第二章

第1話

「あくやくれいじょう?」

 

 ケリーがそれは一体何でしょう? というようなキョトンとした顔を見せる。そっか。あの劇を見たことのない彼女は知らないのだ。

 

「話すと長くなるんだけどね。昨日見た劇で出て来た主人公が『悪役令嬢』って呼ばれていたの」

「お嬢様は舞台に立ちたいのでしょうか? それは旦那様にお願いしても難しいかもしれません……」

 

 ケリーの眉尻が申し訳なさそうに下がる。

 

「違う! 違うの、そうじゃなくてね。その主人公みたいになりたいの」

 

 そんな舞台の上だなんて目立つようなところに立つなんて絶対ごめんだもの。『悪役令嬢』について必死に説明するも、上手く伝える事ができず、最終的にケリーが「お菓子を食べながらゆっくりお話ししましょう」と言ってくれた。

 

 ネグリジェから着替えて、ケリーと二人で小さなサロンで話す。彼女は私のお気に入りのお菓子を沢山用意してくれた。多分、昨日のことで気を使ってくれているのだろう。

 

 クッキー美味しくて幸せ。

 

 思わず続けて三枚口に運んでしまう。

 

「クッキーばかりでは喉を詰まらせますよ。紅茶も飲んでください」

 

 気を利かせたケリーが私の手元にティーカップを運ぶ。私は何度も頷きながら紅茶を口に含んだ。全て飲み込む頃には私も随分と落ち着いていたと思う。

 

「順を追ってお聞きしてもよろしいですか?」

「うん。何でも聞いて」

「では、なぜその『悪役令嬢』? というものになりたいのでしょうか?」

 

 確信をつくような質問に、私の肩が揺れる。「その話はおいおい……」なんて返答は駄目よね。

 

「もしかして、子爵様と何かございました?」

 

 ケリーは察しが良い。そして、私は誤魔化すのがとっても下手だ。隠す余裕なんてなくて、肩が跳ねた。今ので確実にライナス様が原因だということは彼女には伝わってしまっただろう。

 

「なんで分かったの……?」

「だって、お嬢様が何かに悩む時は、いつだってお嬢様の近しい大切な人のことですもの。それに昨日は子爵様とお出かけでしたから、きっとそうかと思いました。違いましたか?」

「違わない……」

 

 尻すぼみになる言葉を隠すために、私はクッキーを口に含む。ケリーはふふふと笑った。やっぱりケリーには全部話した方が良いよね。うまーく『悪役令嬢』になる方法だけを相談できたらいいなって思っていたけど、考えが甘すぎた。

 

「あのね……。昨日、聞いちゃったの。ライナス様の本音」

「本音……でございますか?」

「そう。殿下とお話ししているところをたまたま……あの、盗み聞きするつもりはなかったの! たまたま扉が開いてて、聞こえちゃったと言うか……」

「はい、大丈夫ですよ。落ち着いて、ゆっくりお話しください」

 

 ケリーが私の肩を撫でる。その温かさにホッと息を吐いた。

 

「……うん。それでね。二人が私の話をしていたみたいで、私が……ライナス様の婚約者の私が『悪役令嬢』みたいな女だったら良かったと思わないか? って殿下が聞いたら、ライナス様が『そうですね』って……」

 

 彼の声そのままに頭に響いた。私はそれを取り払うために頭を大きく横に振る。

 

 駄目! もう、後ろ向きにはならないって決めたんだから!

 

「本当にそのようなことを子爵様がおっしゃったのでしょうか? 私はにわかには信じられません」

「でも、私本当に聞いたのよ!」

「はい。お嬢様の言葉を疑っているわけではないのですが、あの子爵様に限ってそのような……」

 

 ケリーが綺麗な眉をひそめた。そうよね。私だって信じられないもの。いつも優しいライナス様がそんなこと言うはずないって。だけど、私がいない席だからこそ本音が漏れたということも有り得る。

 

 ケリーは言葉を失っていた。私以上に傷ついている顔だ。思わずそっと顔を撫でると、肩を震わせる。

 

「大丈夫よ。私も聞いた時は辛くて沢山泣いちゃったけど、今は大丈夫なの」

「お嬢様……」

「私ね、だから……ライナス様の理想の女になろうと思うの!」

「お嬢様……? えっと、理想と言うと……」

「そう、ケリーの考えている通りよ」

「つまり、『悪役令嬢』になるとおっしゃるのですね……?」

「そう! そうなの。私、『悪役令嬢』になるわ!」

 

 悪役令嬢になって、ライナス様に「君が婚約者で良かった」って言って貰うの。力強く拳を握ると、ケリーが不安そうに見上げていた。そんな不安を蹴散らすために、彼女の両手を包み込む。

 

「だからね、ケリー。私に力を貸して! お願い! 頼れるのはケリーだけの!」

 

 お父様やお母様にお願いしたところで笑って一蹴されるだけだもの。キャロルやメリアに相談してもいいけれど、そのためには手紙を送って時間をつくって貰わなければならない。

 

 それだとずっと遅くなってしまう。

 

「しかし、私にはまだ『悪役令嬢』というものがさっぱり……」

 

 ケリーが困ったように眉尻を下げた。そうよね、私は見てきたけれど、彼女は一度も見ていないのだ。私は慌てて姿勢を正した。

 

「ごめんね。私ったら何も説明できていなかったわ」

「本当は同じものを見ることができれば宜しいのですけれど……」

「そうね。それが一番分かりやすいと思うのだけれど」

 

 とは言え、ケリーをあそこに連れて行くにはどうしたら良いのだろう。お父様やお母様にお願いすれば席を取ってもくれると思うのだけれど、説明をどうしよう。

 

「もう一度見たいと言ったら駄目って言われるかしら?」

「そうでございますね。連れて行ってはくださると思うのですが、私と一緒となると難しいかもしれません」

「そうよね……」

 

 お父様は劇場の席の一つや二つ、取ってくれるだろう。そして連れて行ってくれる筈だ。けれど、ケリーも連れて行くとなると少し難しい。「なぜ?」と聞かれたときに上手く理由を言えるかと聞かれた自信がなかった。


 どうしても! と我儘を通せば無理というわけではないと思う。けど、そんなことをすれば、後々私の計画は家族に明るみになるだろうし……。

 

「お嬢様の見てきたものを教えて頂くのが今のところ最善の手段かと思われます」

「やっぱりそうよね」

 

 仕方ない。こうなったら私がきちんと説明しなければ。

 

「ケリー、聞いてくれる?」

「勿論です。何時間でもお聞きします」

 

 ケリーの形の良い唇が弧を描いた。私は強く頷く。そして、紅茶で喉を潤してから、昨日見た全てを話すことにしたのだ。

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