第5話

 単純だと笑われてしまうかもしれないけれど、ライナス様の笑顔一つで幸せな気分になれる。たしかに薔薇は好きだけど、彼の笑顔に比べたら霞んでしまうようなものだ。

 

 薔薇の香りが私達を包み込む。南国の紅茶の香りと交じって少しエキゾチック。

 

 私達は侍女によってピタリとくっつけられた椅子に座った。彼女達は到着する前には姿を消していて、ここには二人きり。まるで恋人みたいで気持ちが浮ついている。ケリーの「恋人同士」という言葉を思い出して、鼓動が早まった。


 いつか、いつかよ? 遠くない未来にそんな風になりたいなぁ。なんて、思っている私としては、小説で読んだような甘いひとときが……なんて……。

 

 意識すると、顔を見ることができなくて、私はそそくさと温かい紅茶に手を伸ばす。

 

「熱そうだから気をつけて」

 

 子供じゃないんだから……と頬を膨らます前に紅茶を口に含む。ふわりと香る不思議な香りに目を丸くした。

 

「大丈夫?」

「うん。あのね、とても不思議な香りと味だから……異国の物って感じがしてびっくりしちゃっただけ」

「そう、良かった。私も試してみようかな」

 

 ライナス様もティーカップを口元に運ぶ。その仕草があまりにも優雅で思わず見とれてしまった。その仕草だけ何度でも見ていられそう。

 

 うっとりしていると、小さく首をかしげられてしまった。慌てて頭を横に振る。危ない危ない。自分の世界に入り込むところだったわ。

 

「本当だ。これは飲んだことのない味と香りだ」

 

 ティーカップに注がれた紅茶をまじまじと覗く。色は他のものとそんなに変わらないのに。不思議。

 

 公爵家には異国からの変わった物もよく入って来るというけれど、この紅茶は飲んだことがなかったみたい。ライナス様はそのあと続けて何度か口に含んでは味を確かめるように目を閉じている。

 

 長い睫毛が震えるたびに、見惚れてしまう。本人はあまり「綺麗」と言われるのが嫌いらしいから、口にだしては言えないけど、「美しい」とか「綺麗」という言葉がよく似合うと思う。日の光を浴びた金髪がキラキラと輝いて、瞼を上げる度にサファイアみたいな瞳が顔をのぞかせる。風が吹く度に柔らかそうな髪の毛が揺れて、頬をなぞる度にどこか儚げなのだ。

 

 もしも彼が女性なら、傾国の美女と謳われたであろう。もしかしたら王太子妃となっていたかもしれない。殿下とは仲が良いし。


 でも、女だったら嫌だな。もしも彼が女に生まれていたら私が男に生まれれば良いのかも。でも、傾国の美女が相手にしてくれるような男になれるのかと言われたら……なれない気がする。

 

「何……? 何かついている?」

 

 綺麗な顔が私の顔を覗き込んで首を傾げる。

 

「ううん! 大丈夫! 何も! えっと、気に入ってくれて良かったなって思っていただけ!」

「ゴミでもついていたらどうしようかと思った」

「そんなことないよ。いつも通り……です」

 

 そう、いつも通りキラキラしているよ。眩しいくらいだよ。彼はより一層微笑んだ。それ以上は目がつぶれちゃうからほどほどにして……!

 

「そうだ。この十日間はどんなことをしていたのか教えて」

 

 彼は良くこの質問をする。会ってから次に会うまでどんなことをしていたのか。話題に詰まると……と言うよりは、毎回最初の方に聞いてくるから、単純に気になるのだろうか。

 

「今回は楽しいことは何もなかったよ?」

「それでも、私のいない間のエレナのことが知りたいんだ。駄目?」

「駄目じゃない……よ」

 

 首を傾げるのは禁止です。あまりの美しさに失神するところだった。首を傾げると、さらりと髪の毛が揺れるのだ。それだけで、攻撃力のある何かが舞っているような気がする。

 

「でも本当に面白い話はないよ? お外にも行ってないし……」

「良いよ。全部教えて」

「ええとね、キャロルに教えて貰った小説を手に入れたからそれを読んだかな」

「そう。面白かった?」

「うーん……どうかな。なんかドロドロの愛憎劇でちょっと怖かった」

 

 今、婦人達の間で流行っているのだと聞いていたけれど、あまりにもドロドロで怖かったのだ。隣国の王太子妃の話にせよ、最近はこういう泥沼になるようなのが流行っているのだろうか。それとも、いつの世もそういうのが一定の人気を誇るのか。

 

 思い出しただけで気持ちが下がる。

 

「エレナは争いごとが嫌いだからね。最近の流行り物は合わないかもしれない」

「ライナス様も読むの?」

「後学のためにぱらっと捲る程度だけどね」

「そうなんだ……」

 

 やっぱり『悪役令嬢』が理想っていうのはあながち嘘ではないのかも。最近流行りの小説にも気の強い女性が出て来ていた。

 

「やっぱり、はっきりと思っていることを言える女性ってかっこいいと思う?」

「そうだな……自立していてかっこいいと思うよ」

「自立……」

 

 そっか。自立している女性か。そういうのが良いなって思うのね。

 

「エレナはそのままで良いんだよ」

 

 何を思ったのか、ライナス様は子供をあやすみたいに優しく私の頭を撫でる。やっぱり、良くて妹くらいにしか見られていないんじゃないかな。「ありがとう」と言って笑ったけれど、上手く笑えた気がしない。

 

「悪役令嬢……あの隣国の王太子妃もとってもかっこよかったね」

「そうだね」

「どんなところがかっこよかった?」

「……どうして?」

 

 不思議そうに首を傾げる。さすがに唐突な質問だったかもしれない。

 

「ほら、この前は私ばかり話していたから、ライナス様の感想全然聞けなかったなって……」

「そうだったかな。エレナの話が楽しかったから気にしていなかった」

「私だってライナス様の話聞きたい」

「気にかけてくれているなんて嬉しいよ」

 

 花が咲いたようにふわりと笑った。薔薇なんか霞んでしまうほどの笑みだ。

 

「そうだな……感想か」

「うん、どんなところが良かった?」

 

 思わず身を乗りだしてしまう。彼の理想の女性像を教えて欲しい。彼は一つ考える素振りをしてから口を開いた。

 

「悪役を押しつけられたにも関わらず、それを逆手に取ってしまうところは見事だったね」

「うん、そうね」

 

 私にはそんなことできない。悪役にされたら悪役にされっぱなしだと思う。

 

 ああ、記録を取っておきたい。そうしたらあとで見返せるのに。さすがにそれは無理だから、しっかり覚えていないといけない。

 

「あとは? あとはどうだった?」

「あとか……。それにしても、やけに固執しているね」

 

 胸が跳ねた。わざとらしくなってしまっただろうか。

 

「そ、そうかな?」

「そんなにこの前の劇は楽しかった?」

 

 よかった。勘違いしてくれたみたい。探りを入れているなんて知られたら、きっとなし崩しに殿下との話を聞いたことまで言ってしまいそうだもん。


 立ち聞きしてしまったことは絶対秘密。

 

「楽しかったよ! 手に汗握る展開だったし、王太子妃もとってもかっこよくて、あんな風になりたいなーなんて思ったもの……」

 

 ライナス様は大きな手を私の頭にのせて、ポンポンと撫でた。

 

「エレナはエレナのままで良いんだよ」

「でもっ……!」

「エレナにはエレナの魅力があるんだから」

「……本当にそう思う?」

 

 本当は『悪役令嬢』が良いんでしょう? 強くてかっこいい女の方が理想なんだよね?

 

 見上げると、そんな素振りも見せずに彼は笑った。本当のことを言って泣きつきたいけど、そんなことしたら嫌われてしまうかもしれない。理想の女でもないうえに盗み聞きするような女だと思われたら……。

 

 そんなの駄目! 絶対駄目なんだから!

 

 どうにか笑顔を返したけど、ちょっとぎこちなかったかもしれない。

 

「今日のエレナは少し変だ。何か誰かに言われた? もし言われたのなら……」

「ううん、大丈夫。誰にも言われていないよ。ただ、女の私から見ても魅力的な人だったから、憧れちゃうなって思ったの」

「そうか。それなら良かった。でも、エレナはそのままで充分魅力的だよ」

 

 彼の手が頭を撫でて頬を滑る。今までだったらこの言葉で舞い上がっただろう。今はそんな風に思えない。

 

「うん、ありがとう」

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