第11話
「機嫌を直せ、ライナス。もう少し大人になったらどうだ」
「……なんのことでしょう?」
さほど大きくはない個室で、王太子であるジークフリートと彼の親戚筋に当たる公爵家の長男ライナスは座ることなく話を始めたのは、少し前のこと。
ライナスはエレナを一人置いていくことに苛立ちを隠せないでいた。まだデビューしたばかりの可憐な少女だ。婚約者がいない間に変な男にかどわかされている可能性だって有りうる。
あんなにも可憐な少女なのだから――。
「あのな。お前はエレナ嬢のこととなると人が変わったように感情が表に出る。そんなことでは、将来立派な宰相にはなれないぞ」
「ならなくて結構。適当に領地を守り、エレナと幸せに暮らすつもりですから。面倒事はごめんです」
こんな無駄話をしている間に、婚約者には魔の手が伸びているかもしれない。
いらぬ想像ばかりをすることで、ライナスの苛立ちは募っていった。だからと言って、ジークフリートが彼を解放することはない。ライナスの婚約者に手を出せばどうなるか、この国の貴族に名を連ねているのならば知っていて当たり前だと思っているからだ。
しかし、世の中にはそれを理解できていない馬鹿もいるということを、ライナスはよく知っていた。
「はいはい。お前よりも適任の奴が見つかったら好きに暮らさせてやるよ」
ジークフリートとライナスは幼少期からの腐れ縁だ。ライナスからしてみればたまったものではなかったが、気づけばだらだらとこの関係を続けている。
現状ライナスの父親が宰相ではないことから、自身も父親と同じ様に領地を守り、議員たちの言葉を右から左へと受け流し、妻となるエレナと穏やかな暮らしをと考えていた。しかし、ジークフリートの方は別のようで、ライナスを隣におきたがる。宰相という役職は権力の欲しい者にとっては喉から手が出るほど欲しい宝石だろう。そういうものは欲しい者にくれてやれば良いと思っていたが、ジークフリートの向上心たるや過去の国王達よりも上を行くらしい。
その席に相応しい者が座るべきと強く思っているところがある。そのせいで、現在王太子妃の席も、王太子妃候補の席も空席のままだ。
国王となるのはまだ先の話だというのに、「国王となった暁には、ライナスを宰相に据える」と豪語している。ライナスからしてみれば、その前にやることが多々あるだろうというものだ。
「そういうあなたはそろそろ結婚相手の一人や二人見つけてきたらどうですか」
「国を背負う女だぞ。そう簡単には見つからないさ」
「『子供さえ生むことができればそれでよい』と言ったのは何代前でしたか」
「五代も前の話さ。今は時代が違う。女の世界を制し、上手く男を転がせるような女でなくてはだめだ」
「そんな女性が現れたら、あなたも手のひらでコロコロでしょうけどね」
「上等だ。俺を転がせるようでなければ次代の王妃なんざ任せられない」
ジークフリートは得意げに笑って見せるが、未だ理想の女には出会えてはいなかった。
「理想ばかり高くては独身王となってしまいますよ」
「それも悪くない……が、次代を背負うにふさわしい後継者は必要だからな」
「まあ……なんというか、あなたは本当面倒な男ですね」
「お前に言われたくはないな。そんな話よりも大切な話をしよう。早く彼女の元へ戻りたいんだろう?」
「ええ、そうですね。生産性のない話は終わりにしましょう」
ライナスは一度小さく息を吐き切ると、近くの椅子に座った。ジークフリートは満足げに頷くと空いた席には座らず、窓際に立ち、窓から空を見上げる。
外は闇が広がっていた。
小さな部屋に静寂が訪れる。ライナスは真っ直ぐにジークフリートを見つめた。
「お隣からアレが入ってきたのは間違いないようですね」
「ああ、そうだな。南の村は遠いからと高を括っていたこちらの過失ではあるが……」
つまるところ、ジークフリートもライナスも話に聞く程度で行ったことはない。冬でもじっとりと暑く、立っているだけで汗が流れるとよく耳にしていたが、それがどのくらい不快なのかは想像もできなかった。
「しかし、まさか我が国の貴族の中に手引きをしていた者がいたとは、考えたくありませんでした」
「薄々は感じていたくせに。白々しいな。だからケイトをわざわざ外に出すことを提案したんだろう?」
「まあ……可能性の一つとしては入れてありましたが」
ジークフリートは大きなため息を吐く。
「それにしてもあいつ。よく考えたものだな。
「ケイトさんはフラフラしているように見えて色々と考えてますからね。それに引き換え、ジークはもう少し演技と言うものを憶えた方が良い。あれは酷かったですよ。もう少しでエレナにあなたとケイトさんの関係が……いや、ノーベン家と王家の関係が露見するところでした。以後、気をつけていただきたい」
ライナスは不機嫌を表すために眉根を寄せる。王太子という立場の男に対する態度ではない。しかし、いつもこんなものだった。それを咎められたことは一度としてないのだ。
「あのな。あの子だってノーベンの家の子だ。知ったって問題ないだろう?」
「彼女はあと数年もしたらノーベンの家から出るのです。知らなくても良いことは沢山あります」
「はいはい。次期公爵様は過保護でいらっしゃる」
「うるさいですよ。それでここからどうしますか?」
「そうだな。まずはケイトを国に戻す。あいつをずっとフラフラさせてはおけない。手配できるか?」
勿論、それはジークフリートの指示だと誰にも悟られずにだ。「帰ってこい」と手紙を書くことは簡単だが、突然の帰国を指示されたとあってはまず間違いなくケイトに目が行くことになる。彼は現在、ただの遊学で隣国を訪れているのだから。
王家との繋がりを嗅ぎ付けられては今後に関わる大事となる。
「分かりました。では、ケイトさんが連絡手段に使ったあの旅の楽団には大変感動したとサファイアをお贈りしましょう」
「国宝と同じ……か。しかし、お前が演劇に感動するようには見えないがな」
ジークフリートはくつくつと笑った。小さい頃から芸術鑑賞はよく隣でしてきた二人だったが、ライナスが涙したことはただの一度もない。だからそこの言葉なのだろう。
「エレナが大変気に入っておりました。可愛い笑顔が見れた。そのお礼です」
ライナスが涼しい顔で笑う。ジークフリートは肩を竦めるばかりだ。
「そりゃぁ、ごちそうさま」
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