第4話

 今日は我が家の庭園で二人でお茶会の予定だ。これはもう三月前……。ううん、三年前から決まっていた。我が家の薔薇が綺麗に咲く頃に毎年一緒に見るようになったのが三年前。その年から、同じ頃には絶対二人で薔薇に囲まれながらお茶をする。

 

 ライナス様は年を追うごとに忙しくなるにも関わらず、必ず毎年この時期は時間を作ってくれる。とっても律儀な人なのだ。親同士の決めた婚約者なんて、酷い時は結婚まで殆ど会わないなんてこともあるらしいのに、彼は少しでもと私の側にいてくれる。

 

 それが当たり前になってしまっていた。現状が当然のことのように思っていてはいけないと、あの日教えて貰った気がする。

 

 庭園に続く扉が開くと、優しい笑顔が迎えてくれた。

 

「エレナ」

「ライナス様、いらっしゃいませ」

 

 いつもみたいに飛びつきたくなるのを我慢して、淑女らしく礼をする。かの王太子妃は婚約者の前でも堂々とした振る舞いをしていたから。だけど、彼は嬉しそうに笑わずに、少しだけ困ったように首を傾げた。


 もしかして、今の挨拶がおかしかったかな。先生やケリーは褒めてくれたんだけど……。

 

「元気そうで良かった」

 

 私の側に寄ったライナス様が優しく頭を撫でる。大きな手に触れられるのが嬉しくて、目を細めた。いつも通りだ。普段なら子供扱いされていると、寂しくなるのだけれど、今日は安心してしまった。まだ、私は彼にとって十日前と変わらず婚約者なのだと教えてくれているみたいだからだ。

 

 そうだ、早くこの前のことを謝らないと……!

 

「あのね、先日はごめんなさい。折角連れて行って貰ったのに」

「いや、私が側にいれなかったせいで辛い思いをさせてしまったんだろう? 私こそ悪かった」

「違うの! ライナス様は何も悪くないよ……! 私が勝手な行動しちゃったから。だから……気にしないで」

「今度からはずっと側にいるから、また一緒に行ってくれる?」

 

 私を見るサファイアの瞳はとても不安そうだった。ライナス様は何も悪くないのに、なんでそんな顔をするんだろう。

 

「大丈夫。次は失敗しないから! 殿下とお話ししても大丈夫よ」

「いいや、あいつとはいつでも話はできるから、気にしないで。それに、君を泣かせて帰しては御父上に顔向けできない」

「あの時はちょっとびっくりしちゃっただけなの! だから大丈夫」

 

 何度「大丈夫」と言っても、次からは一人にしないと彼は頑なだった。やっぱり、心配をかけてしまったみたい。内心では社交場に一人でいられない女なんて面倒だと思われていないだろうか。

 

「もう大丈夫だから、気にしないで。早くお花を見よう? 紅茶も冷めてしまうわ」

「そうだね。折角エレナと一緒なのに、ここで立ち話ばかりでは疲れてしまう」

 

 ライナス様は慣れた手つきで私の肩を抱いた。いつものことなのに、胸が跳ねる。見上げると、優しく微笑まれてまた胸が跳ねた。いつもと変わらない美しい顔は何度見ても見慣れない。輝いて見える。眩しすぎて目がつぶれてしまうかもしれないというのに、一向に潰れる気配はなかった。

 

「今日はね、隣国の珍しい紅茶なの。お兄様が送ってくださったのよ」

「ケイトさんが?」

「そうなの。私宛に紅茶と手紙が届いたの。手紙もそっけなくてお兄様らしいというか」

「それで、どんな手紙だった?」

 

 ライナス様が優しい笑顔から真剣な表情に変化した。突然の変わりように不安が掻き立てられる。もしかして、変なことを言ってしまっただろうか。

 

 ちょっと怖い。

 

「どうしたの……? もしかして、変なこと言ってしまった?」

「ああ、ごめん。違うんだ。ケイトさんが元気か気になって」

「そっか……! びっくりしちゃった! 急に真剣な顔をするから」

 

 茶目っ気に笑って肩を竦めて見せる。今日の私はちょっとだけ変だ。多分、あの日からずっとおかしい。ライナス様の一挙動が気になってしかたない。

 

 お兄様とライナス様は年が近いし、気になってもおかしくない。小さい頃は一緒に遊んでいたし。

 

「あのね、『隣国の南の花は満開だ。我が国にもこの香りが届いている頃だろう』だったよ。南なんてずーっと遠いから香りなんて届かないのに、お兄様って変なところで詩人なんだから」

 

 妹に当てる手紙にしてはロマンチックというか。お兄様は「珍しい紅茶だからライナス様と飲むと良い」とも書き残していた。

 

「そう……」

 

 ライナス様は難しい顔で黙り込む。やっぱり私、何か言ったんじゃないかな?

 

「やっぱり変だよ。大丈夫……?」

「ごめん。少し気になることがあってね。大丈夫だから気にしないで」

「う、うん……」

「さあ、ケイトさんが折角送ってくれた紅茶が冷めてしまうね。早く行こう」

 

 ライナス様はいつもと変わらない笑み浮かべて、慣れた庭園を歩き始めた。どこか顔が強張っている気がする。それは私の気にしすぎの可能性も否めない。お兄様の話なんてするんじゃなかったかな。

 

 お兄様が紅茶と手紙なんて送ってこなければこんな雰囲気にならずに済んだのに……。帰ってきたら文句の一つや二つ言わないと気が済まない。

 

 歴史だけはある屋敷だから、庭も大きい。広い庭園の奥に先々代が気に入っていた薔薇園があった。他はその代の夫人のお気に入りの花を植え替えたりしているのだけれど、そこだけは未だ薔薇を植え、念入りに手入れされている。薔薇があまり好きではないというお母様もそれに倣っているから特別な場所なのだろう。

 

 女主人に殆ど足を踏み入れて貰えない薔薇園は少し寂しいかと思いきや、しっかりと大輪の薔薇を咲かせていた。

 

「毎年見ているけど、見事だね」

「うん。この家では私くらいしか見る人がいないから、ライナス様も一緒に楽しんでくれるのは嬉しい」

「夫人は相変わらず?」

「うん、薔薇は棘があるから嫌なんですって。こんなに綺麗なのに、勿体ないよね」

「そうだね。夫人の分も一緒に楽しもう」

「うん」

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