第3話
ライナス様はとても忙しい。家を継ぐために公爵のおじ様――ライナス様のお父様のことだ――の領地運営のお手伝いをしながら、殿下の執務も手伝っているらしい。そんな忙しい彼は、合間をぬって私に会いに来てくれる。時には社交場に連れて行ってくれたり、屋敷でゆっくりお話ししたりするのだ。
私はその時間がとても楽しみだった。本音を言うならもっと会いたいし、もっと彼を見ていたい。もしも透明人間になれるのなら、私はこっそり彼の後ろについて行って、仕事中の彼をずっと見つめていられると思う。
それが叶わない今、私は良い子で待っているくらいしかできない。
それから彼が私のために時間を作れたのは、あの観劇の日から十日後のことだった。お手紙で会いに行けるという旨が届いた時は嬉しくて跳び上がったほどだ。実のところ、あの日からずっと気が気ではなかった。
殿下のあの言葉を聞いた時から、「ああ、やっぱりエレナが婚約者なのは嫌だな」と思われていたらどうしようと不安で眠れないこともあったほどだ。「会いたい」とお願いをすれば、優しい彼は極力時間を使って会ってくれるだろう。けど、そんなことをしてより理想の女からかけ離れるのは嫌だった。
だからジッと耐えたのだ。神様は見ているものなのかもしれない。会いに来てくれるのだから。
そして、今日私は朝からとソワソワしている。
「お嬢様、そんなに不安がらなくても良いのですよ」
「分かっているわ。でも、どうやって切り出して良いのか……。それに、ライナス様を困らせてしまったきりだから、どんな顔をして会って良いのか分からないの」
「大丈夫ですよ。今日はお庭でゆっくりお話しできるのですから、焦らなくても機会はございますわ。それに、いつものように笑えば、子爵様も安心なさると思います」
「そ、そうよね。笑顔笑顔……」
鏡の中の私がぎこちなく笑顔を作る。普段のものとは全然違うような気がした。笑顔って意識すると難しいのね。
「やっぱり怖い……ケリー。着いてきてっ」
「駄目ですよ。そんなことしたら、私が睨まれてしまいますわ」
「ライナス様はそんなことしないよ。優しいから大丈夫よ」
確かにライナス様は礼儀とかそういうのにはうるさいかもしれない。けれど、ケリーはその点、礼儀正しいししっかりしているし、彼が目くじらを立てるようなことはないと思う。
「お嬢様。恋人達の席に同席する勇気は私にはありません」
「恋人だなんて……私とライナス様は婚約者ってだけよ。まだそんな間柄になっていないわ」
ケリーの言うような恋人同士になれれば幸せだろうけど、私達は親に決められた婚約者という関係だ。それに、いつ捨てられるかも分からない現状だし。彼女がいれば要らぬことを口走らなくて済みそうだと思ったのだけれど……。
「まあ! それを子爵様におっしゃってはいけませんよ。そんなこと言ったらどうなるか……」
ケリーは宙を見て身体を震わせた。どうなるのか分からないけど、私は必死に頷く。やっぱり彼女に頼り切りは駄目よね。私自身でどうにか上手く聞き出さなきゃ。
いつも落ち着いていて、頼りになる彼女にどうしても頼ってしまう。
「私、ケリーみたいになりたかったな」
ケリーに身を預けて甘えると、彼女は声を出さずに笑った。
「私はお嬢様がおっしゃる悪役令嬢のようにお強くはありませんよ」
「そうだけど、とっても頼りになるし、きっとケリーみたいな人だったらライナス様も安心できたと思うの」
「ですが、子爵様はお嬢様をお選びになったのでございます」
「違うわ。私がちょうど良かっただけ。それに親同士が決めたような婚約よ?」
「そうでございましょうか?」
「そうよ。だから、うーんと背伸びしないと届かないの」
今思えば、ライナス様はいつもずっと高いところにいるような気がする。今まではわざわざしゃがんで私の目線に合わせてくれていたのかもしれない。ずっと甘えていたんだ。今日からは少しでも私が目線を合わせられるようにしていかないといけないと思った。
ケリーが眉尻を下げた時、ちょうど扉が叩かれる。
「お嬢様、子爵様が到着されました」
「は、はい!」
到着に思わず跳び上がる。身体が勝手に震えた。やっぱり怖い……。最後に会ってから十日の内に不安が山のようにつのっていったのだ。
それを察したケリーが優しく背中を撫でてくれた。「大丈夫ですよ」と言われているようで、少しだけ涙が出そう。
今は泣いては駄目だ。またライナス様に恥ずかしい姿を見せることになるのだから。
「ケリー、行ってくるね」
「はい。あまり気負いせず、楽しんでらしてくださいませ。愛する人と一緒にいるのに、楽しくないなんて寂しいではありませんか」
「そ、そうよね。ありがとう」
ケリーの力を貰うために、ぎゅっと彼女に抱き着く。彼女は控え目にだけど抱きしめ返してくれた。
ケリー、頑張ってくるね!
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