第12話
どこか揶揄するようなジークフリートの声に、ライナスは片眉を上げた。
「では、話は終わりでしょう。失礼します」
これ以上は待っていられない。早急にしたかった話が、ケイトを隣国から戻す算段をつける話だというのならば、十分に話はできたことになる。
ライナスは立ち上がり、颯爽と出口に向かった。小さな個室だ。大股で歩けばすぐに扉の前に到着する。
それは扉に手を掛け、ほんの少しの隙間を作った時だった。
「おいおい。もう少しくらい良いだろう?」
ジークフリートの慌てた声が響いた。ライナスのため息が部屋に充満する。
話好きのジークフリートは、話始めるといつも長くなる。その対策のための撤退だったが、うまくはいかなかった。
「なんですか?」
「後学のために一つ教えてくれ」
ライナスの顔には「手短に」としっかりと書いてある。未だエレナの元へと行く意志を主張するため、扉に手が掛けられたままだった。
「エレナ嬢のどこがいい?」
「……は?」
ジークフリートの言葉にライナスの眉間に皺が寄る。苛立ちに目を細めた。随分と低い声が出たのは、気のせいではない筈だ。しかし、ジークフリートはその程度で怯むような玉ではない。涼しい顔で口角を上げることのできる男だ。そのくらいでなければ、ライナスの友人としてやっていけないとも言えた。
「エレナ嬢があの『悪役令嬢』みたいな女だったら良かったと思わないか?」
ジークフリートが『悪役令嬢』を例えに上げたのは、たまたま今日の劇の題材にされたからに過ぎないことは簡単に予想できた。
隣国の王太子妃の座を勝ち取った女の話は、今回の劇以外の方法でもこの国にも多く入ってきている。王太子に恋をした下級貴族の娘によって悪役に仕立て上げられ、地に落とされたにも関わらず己の才のみでのし上がった女の話だ。
策士であり、気高く強い女だという。
「……そうですね。そうかもしれません」
「だろう?」
ライナスは一度ため息を吐き出した。話が長くなることを悟り、扉を押していた手を離す。小さな音を立てて僅かに開いていた扉が閉じた。
「私には敵も多いですから。妬まれもします。全てを跳ねのけるようなあの王太子妃のような女性は理想の形なのかもしれません」
「そこまで分かっていて、なぜあの子なんだ? 他に相応しい女はいた筈だ」
ジークフリートは真剣な顔をしていた。ライナスは腕を組み考え込む。ライナスは十歳の時、自身の希望でエレナと婚約を結んでいる。十歳の少年だった頃、彼女が公爵家の夫人に相応しいかどうかなど大した問題ではなかった。
「エレナは私には十分過ぎるほど魅力的な女性です。悪く言うつもりならば、この腐れ縁を切りますよ」
「待て待て。俺は別に悪く言っているつもりはない。ただ率直な疑問だったんだ。昔から冷静なお前はもっと手間の掛からない……おい、そんな顔するな。悪かった。言い方が悪いな。……形だけの夫婦関係を選ぶと思っていた」
エレナを悪く言うつもりはないと、ジークフリートは何度も繰り返す。
「そうですね……。なぜかなんて考えたこともありませんが、強いて言うなら利を考えるよりも先に好きになったからですね」
十という歳で、十年、二十年先の未来を見据えることはなかった。その時あったのは純粋な気持ちただ一つ。
ライナスの中にある彼女との思い出をなぞるためにゆっくりと目を閉じる。瞼の奥には今と変わらない笑顔があった。
「好き、か。よく分からんな。どんなもんなんだ?」
「私にもよくわかりません。ただ、一つ言えることがあります」
「なんだ? やけにもったいぶるな」
ジークフリートの苛立ちが眉間に現れる。元来この男は短気なのだ。
「説明できないようなものです。この世界のどの言葉を使ってもこの感情は説明できない。もしも説明できるようなものなら、とっくに切り捨て公爵夫人に最も適している女性と婚約を結んでいます」
「なるほどな。説明できない、か」
「はい。私にはエレナが必要で、できればエレナにも私が必要であって欲しいと願っています」
「お前のせいで彼女に危険が迫っても良いのか?」
「彼女を守るために最善は尽くしているつもりです」
「閉じ込めることがか?」
ジークフリートはエレナをなかなか社交場に連れて行こうとしないことを揶揄しているのは明白だ。実際には、彼の執務に付き合っているせいではあるのだが、あまり外に出したくないという気持ちも嘘ではないため、ライナスはすぐさま「否」とは言えなかった。
「そうできたら良かったんですけどね。新しい物を見つけた時の笑顔が愛おしいので、鳥籠に閉じ込めておくことは難しそうです」
「そうやってすぐに惚気る。お前がそんなに拗れていたとは知らなかった」
「あの時から私の全てはエレナのためにあることを知らなかったのですか?」
ジークフリートの右眉がぴくりと動いた。未だ納得いかないのだろう。
「馬鹿だと思うなら、さっさと切り捨てて貰ってよろしいのですが」
「そして領地で彼女と悠々自適の毎日か?」
「ええ、想像しただけで楽園のようでしょう?」
ため息が部屋を充満する。ライナスは彼の意識の高い婚約者探しに付き合うつもりはなかった。何より、ライナスにとってエレナこそが理想の妻なのだ。何かを言われる筋合いはない。
「分かった。分かった。お前があの子に酷く執着していることはよーく分かったよ」
「分かって頂けて何よりです。あまりエレナを貶すことは言わないで下さい。ジークでなければ、今すぐ息の根を止めていたところです」
「ああ、そうだな。俺がジークフリートで良かったよ」
「ええ、では。これ以上エレナを待たせられませんので」
次は止めさせまいと、扉を大きく開いた。ジークフリートの言葉は後ろからは追ってこない。挨拶もそこそこに、ライナスは小さな部屋を出たのだった。
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