは開けもしない招待状を目の前に置いたのはケリーだった。

 

 参加するお茶会はケリーとお母様の手で厳選されたと言っても過言ではない。お母様がついてきてくれるかと思いきや、「とうとう一人でお茶会に行く気になったのね」と涙するものだから、「一人は嫌」と言うことができなかった。

 

 そして、あれよあれよという間にお茶会の日がやってきてしまった。

 

 お茶会はあまり得意ではない。だから、それ以外の方法で『かっこいい』を探したいとどれ程思っただろうか。

 

「練習の成果は絶対に出ておりますよ。私も側におりますので、ご安心ください」

 

 ケリーに優しく覗き込まれれば、頷くしかなかった。確かに彼女は側にいてくれるかもしれないけど、侍女である彼女が他の人に口出しすることができるわけもない。つまり、同じ空間にいてくれるけど、助けて貰うことはできないんだよね。

 

 ぐだぐだと考えている内に、馬車は揺れながらも確実にセルン家に近づいていった。そして、気づけば私を試練の場へと連れて行ったのだ。

 

「着いたようですね」

「そうね。……ねぇ、ケリー」

「駄目です」

「まだ何も言ってないじゃない……」

「言わなくても分かりますよ。顔に書いてありますもの。さあ、その大きく書かれた『帰りたい』を消してくださいませ。そのような顔では皆様の前に立てませんわ」

 

 お茶会は憂鬱だ。しかも、今日は一人。お母様についていくならまだ良いんだけどな。

 

 夜会はここまで苦手ではない。私はいつもライナス様やお父様の「おまけ」としか見られていなかったから。家の名やライナス様の恥にならないようにと思えば気負いはしたけど、夜会の私は大きな箱の中の一人だった。

 

 その点お茶会はその他大勢になることが難しい。王妃様のお茶会とかは大人数で開催しれるらしいから空気のように佇んでいても大丈夫だと思うんだけど、一介の貴族が開催するお茶会は一つのテーブルを囲む程度の人数であることが多い。

 

 こんなことでは駄目と心の中で私が叱咤する。

 

「ケリー、『かっこいい』を見つけて、私も強くかっこ良くなったら、ライナス様は私を一人の女性として見てくれるわよね?」

「ええ、惚れ直してしまうかもしれませんね」

「……うん、そうだね」

 

 ぎゅっと手を握りしめた。大丈夫。私ならやれる。やってみせる。心にそう刻んだのだ。

 

「行こう……」

「はい。お供いたします」

 

 ゆっくりと空気を吸い込む。いつも見上げる場所には誰もいない。代わりに、少し後ろにケリーが続いた。

 

 いつも手を引きながらも守ってくれる存在は、今頃王太子殿下の執務室の中だろう。彼がいない場所がこんなにも怖いなんて知らなかった。

 

 私は一度強く頷くと、馬車を降りたのだ。

 

「ようこそおいでくださいました。ノーベン伯爵令嬢エレナ様」

 

 セルン家の執事が腰を折る。小さく息を吸い込むと、一歩前へ出た。

 

「本日は御招待ありがとうございます」

 

 練習した言葉を一語一句間違いなく述べ、五十回は失敗した笑顔を見せる。

 

 執事は顔色一つ変えない。彼の表情からではそれが成功だったのか失敗だったのかはわからなかった。及第点だと思いたい。

 

「皆様お着きでございます。中庭にご案内いたします」

 

 執事の手によって、戦場への道が開かれた。

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