第13話
「エレナ嬢のどこがいい?」
開いた扉に近づいたた時、突然飛び込んできたのは、殿下の声だった。自分自身の名前を呼ばれて、肩が跳ねる。
何?! 私の話?!
思わず聞き耳を立てながら、私は息を潜める。盗み聞きは良くないとわかってはいるのだけれど、聞かずにはいられない。だって、「どこがいい?」なんて意味深な質問なんだもの。
殿下の言葉に続いて、ライナス様の小さくて短い返事が聞こえた。「は」と聞こえたから、「はい」と返事をしたのだと思う。
なかなか聞くことのできないライナス様の私の良いところを聞くことができるような気がして、必死に気配を消す。
いつも「可愛い」と言ってくれるけれど、本当はどんな気持ちで私のことを見てるのか気になってしまうのは、仕方ないと思う。
「エレナ嬢があの『悪役令嬢』みたいな女だったら良かったと思わないか?」
その言葉がやけに大きく聞こえたのは、殿下の声が大きいからだろうか。『悪役令嬢』……って今日見たあの悪役令嬢だよね。隣国の王太子妃の座を勝ち取った人凄い人。私は固唾を飲んでライナス様の返事を待つ。
胸が不安でいっぱいだった。
だって、私は多分かの悪役令嬢の気質の欠片も持ちあわせてはいないと思うから。
「……そうですね。そうかもしれません」
「だろう?」
彼の言葉に頭が真っ白になる。そして続く小さなため息。私を嘲笑うように、扉が閉められてしまった。
「あくやく……れいじょう……」
ライナス様はあの王太子妃みたいなタイプの女性が好みなの? だから、私のことをずっと子供扱いしていたの? 私は彼の理想の一欠片も持ち合わせてはいないの?
胸元に下がるネックレスを必死に掴む。
これを守れば、いつかライナス様は私を一人の女として見てくれると思ったのだ。だけど、現実は違ったようで、彼の「そうですね」が何度も脳裏をよぎる。
私はふらふらと廊下を歩いた。あの会話を聞いたと知られてしまったら、彼に気を使わせてしまうかもしれない。
「悪役令嬢かぁ……」
思わず溢れた言葉をかき消すように頭を横に振った。駄目駄目。落ち込んでは駄目よ、エレナ。
それでも、自然とこみ上げる熱は涙となってこぼれ落ちた。何度も拭ったけれど、目からは涙が溢れて止まらない。
お願い。止まって……。
こんなところで泣いていたら、ライナス様を困らせてしまう。それに、彼の理想の女性はこんなところで泣くような人ではなかったから。
けれど、涙は溢れるばかりで白い
とうとう私は長い廊下の真ん中でしゃがみこんでしまった。
「帰りたいよ……」
こんなところに居たくない。今日来なきゃ良かった。そしたら私は『悪役令嬢』も彼の理想の女性も知らずにいれた。目が覚めたら朝になっていないかな。これは夢だって言ってほしい。ケリー、早く起こしに来て。いつもの笑顔で「お嬢様、朝ですよ」って言って欲しい。
そうしたら言うの。「今日変な夢を見たのよ。ライナス様ったら悪役令嬢が好みなんですって」って。
固く目を瞑ったけど、暗闇が広がるだけで、何も変わらない。相変わらず私はライナス様から贈って貰ったドレスを来て、一人で廊下にいる。涙くらい……止まってよ……。
「……エレナ?」
後ろから声をかけられて、肩を揺らした。だって、聞き覚えのある……ううん、大好きな人の声だから。聞き間違えるわけがない。
「エレナッ?!」
慌てた彼の声と共に肩を抱かれる。思わず見上げると、彼の目が大きく見開かれた。
「誰かに何かされた? 痛いところはない?」
私を包み込むように抱きしめる腕はいつもの優しい彼のものだ。それが引き金となったのかは分からない。「何でもないよ」と言うために
開いた口からは嗚咽が漏れてしまった。
泣いちゃ駄目って分かっているのに……。
「怪我はない? ……やはり一人にするんじゃなかった」
彼は何も答えない私を見て、色々なことを想像しているのかもしれない。こんなにも「何でもない」の一言が出てこないなんて。
彼の顔をもう一度見て、涙が溢れた。そんなことをどのくらい繰り返していたか分からない。彼はやっぱり優しい声で、ずっと私のことを宥めてくれる。
いつもなら「子供にするみたいだ」とふてくさるところだけど、今は「婚約者だから仕方なくやっているのかも」と思ってしまった。どんどんと悪い方に考えてしまう。
泣くばかりでは何にもならないと分かっているのに、涙は正直だ。
結局、その後社交らしい社交もせずにライナス様に連れられて屋敷へと帰ったのだ。
彼との会話はあまり覚えていない。馬車の中に戻る頃には涙は止まっていたけど、会話らしい会話はできなかったように思う。気を使ってくれたのか、彼は何も聞かないでくれたけど、その結果何で泣いてしまったのかは説明できないままだ。
といっても、本当のことはいえないから、説明らしい説明なんてできないんだけど。
きっと心配している。ううん、していないかも。だって、私は理想とはかけ離れた婚約者だから。優しい顔の裏では「面倒な女だ」と思っているのかもしれない。ううん、彼はそんな酷い人じゃないことは私がよく知っている。
でも、それでも不安なのだ。
本当のことを知りたい。けど、本当のことなんて聞けない。真正面から「本当はあの王太子妃みたいな女性が好みなんだ」なんて言われたら、立ち直れないかもしれない。
目を腫らして帰ったせいで、屋敷のみんなに心配されてしまった。ケリーなんて、これでもかというほど目を丸くしていたのを憶えている。
ああ、キャロルとメリアにも今度謝らないと。挨拶もそこそこに帰ってしまった。あ、殿下はどうだろう。私のせいでライナス様との話が中断されていたりしないだろうか。
不安ばかりが渦巻く。ベッドの真ん中で丸くなってもなかなか寝付けなくて、私は必死に羊を数えた。
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