第14話
「お嬢様、お加減はいかがですか?」
朝日がカーテンの隙間から入ってくるのと同じ時、控え目に扉が開かれた。ケリーの撫でるような優しい声が聞こえて、布団から顔を出す。声を出す気力もなくて、頭を小さく横に振った。
ケリーの綺麗な眉が僅かに下がる。
「目が少し腫れてますね。少し冷やしましょう」
冷たい水で冷やされた手拭いを目に充てられ、視界が夜と変わらなくなる。ふいに昨日のことを思い出した。
「ねぇ……ケリー」
「はい。なんでしょうか?」
「ライナス様は怒っていたかな。それとも呆れていた? 私、昨日沢山迷惑かけちゃったの」
「いいえ、お嬢様のことをそれはそれは心配しておりましたよ」
「ごめんなさいって言わないと……」
「あら、こういう時は『ありがとう』が宜しいのではないでしょうか?」
ケリーの手が頭を撫でてくれる。優しい手つきに少しばかりうとうととしてしまう。今なら眠れそうだ。
「少し落ち着いたら、何があったのか教えてくださいますか?」
ケリーの落ち着いた声に、ついつい頷いてしまう。でも、ケリーなら良いかな。
「うん」
その後、何か聞こえたような気がしたけれど、私は早々に夢の中へと旅だってしまったのだ。
「エレナ、君がここまで子供っぽいとは思わなかったよ」
ライナス様のとても冷たい声。いつものように優しくは笑っていない。
お願い。いつものように笑って。いつもみたいに「そんなところも可愛いよ」って言って欲しい。
でも、その願いは聞き入れてくれなかった。
一人の女性が私達の間に入る。彼女の真っ赤な唇が弧を描いた。細くて真っ白な腕が彼の腕に絡まる。
二人はそのまま背を見せると、どんどん遠くへと行ってしまった。
小さくなる背に縋るように手を伸ばした。けど、その手は全く届かない。
「お願い! 行かないで!」
必死に走って追いかけたけど、彼の背は小さくなるばかり。ふとした瞬間、二人は立ち止まった。
願いが聞き届けられたと思った時だった。ライナス様がその女性に優しく微笑みかけたのは。
声をはりあげて名前を呼んだ。
「お願い! 私もっと強くなるから! だから……」
私を置いていかないで。
しかし、言葉は闇にのまれてしまった。
「待って!」
私はひときわ大きな声を上げて跳び起きた。息が上がっている。ぐるりとまわりを見渡すと、そこは見慣れた自身の部屋。太陽の明かりは優しく部屋を照らす。手元に濡れた手拭いが落ちた。
「夢……?」
多量の汗が身体中から流れている。荒い息が部屋に充満していた。身体が震えている。未だ水分を含んだ手拭いを掴むと、ぎゅっと握った。手の中で水分がじわりと滲む。まるで私の不安みたい。
もしも、今の夢が現実になったら……
「どうしよう……」
この部屋の中には私しかいないのに、勝手に言葉が零れる。
どうしよう。私はどうすればいいのだろう? 今は大丈夫。まだライナス様は私の婚約者だから。でも、明日は? 明日大丈夫だという保証はない。
もしも明日、彼の前に理想の女性が現れたりしたらどうだろうか。私のことなんてなかったことにしてその人の手を取るだろうか。
ノーベン家は確かに長い歴史を誇る伯爵家かもしれないけど、王族の血筋を持つ彼が「いらない」と言えば、きっとまかり通ってしまうと思うのだ。ううん。きっと「いらない」と言われてまで縋れるほど私は強くない。
「どうしたら良いの……かな……」
彼の前にあの『悪役令嬢』と言われた女性のような人が現れないことを神に祈る? そんなことでどうにかなるなら、毎日何度だって教会に赴く。でも、それだと彼は、仕方なく私と結婚することになるのだろうか。本当はもっと違う人が良かったと思われないだろうか。
そんなの、嫌。絶対いや。
私はもう一度
ライナス様は多分私のことを妹のように可愛がってくれていると思う。でも、なんというか妹どまり。結婚する頃には私のことを一人の女として見てくれる筈だとなんとなく思っていた。
けれど、そもそもそれが傲慢な考えだったのよ。今、妹程度にしか見れないのに、私が何も変わらないまま過ごしていて、いつか女として見てくれるなんてそうそう無いんじゃないかしら。
このままだと、私はずっと妹みたいな婚約者のまま? 結婚する前に彼の前に理想の女が現れて、もしかしたらそのまま婚約破棄とか……。
ない話ではない。昨今家の繋がりに縛られない自由恋愛主義者なんて人達も現れているというし。
このまま指をくわえて見ているしかないの? そんなことしたら、絶対後悔する。
「だって、私……ライナス様が好き」
私が理想に程遠いなら、近づけば良いのよ。彼はまだ私の婚約者なのだから、遅くはない筈だ。寧ろ、今本音を知ることができて良かったのではないか。もしも知らないままでいたら、気付かない内に彼の心はどんどん離れていったかもしれない。
今なら、まだ挽回することができると思う。
昔から「やればできる子だ」って言われてきたし。やってやれないことはないのではないだろうか。
勢いよく起き上がる。手の熱のせいか、手拭いはぬるくなってしまっていた。私が闘志を燃やしている時、丁度良く扉が叩かれる。丁寧にゆっくり三回。扉の向こう側にいるのはケリーで間違いなかった。
私は
「ケリーッ!」
半ば抱きつくような格好になったけれど、ケリーはしっかりと抱きとめてくれた。
「あら、いかがなさいました?」
優しい声が降ってくる。ケリーに相談しよう。一人で考えるよりも良いと思う。
「ケリー、相談があるの」
必死に見上げると、優しい笑みが返ってくる。
「なんでしょう? 私でよろしければお伺いしますわ」
「あのね、私、悪役令嬢になりたいの!」
私の大きな声が部屋の中でこだました。
第1章 完
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